712 ある日の夜のそれだけのお話(1/2) [sage] 2010/07/25(日) 20:06:10 ID:tVkLyN8v0 [2/4]
コン、と一応控えめにノックをしてから静かにドアを開ける。
電気も消され真っ暗闇になった部屋の中に廊下の明かりが射しこんだ。
「お姉ちゃん……?」
小さな声で部屋の中に呼びかけてみる。返事はない。どうやらもう眠ってしまったようだ。
物音を立てないようにゆっくりと憂は部屋の中へと入る。
その日の家事を終え眠る準備をしたあとに、唐突になんとなく寝る前に姉の顔を見ておきたいと思ってしまったのだ。
ゆっくり近づいて、ベッドの上を覗きこむ。
いつも活発で元気な自分の姉は、今は気持ちよさそうに眠っていた。
「えっと……」
どうしよう、と思う。
まあただ単に寝る前にもう一度顔を見たかっただけなのだが。
目の前にいる姉はまぶたを閉じてただ静かに寝息を立てていた。
――あ……。
気付いたら、手で姉の頬に触れてしまっていた。
顔もいつのまにかずいぶん近くにある。
無意識のうちにとっていた行動に自分の頬が熱くなるのを感じた。
「……そのね、お姉ちゃん」
聞こえてないかな、と唯の様子を観察しながら声をかける。
でも、何を言ったらいいんだろう、と迷ってしまう。
触れてしまったけれど、これ以上何をしたいんだろうと思う。
顔がただ熱くなっていて、頭の中がぐるんぐるんしていて、胸がドキドキしてるのにギュッと締めつけられていて。
それと手のひらで触れてる肌が、柔らかくて、温かくて。
「………」
胸が詰まるっていうのはきっとこういうことを言うんだと思う。
ただ顔を見れればいいな、とそんな軽い気持ちで来ただけなのに。
いざ目の前に来たら、それだけじゃ物足りなくなってしまうなんて。
「……おやすみ、お姉ちゃん」
自分でもよくわからない、いろいろな気持ちを振り切ってそれだけを口に出す。
まだ頭の中はぐるぐる回っていて、胸のあたりがざわついていたけれど、触れていた温もりから手を離す。
一瞬だけためらってから、唯の寝顔を見つめてからドアのほうへと振り返る。
「憂」
「――えっ?」
グイっと、右手を引っ張られる感触がした。
頭の中が瞬間的に真っ白になる。
慌てて振り向くと――ベッドの上で起き上がった唯と、目が合った。
「お、お、お……お姉ちゃ、ちゃんっ!?」
えへへ……、と唯はいつもの照れ笑いを浮かべている。
なにがなんだかわからない、っていうのはこういうとき使うのだと思う。
いつもの冷静さなんてどこかに行ってしまった頭で必死になって考える。
もしかして、ずっと起きていた?
それじゃあさっきまでのことは……、全部気付かれていた?
なら、それなら。
「あぅぅ……」
顔、なんて問題じゃない。首筋から体中まで、全身が一気に熱くなるのを感じる。
もし彼女がずっと起きていたとしたならば、思わず手で触れてしまったことも判ってしまっているということだ。
どうしようどうしようとパニックになった頭が訴える。
あんなことしてしまうなんて、変な子だなんて思われてしまったらどうしよう。
気持ち悪いだなんて思われたらこれから先、生きていける気がしない。
713 ある日の夜のそれだけのお話(2/2) [sage] 2010/07/25(日) 20:07:05 ID:tVkLyN8v0 [3/4]
「――憂」
完全にパニックに陥った思考のなかでも、彼女の声だけはスッと頭の中に染み込んできた。
普段通りの、優しい声。
「……お姉ちゃん」
唯はそっと微笑んでいた。少し眠そうな目をしていたけれど、いつも自分へ向けてくれている笑顔だった。
――あっ……。
掴まれていた手に力が入って、もう一度グイっと引っ張られてしまう。
そんな強く引っ張ったらダメだよ――、と思う間もなく体のバランスを崩してしまい、
「お、お姉ちゃん……」
唯の体の中へと倒れ込んでしまう。
でもそんな自分を彼女は抱きとめてくれた。手を後ろに回してギュッとしてくれる。甘い匂いが鼻をかすめる。
こんな状況、本当なら心臓が破裂しそうなほどドキドキしてもおかしくないのに、不思議と勝手に心が落ち着いてくる。
「起きてた、の?」
うん、と耳元で声が響く。
じゃあやっぱり、さっきのことは全部気付かれていたのだろう。思わず触れてしまったことも、判ってしまったに違いない。
また頭が真っ白になることはなかったけれど、恥ずかしくなって顔が上気してくるのを感じる。
「……ごめん、なさい」
消え入りたいような感覚の中で、どうにか口から出た言葉はそんな情けない声だった。
「どうして謝るの?」
澄んだ声で、そっと囁かれる。
「だって」
「……ねぇ、憂」
遮るように唯が言う。
「今日さ、一緒に寝ようよ」
「……え?」
体を離して姉の顔を見る。その顔はニッコリと微笑んでいて、怒っているようにも自分を変に思っているようにも見えなかった。
「そう思って来たんじゃないの?」
なんでもないようなふうに、唯はそう言って笑みを浮かべている。
ああ……、と憂は思う。
やっぱりこの人にはかなわない。
私のことなんて、きっと全部わかってしまっているんだろう。
辛いとき、苦しいときはいつもそうだった。
気付いたらそばにいて、ギュッと手を握ってくれて、いつもの笑顔を浮かべていて。
大丈夫だよ、無理しちゃダメだよって目で語りかけてくれる。
「ああでも……、さすがにちょっと暑いかもしれないけど、いい?」
枕をもう一つ用意しながら唯が聞いてくる。
「うん」と返事をしながら涙が出そうになっていた瞳をこする。
そんな自分の姿にも彼女は何も言わずに、ただ笑顔のままでベッドの上を半分開けて「おいで」と手招きしていた。
一緒にベッドの上で寝転ぶ。
向き合う格好になって、視線がぶつかって恥ずかしくなって目を閉じた。
どうして寝る前に彼女の顔を見たいと思ったのか、姉の言葉を聞いてやっとわかったような気がする。
自分は、寂しかったのだ。
だからつい姉の顔を見たいなんて思ってしまったのだろう。
自分の大好きな、人だから。
「憂」
よく通る綺麗な声で名前を呼ばれる。
それからそっと髪に触れられる感触がして、頬にぬくもりを感じた。
「おやすみ、憂」
やっぱりお姉ちゃんは、私の「お姉ちゃん」です。
fin.
最終更新:2010年07月25日 23:06