藤原成親(1138-1177)
- 父家成は鳥羽院の寵臣
- 1142年に従五位下
- 平治の乱(1159年)では藤原信頼に味方したが、妹が平重盛の妻であったため死罪を免れる
- 後白河法皇の近臣となり「芙蓉の若殿上人」として寵愛される
- 左近衛大将の藤原師長の辞職した後任を所望したが、平重盛と平宗盛の兄弟が左右大将に任命されたため成親は(平治の乱で重盛に助命されたにも関わらず)深く平家を恨むようになったという
- 鹿ケ谷の陰謀のとき40歳?
- 俊成と俊成のイトコの娘、八条院坊門局(定家より20歳くらい年上)を嫁に
- 他にも俊成の娘後白河院京極ももらっている
- その娘(俊成の孫娘)が平ら維盛(清盛の孫)と結婚している
- つまり俊成は藤原成親と盛頼の兄弟に自分の娘を嫁がせたわけね
- でも↑の二人が同母かというと微妙
藤原盛頼(?-?)
- 藤原成親の弟
- 八条院三条と結婚
- 鹿ケ谷の陰謀で連座して失脚
藤原成経(?-1202)
- 藤原成親の子
- 俊寛、平康頼と共に薩摩国鬼界ヶ島へ流された
- 1178年に康頼とともに赦免され京へ戻る
- 1185年に蔵人頭、1190年に参議、1194年に皇太后宮大夫になる
最終更新:2006年12月31日 19:29