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「スヌーピーと聖書」

親しみやすい絵柄とウィットに富んだ話でお馴染みのピーナッツ。スヌーピーやチャーリー・ブラウンなどのキャラクターに惹かれて、あるいは英語に親しむために、皆さんも読んだ経験があると思います。欧米でもっともポピュラーな漫画の一つであるピーナッツ、実は聖書を下敷きとしていることをご存知ですか?
欧米人には当たり前となっている聖書の価値観をもって、彼らの会話に少し耳を傾けてみましょう・・・。いじわるな女の子、ルーシーがスヌーピーに対してこう言ったことがあります。
「時々、あなたはどうして犬なんかでいられるのかと思うわ・・・」

 私たちはよく人のものを羨ましがったり、自分のほうが立派だと威張ったりします。口には出さなくとも、自分よりも劣っていると思う人を見て安心したり、よい成績を取るとつい調子に乗ってしまったりします。不安な人、自分に自信がない人ほど、自分の基準を持ってきて自慢をしたり威張ったりします。ルーシーも、「人」と「犬」という基準から相手を自分よりも低い存在と決め付けて優越感に浸り、自分の弱さを隠そうとしているのです。これに対し、スヌーピーは次のように答えています。
「配られたカードで勝負するしかないのさ・・・それがどういう意味であろうとね」

 私たちは生まれた環境や生まれ持った才能を選ぶことはできません。それがどのようなものであっても、それを抱えて人生を歩まなければなりません。これは悲しむべきことでしょうか?作中で最も地位の低い者として描かれているスヌーピーはこうも言っています。
「どうしてぼくは恵まれているんだろう?」

みなさんはこのような疑問を持ったことはありますか?
また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。 ~コリントの信徒への第一の手紙 1章28節~
神様は能力のある者ではなく、与えられたものに感謝して忠実に励む者を喜ばれます。与えられたものに全てに感謝できる人生って素敵だと思いませんか? 


最終更新:2012年02月18日 02:05