英雄の条件
作:白兎
田舎はいい。
都会にはない素晴らしさがある。
遠くに蝉の声を聞きながら、透き通った夏空の下で嗜む煙草も、そのひとつだ。
男もまた、そんな幸福を味わえる人間の一人だった。
彼は、民家の軒下に腰を下ろし、ぷかぷかと愛用のキャメルをふかす。
数年前に脱サラして実家の農場を継ぎ、ここに居を構えた。
いろいろと不便はあるものの、仕事に追われていた生活は、もはや過去の話。
男は今や、立派な農夫になっていた。
だが、
ゆっくりしているのは、男の人生だけではない。
南向きにこしらえられた庭先にも、同じくらいゆっくりとしたものが存在している。
ゆっくりとしたゆっくり。
ジョークではない。本当にゆっくりとしたゆっくりなのだ。
「さあみんなでゆっくりおうたをうたおうね。」
「「「「「ゆ~ん♪」」」」
1匹の親れいむの前に、これまた同じれいむ種の赤ゆっくりが4匹、
嬉しそうに体を揺らしながら歌を歌っている。
いや、歌と言えば嘘になるだろう。
それは、ゆっくりにとっての歌であり、人間のそれではない。
「「「「「ゆ~♪ゆゆ~♪」」」」」
「おきゃあしゃんたちおうたじょうじゅだにぇ。」
「うん、とっちぇもゆっきゅりできりゅよ。」
「まりちゃもおうたうちゃえるよ。ゆゆ~ん♪」
5匹の合唱団の隣で、その歌声に聞き入っているのは、
父親のまりさと、これまた同じまりさ種の赤ゆっくり3匹だ。
合計10匹の大所帯。
ゆっくりした自然のある田舎だからこそ見られる光景だ。
都会ならば、とっくに両親の手で間引かれているだろう。
もちろん、この8匹の赤ゆっくりが皆、大人になれるわけではない。
野生動物。害獣駆除の罠。寒さの厳しい冬。舗装も整備もされていない山河。
田舎には田舎なりの危険が満載だ。
数多く産むのは、数多く死ぬからである。
いずれにせよ、この一家は、真夏のゆん生を謳歌している。
男は、そんなゆっくりらしいゆっくりを好ましく思った。
「おじちゃんしゅーりしゅーり♪」
足下から聞こえる声に気付き、ふと視線を下げる。
いつの間にかこちらへ這って来た赤まりさが一匹、
男のサンダルに頬擦りをしていた。
「おう、どうした。お母さんの歌は聴かなくていいのか。」
男は、笑顔で赤まりさに尋ねた。
この赤まりさは、他の子どもたちからおねえさんと呼ばれている。
つまり、一番最初に茎から落ちた個体、長女というわけだ。
「まりしゃ、おかーしゃんのおうたちゃんときいちぇるのじぇ。」
「そうかそうか。まりさは、耳がいいんだな。」
「ゆん。まりしゃ、おみみとっちぇもいいんだじぇ。」
そんなたわいのない会話をしていると、親まりさがこちらへ跳ねて来た。
眉間に皺を寄せ、たしなめるように赤まりさの側に着地する。
「ゆゆ!おじさんにめいわくかけちゃだめだよ!」
「ゆぅ…。ごめんなちゃい…。」
赤まりさはしょんぼりとうなだれ、男にぺこりと頭を下げた。
「はは。別に迷惑なんか掛けてないさ。」
この一家は、見ての通りゲスではない。
野生のゆっくりたちは純朴で、ゲスに遭遇する確率は稀だ。
もちろん、畑に悪さをするものもいるが、
それでも都会のゆっくりたちと比べれば、月とスッポンである。
都会の野良は、躾に失敗した捨てゆっくりや、
問題を起こして森を追放されたゆん罪者が多く混じっており、
根本的に質が違う。
「ゆゆっ!おじさんはほんとにゆっくりしたにんげんさんだね!」
親まりさの顔がほころぶ。
男の顔もまた、それにつられてほころぶ。
「にぇえおじいちゃんのおはなしきかしぇてほちいのじぇ。」
長女まりさが、ぴょこんと一歩前に出て言った。
「ゆぅ。まりさもききたいよ。おはなししてね。」
「ああいいぞ。」
男は、側にあった灰皿に煙草を押し付け、一息つく。
おじいさんまりさの英雄伝。
それは、2年前、この親まりさの親まりさ、つまり赤まりさの祖父まりさが、
この男の庭先に残した物語だ。
「あれは、うだるような暑い日のことだった…。」
祖父まりさは、男の庭で、家族と一緒に、夕食をとっていた。
野原で見つけた草や虫をむしゃむしゃし、デザートに花の蜜を呑む。
それはそれは幸せな時間だった。
ところが、そんな家族のところへ突然、森を追放されたゆっくりが3匹やってきた。
彼らは、群れの同族を襲って食糧を奪い、ドスの逆鱗に触れたのだ。
「ゆん!ここをまりさたちのゆっくりぷれいすにするよ!」と、リーダー格のまりさが叫んだ。
「いっぱいすっきりしていっぱいあかちゃんうむよ!」と、つがいのれいむが続けた。
「とかいてきなふくすうぷれいをしましょ!」と、愛人のありすが締めくくった。
すると、祖父まりさが頬を膨らませ、3匹のゲスの前に立ちはだかった。
すぐに喧嘩が始まり、祖父まりさはれいむとありすの息の根を止めた後、
最後は力つき、ゲスのまりさと相打ちになった。
その墓が、今もこの男の庭にある。
洗濯棹の向こう側にある花壇、その隣の木の下に見える置き石がそれだ。
男が祖父まりさの勇姿を語っている間、親まりさ、すなわちその子は涙を流し、
赤まりさ、すなわちその孫は、はらはらと胸を躍らせた。
「こうして、まりさはゲスどもを倒し、家族のゆっくりを守ったのでした。おしまい。」
「ゆゆぅ……。まりさのおとうさんはえいゆんだったんだね……。」
親まりさの方は、同じ話を幾度となく聞かされていた。
それにもかかわらず、いつも同じように呟くのだ。
自分の父親は、英雄だったのだ、と。
「ああ、あいつは英雄だったよ。」
男は、親まりさの言葉を確認するように、力強く答えた。
「ゆぅ~、おとうしゃんもえいゆんににゃれるのじぇ?」
赤まりさが、父親の腹にすりすりしながら尋ねた。
親まりさは、おさげで涙を拭い、赤まりさの頭を撫でてやる。
「もしおちびちゃんがおそわれたら、おとうさんもたたかうよ。えいゆんになるよ。」
「ゆ~ん♪まりしゃのおとうしゃんはえいゆんなのじぇ♪」
赤まりさは、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねながら、姉妹の方へ去って行った。
「おねーしゃん、えいゆんってにゃーに?」
一匹の赤れいむが、もみあげをぴこぴこさせながら尋ねた。
「えいゆんはまりさのおじいしゃんなのじぇ!」
答えになっていない答えを返しながら、下腹を自慢げに膨らませる赤まりさ。
そんな子どもたちの会話を前にして、親れいむの顔にも笑顔が溢れる。
ふと、男は、親まりさがいなくなっていることに気付いた。
辺りを見回すと、父親の墓の前にじっと佇んでいるのが見えた。
墓参りのつもりだろうか。
男は、好奇心から腰を上げ、親まりさの側にそっと近付く。
その足音に気付いたのか、親まりさは、ぐいっとこちらに体を捻った。
「おじさん。ここにまりさのおとうさんがゆっくりねむってるんだね。」
「ああ、この石の下で、永遠にゆっくりしてるんだ。」
嘘ではない。
男は、餡を失って萎んだ祖父まりさの体を、ここに埋めたのだ。
「ありがとうね、おじさん。おとうさんもゆっくりよろこんでるよ。」
親まりさは、もう一度墓石に顔を向けた。
そして、何かを決意したかのように、男の方へ振り返った。
「まりさしってるよ。にんげんさんはおはかにおはなをぷれぜんとするんだよね。」
「ああ、死んだ人が喜ぶようにね。きっと、大昔からそうしてるんだよ。」
宗教的な知識など持ち合わせていなかったが、男は静かにそう答えた。
間違ってはいまい。
教義なるものが生まれるずっと前から、人は亡き人に花を捧げてきたのだろうから。
「ゆゆ!まりさもおとうさんにおはなをぷれぜんとするよ!」
「外で取って来た花なら、いつでもいいぞ。」
「ゆん!のはらでおはなをつんでくるよ!」
そのとき、親まりさの名を呼ぶ家族の声が聞こえた。
親れいむとこどもたちは門前に集まり、巣へ帰る準備をしている。
「おとーしゃんゆっくりきゃえろ!」
「ぼんやりしてるとゆっくりおいてくのじぇ!」
親まりさは、男に別れの挨拶を告げ、家族のもとへ帰って行った。
男は、黙ってそのまるっこい背中を見送る。
暮れなずむ日差しの中、ゆっくり一家は、あぜ道の向こうに姿を消した。
翌日、そのあぜ道を楽しそうに歩く、ゆっくりたちの姿があった。
長女まりさを先頭に、親まりさが子どもたちを引き連れて歩く。
親れいむは、一番後ろに控え、子どもたちがはぐれてしまわないように目を配る。
親まりさの口元には、小さな野菊が一束、折れないように優しくくわえられていた。
そうだ。これは親まりさのお父さんにお供えするための花だ。
ゆんやゆんやと騒ぎながら、颯爽と長女まりさが男の家に到着し、門をくぐった。
「ゆ~ん♪おじしゃんあしょびにきたのじぇ♪」
ところが、声を張り上げる長女まりさの前に現れたのは、あの親切な人間さんではなく、
見知らぬまりさとれいむのつがいだった。
長女まりさに気付いた2匹は、ゆっくりと振り返る。
そのふてぶてしい顔が、長女まりさを蔑むように見下ろしていた。
「ゆゆ。ここはまりさたちのゆっくりぷれいすなのぜ。がきはでていくのぜ。」
「そうだよ。ここはだれもいないかられいむたちのおうちにしたんだよ。」
長女まりさには、目の前の2匹の言っていることが理解できなかった。
無理もない。
このまりさは、とてもゆっくりとした家庭で育ったゆっくりなのだ。
2匹のようなゲスに出会ったのは、これが初めてだった。
「おちびちゃん。そんなにいそいだらだめだよ。ゆっくりしようね。」
数メートルほど離された親まりさが、ようやく庭に足を踏み入れた。
他の子どもたちも、お姉さんに負けじと後に続く。
「ゆゆ!へんなゆっくりがいっぱいきたよ!」
声を発したのは、ゲスれいむだった。
それと同時に、ゲス夫婦と親まりさが睨み合いになる。
どうやら、親まりさは本能で、この2匹がゆっくりできないゆっくりだと悟ったらしい。
「ゆん。まりさはまりさだよ。きみたちはだれ?」
「ゆゆん。まりさはまりさなのぜ。ここはまりさのゆっくりぷれいすなのぜ。」
「ちがうよ。ここはにんげんさんのおうちだよ。」
親まりさは、なんとか説得を試みようと思った。
しかし、ゲス夫婦は貸す耳を持たない。
「にんげんさんなんてどこにもいないのぜ。」
「ばかなの?しぬの?」
ゲス夫婦は、げらげらと下品に笑う。
男は、ちょうど畑仕事でいない時間だった。
親まりさは、そのことを知っていた。
いや、知らなくても、この近くに住んでいるゆっくりたちは、
にんげんさんのおうちがどういうものなのか、みな理解していた。
それが分からないところを見ると、このゲス夫婦は、よほど遠くから来たのだろう。
「ゆん。ここはすごくいなかくさいのぜ。おみせもなんにもないのぜ。」
ゲスまりさが、軽蔑するように辺りを見回しながら言った。
「でもこれからすてきなゆっくりぷれいすになるよ。」
ゲスれいむが、パートナーを慰めるように言葉を継いだ。
どうも様子がおかしい。
「きみたちどこからきたの?」
「ゆゆ!まりさたちは、とかいからゆんたーんしてきたんだぜ!」
「そうだよ!れいむは、もとどうばっぢさんなんだよ!」
れいむは、ぐいっと胸を張った。
親まりさには、元銅バッヂがどういうものなのか分からなかったが、
あまりいいものではないように思われた。
なぜなら、当のれいむが、あまりいいゆっくりに見えないからだ。
「どうしてここにいるの?」
「ゆゆ!それはね!だいすきなまりさとすっきりしてあかちゃんをつくったら、
おにいさんがれいむをおうちからおいだしたんだよ!ひどいおにいさんだよ!」
赤ちゃんを作った、と言いながらどこにも見当たらないところを見ると、
おそらく、道中の非常食にしてしまったのだろう。
一番近い街からここまで、車でおよそ1時間はかかる。
ゆっくりの足でそれを踏破した根性だけは、大したものである。
けれども、飼いゆっくりの事情を知らない親まりさには、
目の前のゲスれいむが何を言っているのか、見当もつかなかった。
「ゆっくりりかいしてね。ここはにんげんさんの…。」
そのとき、ゲスれいむが、庭の片隅にある花壇に気付いた。
「ゆゆ!おいしそうなおはなさんがあるよ!」
ゲスれいむは、親まりさを無視すると、下腹をぽよんぽよんと揺らしながら、花壇に向かう。
「それはおじさんのおはなだよ!かってにたべたらだめだよ!」
親まりさは一足先に花壇へ辿り着き、ゲスれいむの前で仁王立ちになった。
頬を膨らませ、ぷくぅーと威嚇を始める。
「ゆっ。このまりさなんなのぜ。なまいきなのぜ。」
追いついたばかりのゲスまりさが、親まりさに眼をつける。
なぜ花壇の花を食べてはいけないのか、全く理解できていないようだ。
「ゆっくりできないまりさはどこかにいってね。ここはまりさとれいむのおうちだよ。」
「だめなものはだめだよ!ゆっくりでていってね!」
親まりさは、さらに息を吸い込み、一段と膨らんでみせた。
だが、そんなまりさの横をスルーして、ゲスれいむは花壇の縁に乗っかかる。
「ゆっくりむーしゃむーしゃするよ。あーん…ゆぶ!」
大きく口を開けたれいむの横っ腹に、親まりさは体当たりを食らわせた。
ゲスれいむは、もんどりうって地面に倒れ込む。
「おとうしゃんかっこいいのじぇ!」
例の赤まりさが歓声をあげた。
だが、長旅を制覇したゲスゆっくりである。
体力には自信があるようだ。
ゲスれいむはすぐに体勢を戻すと、ひとまず夫の側に寄り添った。
つがいを蹴飛ばされたゲスまりさは、親まりさに思いっきりガンを飛ばす。
「なんなのぜ。このゆっくりはあたまがおかしいのぜ。」
ゲスれいむの立ち直りは、親まりさにとってショックだった。
手を抜いたつもりはない。2対1だ。一撃で気絶させようと思っていた。
しかし、どうだろう。ゲスまりさは、かすり傷ひとつ負っていないではないか。
「れいむ!おちびちゃんたちをつれてにげてね!」
親まりさは家族に背を向けたまま、大声で叫んだ。
勝てないかもしれない。
ならば、せめて家族だけでも逃がしておかねば。
「ゆゆ!れいむはまりさといっしょにいるよ!」
「だめだよ!ゲスとはゆっくりできないよ!ゆっくりりかいしてはやくにげてね!」
親れいむは、逃げるのを躊躇った。
親まりさとは、もう1年以上連れ添った仲だ。
それを、はいそうですかと見捨てるわけにはいかない。
「おかーしゃんこわいよぉ…。」
「おとうしゃんけんかしゅるにょ?」
ゲス夫婦に怯える子どもたちを見て、れいむは心を決めた。
それに、自分がここにいたところで、まりさを守ることはできないのだ。
「まりさ!あぶなくなったらにげてね!ゆっくりできないよ!」
そう言い残すと、親れいむは子どもたちを口の中に誘導し、
重そうな体をずりずりと動かしながら、男の庭を後にした。
家族が立ち去ったのを確認した親まりさは、ゲス夫婦に最後通告を行う。
「ゆっくりここからでていってね!でていかないとおこるよ!」
ゲスまりさは、一歩後ずさりをした。
しかし、それは、逃げるためではなかった。
下腹に力を入れ、一気にジャンプする。
そのための溜めだった。
「ゆん!?」
襲われるのを覚悟していた親まりさは、横に跳ねて、攻撃をかわそうとした。
ところが、その瞬間、素早く背後に回ったゲスれいむが、もみあげで体を押さえつけた。
身動きが取れなくなった親まりさの顔面に、渾身の一撃がヒットする。
親まりさは、地面に倒れそうになったが、それすら叶わなかった。
もみあげで羽交い締めにされ、ゲスれいむの繰り出すおさげビンタに打ちのめされる。
「やべで!がわがやぶれじゃうっ!」
「さっきのいせいはどうしたのぜ。はやくあやまるのぜ。」
うかつだった。
相手の実力が分からないうちに喧嘩を売ってしまったのだ。
親まりさも野生の端くれだったが、田舎で人間たちと生活するゆっくりは、
狩りなどの重労働に慣れていないことが多い。
畑を荒らすのは禁止されていても、人間の手が入った原っぱには花や虫がたくさんおり、
森の中で暮らす仲間たちのように、朝から晩まで駆け回る必要がないからだ。
勝てない。勝てるわけがない。
中枢餡がそのことを察したとき、親まりさの中で恐怖が爆ぜた。
「おねがいでず!まりざをはなじでぐだざい!おねがいでずぅ!」
ぼろぼろと涙を流す親まりさ。
死にたくない。家族に会えなくなるのは嫌だ。
ただその一心で、謝罪を言葉を口にする。
「こいつかぞくのまえでいいかっこしてただけなのぜ。ほんとはこしぬけなのぜ。」
「おお、ぶざまぶざま。」
「ごべなざいいいいい!あやまるがらゆるじでえええええ!」
親まりさが涙を流しながら懇願していると、裏口に人影が現れた。
男が、昼休憩のために帰って来たのだ。
「おじさゆぶ!」
男の登場に気を取られた親まりさの背後から、ゲスれいむがのしかかった。
でっぷりと餡ののった腹が、親まりさの皮をみちみちとせめぎ立てる。
「やべでえええ!!!もっどゆっぐじざぜでえええ!!!」
「まりさはとてもゆっくりしてるのぜ♪」
「れいむもとてもゆっくりしてるよ♪」
さすがはゲスだ。
仲間を拷問にかけ、それでゆっくりできるのだと言う。
常人ならば、すぐにでも助けに飛び出す場面だろう。
それでも、男は、門のところから一歩も動こうとしない。
ゲス夫婦は、人間が現れたにもかかわらず、親まりさへの攻撃を続けた。
ゲスまりさが親まりさのおさげに噛み付き、それを引っ張る。
「やべで!まりざのおざげどらないで!おねがいじまず!」
ぶち。
鈍い音とともに、親まりさの三つ編みは、根元から千切れた。
傷口から餡がしたたる。
「……。」
親まりさは、しばらくの間、何も言わず、わなわなと震えていた。
痛みからだろうか。
いや、違う。
まりさ種の自慢である三つ編みのおさげ。
それを引き千切られた怒りが、全身の餡を震わせているのだ。
顔を上げ、血走った目付きでゲスまりさを睨みつける。
「ごろず!ごろじでやるぅ!」
親まりさは、涙を流しながら歯を剥き、ゲス夫婦に襲いかかろうとする。
だが、思うように体が動かない。
「おお、こわいこわい。」
ゲスれいむは、小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、親まりさの体から飛び退いた。
饅頭の重さから解放された親まりさだったが、既に満身創痍。
だからこそ、ゲスれいむも攻撃の手を緩めたのだろう。
「じねぇ!じねぇ!」
殺意のこもった口調とは裏腹に、親まりさはよろよろと立ち上がることしかできない。
それを見たゲスまりさは、ぐっと後ろに体重をかけ、
その反動を使って親まりさに再び体当たりを食らわせた。
「おまえがゆっくりしね!」
「ぶべ!」
親まりさは転倒し、泥に塗れながら2度、3度と頭を地面に打ち付けた。
ゲスれいむは、うつ伏せになった親まりさの背後に回り、無理矢理顔を上げさせる。
その間に、ゲスまりさは、側で拾った木の枝を口にくわえ、親まりさの顔に向けた。
これから何が起きるのか、男にも大方の察しがつく。
「ごろじでやるぅ…。」
親まりさは、うわごとのように何度も呟きながら、ゲスを睨みつける。
「ゆゆ。そのおめめはひどいのぜ。ゆっくりできないのぜ。」
親まりさは、左目に強烈な痛みを感じた。
何が起こったのか、親まりさには分からない。
ただ苦痛から逃れようと身を捩る。
すると、どろりとした寒天質の物体が、頬をつたっていくのが分かった。
そして、親まりさは、自分の身に起きたことをようやく理解した。
「まりざのおめめえぇ!!!まりざのおめめづぶざないでぇ!!!」
「ゆ、ばかなまりさだね。つぶれたものはもうつぶせないよ。」
気の利いた台詞を言ったつもりなのか、ゲスれいむはけらけらと笑った。
「もうやべでね!おめめないどまりざがりできないよ!」
親まりさの哀願を無視したゲスまりさは、木の枝をくわえ直すと、
今度は右目に狙いをつける。
残った眼球を守ろうと、親まりさは、必死の形相で体を左右に捻った。
「ゆっくりできないおめめとはさよならなのぜ。ばいばい。」
「やべでええええぇ!!!」
ぐちゅ、という音とともに、親まりさの視界は一瞬でフェードアウトした。
愛する家族も、大好きなお花さんも、二度と見ることができない。
親まりさは、絶望の悲鳴を上げる。
そして、下腹の穴から、ぷしゃーと小便を漏らしてしまった。
「こいつしーしーもらしてるのぜ。げらげら。」
「おお、ふけつふけつ。けらけら。」
ゲス夫婦は、また例の下品な笑い声をあげた。
「だずげでえええ!!!おじじゃんだずげでえええ!!!」
親まりさは、眼から餡を垂らし、ようやく男に助けを求めた。
我慢したというよりは、あまりの苦痛に、男の存在を忘れていたのだろう。
その呼びかけを聞いて、ゲスまりさとゲスれいむは、一瞬体をびくりと震わせる。
親まりさから慌てて飛び退き、ゆっくりと男の方へ顔を向けた。
「ま、まりさはなにもわるいことしてないのぜ!このまりさがわるいんだぜ!」
「れ、れいむもわるいことしてないよ!だからそこでゆっくりみててね!」
二匹は、必死に弁解を始めた。
どうやら、男が親まりさの飼い主か何かと勘違いしたらしい。
しばらく攻撃の手を休めた。
それでも男は、依然として、目の前の虐待をじっと眺めているだけだった。
「おじじゃああん!!!なんでだずげでぐれないのおおお!!!ゆぎゃ!!!」
男が手出しをしないと分かった途端、ゲスまりさは思いっきり体当たりをした。
親まりさの口と眼孔から、大量の餡が飛び散る。
「ゆっくりのくせににんげんにたすけをもとめるなんて、ゆらぎりものなのぜ!」
「ゆらぎりものはゆっくりしね!」
眼の見えない親まりさは、既に餡の詰まったサンドバッグだ。
ゲスまりさが四方からタックルを決め、ゲスれいむがそれをニヤつきながら眺めている。
皮もお飾りもぼろぼろになり、叫び声が次第に弱くなっていく。
「ゆぁぁ…でいぶ…でいぶどごぉ…。」
ついに、親まりさは、花壇の前まで追いつめられてしまった。
破れて広がった口からは、ぜえぜえという喘ぎ声しか聞こえない。
「まりさ。ゆっくりとどめをさしてね。」
「わかってるのぜ。ゆっくりとどめをさすのぜ。」
ゲスまりさは、眼の見えない親まりさに、すっかり油断していた。
音を立てずに近づけば、自分の位置は分からないはずだ、と。
ところが、花壇に咲き誇る花の香りが、親まりさに、自分の位置を教えていた。
大好きだったたんぽぽの匂いだ。
家族との幸せだった時間を思い出す間もなく、ゲスまりさが飛びかかった。
「「ゆゆ!?」」
ゲス夫婦が同時に眼を見開く。
失明したはずの親まりさが、最後の力を振り絞り、寸でのところで避けたのだ。
これには、さすがの男も、少しばかり体を乗り出した。
何が起こったのか、ゲスゆっくりにはともかく、男にも見当がつかなかった。
だがすぐに、親まりさの脳裏に閃いた、ある作戦に思い当たる。
親まりさは、自分が花壇の前にいることに気付いていた。
したがって、背面からの攻撃はない。
横からの可能性はあるが、花壇を縁取る煉瓦が邪魔して、体勢が取り難い。
だとすれば、単純な思考回路しか持ち合わせていないゆっくりの攻撃経路は、ただひとつ。
前方からの正面攻撃だ。
経路が分かってしまえば、後は簡単だ。
相手が音を立てて飛び上がった瞬間、横へスライドすればいい。
不意を突かれたゲスまりさは、勢い余ってそのまま花壇にダイブした。
その衝撃で、何本かの花がへし折られる。
「ゆぺっ。つちさんがおくちにはいっちゃったのぜ。」
本来ならば傷のひとつやふたつ負ってもおかしくない状況だが、ゲスまりさはぴんぴんしていた。
茎や葉がクッションになり、衝撃を和らげたのだ。
「まりさ!いまはゆっくりあそんじゃだめだよ!」
ゲスれいむが、夫に発破をかけた。
「このまりさがよろめいたのがいけないんだぜ。げすなのにうんがいいのぜ。」
どうやら、ゲスまりさは、たまたま親まりさがよろけたと解釈したようだ。
いずれにせよ、もはや親まりさに動く力は残されていない。
地面に突っ伏し、背中を大きく揺らしながら、呼吸をするのが精一杯だった。
相手が動けなくなったのを悟ると、ゲスまりさは、ゆうゆうと親まりさの側に近寄った。
「の…る…。」
「なにをいってるのかわからないのぜ。ゆっくりゆいっごんっするのぜ。」
ゲスまりさは、からかうように耳を近付ける。
「のろっで…やる…。」
「おう、こわいこわい。」
ゲスまりさは、例の苛立たしいドヤ顔で、親まりさの呪詛をあざ笑った。
「それじゃこんどこそゆっくりとどめをさゆべ!!!」
ゲスまりさの体が、宙に浮いた。
まるでお空を飛んでいるかのようだ。
しかし、その浮遊感を現す喜びの言葉は、ゲスまりさの口からは聞こえてこない。
無理もない。ゲスまりさは、後頭部に鎌を刺され、男に持ち上げられているのだから。
「ゆ”っ…ゆ”っ……!」
ゲスれいむは、大口を開けてがたがたと震えながら、空中で悶え苦しむ夫を見つめている。
「れ…れいむはなにもわるいことしてな…!?」
男は、ゲスれいむのリボンを掴むと、力任せに髪の毛ごと引き抜いた。
びりびりという嫌な音が、男の耳元に響き渡る。
「どぼぢでごんなごとずるのおおおお!!?」
お飾りがなくなってしまったショックと、禿げ上がってしまったショック。
二重のショックに悲鳴を上げるゲスれいむ。
お飾りがなければ、もう二度とゆっくりできない。
男は、息絶え絶えのゲスまりさを地面に叩き付けると、親まりさを抱きかかえてやった。
「大丈夫か。」
男は、自分の質問に思わず苦笑してしまう。
「だ、だずげでぐれで…あ、ありが…ど…。」
内心は、もっと早く助けて欲しかったに違いない。
だが、親まりさはそれを口にしなかった。
「ん、別に助けたわけじゃないぞ。」
「ゆ…?」
男の思いがけない返事に、親まりさは凍り付いた。
そんな親まりさを他所に、男は淡々と理由を説明する。
「あいつらが花壇を荒らしたから、駆除しただけだ。」
しばらくの沈黙。
大方、ゆっくり理解するのに時間がかかっているのだろう。
「どぼじで…どぼじで…。」
結局、親まりさには、男の言っていることが飲み込めなかったらしい。
ひゅーひゅーと息を荒げながら、男に問いかける。
「おまえ、英雄になりたかったんだろ?」
「……。」
「せっかくチャンスが来たんだ。俺が邪魔したら悪いからな。」
「……。」
崩れ切ったまりさの顔からは、もはや彼女の感情を読み取ることはできない。
愛する家族を守れた誇りだろうか。
それとも、自分を助けてくれなかった男への恨みだろうか。
男には、そのいずれでもないように思われた。
「おまえが泣きわめいて失禁したことは、れいむには言わないよ。
それから、墓はちゃんと立ててやる。おまえが好きだった花壇の側にな。」
男が話している間、まりさは穴という穴から餡を垂れ流している。
果たして男の声はまりさに届いているのか、それすらもおぼつかない。
「もど…ゆぐりじだがだ…よ…。」
それが、親まりさの最後の言葉だった。
あれから一ヶ月後、例の一家は父親の死を乗り越え、逞しく成長していた。
もっとも、赤ゆっくりだった個体は、子まりさと子れいむの二匹しか残っていない。
聞けば、親まりさの死で十分な面倒が見れず、みな病死してしまったらしい。
男は、その話が本当かどうかを詮索しなかった。
いかなる理由であれ、しんぐるまざーになってしまった親れいむには、
これが精一杯の数だったのだ。
「ゆっくりおとうさんのおはかまいりしようね。」
「「ゆぅ~。」」
男は、約束通り、花壇の一番日当りがいいところへ、簡素な墓を立ててやった。
手製の小さな卒塔婆に、「えいゆんまりさここにゆっくりねむる」と書いてある。
親れいむと子供たちはその前で眼を閉じ、厳かにゆっくりとした歌を歌っている。
おそらく、鎮魂歌か何かだろう。
男は、そんな光景を眺めながら、煙草に火を点けて一服した。
見上げれば、夏の終わりを示す箒雲が、幾筋も東へ流れて行く。
もうすぐ秋が来て、それから厳しい冬が訪れるのだ。
子ゆっくりたちの巣立ちも近い。
「ゆっ!ゆっ!」
男が声のする方へ視線を下ろすと、あの長女まりさが足下でぴょんぴょんと跳ねていた。
どうやら、墓参りが終わったようだ。
「おじちゃん!またおとうさんのおはなしをゆっくりしてほしいのじぇ!」
「ああ、いいよ。」
「やったのじぇ!おじちゃんはほんとにゆっくりしたひとなのじぇ!」
子まりさは、嬉しさの余り、一段と高く跳ね回った。
その姿には、男の顔も思わずほころんでしまうほどだ。
子ゆっくりたちは、この家に来るとき、親まりさの話を何よりも楽しみにしていた。
男もまた、それを何よりも楽しみにしていた。
「ふぅ。」
最後の煙を吐き出し、しけがらを灰皿の底で潰すと、男はぐっと背を伸ばした。
そして、おもむろに話し始める。
「あれは、ちょうど一ヶ月前…。」
するとそこへ、子れいむがゆっくりと這って来た。
姉妹の声を聞きつけたのだろう。
そして、子まりさよりも心なしか低めに飛び上がり、男に同じことをせがむ。
「れいむにもゆっくりおはなししてね!」
「そうだじぇ!れいむもゆっくりきくのじぇ!」
「分かった分かった。それじゃ、また最初からな。」
男は語る。親まりさの英雄譚を。
ゲスゆっくりに立ち向かう勇敢な親まりさ。
ゲスれいむを体当たりで仕留める親まりさ。
背後から不意打ちをかけられ、最後はゲスまりさと相打ちになる親まりさ。
愛する家族を守るため、仁王立ちになったまま息を引き取る親まりさ。
男は語り継ぐだろう。そしてそこから、第二、第三の犠牲者が出るだろう。
しかし、その犠牲者たちもまた、男の物語に取り込まれ、輝きを放つ。
男は思った。英雄が幸福なのではない、英雄を讃える者こそが幸福なのだ、と。
終わり
これまで書いた作品
ダスキユのある風景(前編)
ダスキユのある風景(中編)
ダスキユのある風景(後編)
最終更新:2013年01月10日 21:41