カラスやハト、ツバメなどと同様、都市にれみりゃの姿が見られるようになったのは、
ある意味自然なことと言えた。
人間に対する警戒心はそれほど強くなく、食性の幅は広い。生活形態の多様さも合わせて、
ビル街に適応する可能性は十分に持っていた。
コンクリートジャングルに囲まれたこのコンビニエンスストア。そこに巣を構えている
れみりゃも都市空間に適応した一羽だった。
いや、一羽という言い方は適当ではなかった。冬が明けてから間もなく、同じく都市に
住むれみりゃとつがいになり、めでたく三羽の出産に成功している。合計五羽となった
れみりゃの家族は、「うー、うー」と幸せの声を上げていた。

父親となったれみりゃは、すり寄る子どもたちの温かさを感じていた。このコンビニで
厳しい寒さに一羽で耐えたときのことが嘘のようだ。
冬眠できる鳥類は基本的にいない。れみりゃは鳥類ではなかったが、同じく冬眠はできな
かった。ツバメのように南方へ渡ることもせず、寒風の中、わずかな食糧を血眼になって
探した。かみしめるように栄養を取り入れ、あとはできるだけ体力を消費しないように
じっと巣の中で身を縮こませて、その日の生が無事送れることを祈った。
今は違う。
花は咲き、虫は飛び交い、爽やかな陽気で満ちあふれる、そんな春がやってきた。夜に
なっても、うららかな陽光がまだそこにあるかのような。
そして、それ以上の温かさを持つ家族が自分の身近にいる。頬をすり寄せながら、父れみ
りゃはその幸せを存分に味わった。

冬を越せたのは、運もさることながらこの巣の存在に大きな要因があることは明らかだ。
鳥の巣は繁殖期を過ぎると多くが使われなくなる。翌年の繁殖期にその古巣を用いる鳥も
いるが、れみりゃはそうなる前にツバメの古巣を占有した。
群れを形成せず、目に付きやすいところを常住の場とするのは危険であるが、れみりゃが
敢えてそれを選択したのには理由がある。
まずコンビニは常に営業している。冬は暖房を入れ続けている。その暖気は外壁にも伝わり、
寒さに対する大きな武器となるのだ。
また、目に付きやすいとはいえ、それ以上に最大の天敵であるカラスを遠ざける。残飯を
荒らす存在であるカラスは、コンビニにとってはたいへん嫌われている。それは残飯を
密閉空間で管理するようになってからも変わらない。そのことをよく知っているカラスは、
人の目があるうちはコンビニにはけっして近づかないのだ。ゆえに、ここでもやはり常時
活動しているコンビニの特性が利点となっている。
そうして冬が明けたあともその恩恵は続き、さしたる脅威もなく出産・育児を為すことが
できた。安全地帯たるこの場所は、安息で幸福な日々の要だった。

「うー♪」「うぅー♪」「うっううー♪」
多くの人間が出入りするドアの上で、れみりゃの家族は歌い、甘噛みし合い、頬をすりよ
せたりした。家族そろっての団らんができるつかの間の幸せは、それだけに格別だ。
「うー……?」
ふと、父れみりゃは自分のまぶたが重くなり、頭にかすみがかかってくるのに気がついた。
まだまだ幸福にひたっていたかったが、明日に響いては本末転倒。守るべきものが失われ
かねない。
母れみりゃが微笑んだ。後は任せて。笑顔はそう語っていた。
不安がないわけではない。でも、信じよう。信じるしかないのだから。
父れみりゃは一言では表しようもない気持ちを、母れみりゃへの口づけに込める。母れみ
りゃも口づけを返す。その光景に、子どもたちは真似をして、父に、母に、そしてお互い
に口づけしあった。
そうして幾度か気持ちを通い合わせた後、父れみりゃは子どもたちを羽で包むように抱く。
子どもたちがその身をする寄せる間もなく、そのまま眠りの世界に沈んでいった。

自分の愛する夫が眠り、抱かれた子どもたちがそれに続こうとしているのをしばらく見守
ってから、母れみりゃはそっと巣を離れた。土と草で形作られたお椀型の我が家を背に
して、目的地へと黒い羽を羽ばたかせる。
夜になっても都会は眠らなかった。夜空の星を圧倒するように、人口灯は地上のあちこち
を照らし、闇を駆逐している。れみりゃの小さな身体は明滅するように、あちこちの灯り
を受けていた。
人間の声、あちこちの店から漏れる音楽。食べ物、生ゴミ、香水、タバコなどが混然と
なった匂い。それらは地上の光と共に、れみりゃの身体を押し上げる。
と、黒く小さな何かが素早く横切る。
だが、れみりゃはちらりと見ただけで、意に介さずにパタパタと羽を動かし続けた。いつ
ものツバメであることを知っているからだ。
鳥目という言葉もあるように、夜目の利かない鳥は多く、夜間に活動するものは少ない。
だが、都会に適応し、このツバメのように街灯りを利用して採餌する鳥も現れてきているのだ。
何度もここを往復するたび、れみりゃはそのツバメを見ている。自分と同じく、生まれた
子どものために採餌に励んでいるのだろう。街灯に誘われた羽虫などを捕らえているわけだ。
わずかながらうらやむ気持ちが起こる。自分の子どももツバメのように虫を食べられる
ようなら、と。そうであれば、遠い道のりをこうして往復することもなかった。
しかし、その考えはすぐに打ち消された。詮無いことだ。虫が食べられないという状態が
現状であるならば、その状況下ですべきことをするしかない。不可能をねだっても不幸に
なるだけだ。
それに、初めのうちだけだ。いずれ子どもたちは様々なものが食べられるようになるだろ
う。そうして、自分の力でそれらを取りたいと願うようになるのだ。かつての自分がそう
であったように。
来たる日のために、母れみりゃは羽に力を入れた。後ろへ流れる風景の速さが増す。
表通りからはずれて裏手に行くと、途端に静寂が辺りを覆う。ネオンなどのけばけばしい
光はどこかへ消え、閉じられた店の看板の明かりはあるもののそれもやがて数少なくなり、
さらに進めば均等に配置された街灯が連なるばかりとなる。
ただ一匹のれみりゃが飛ぶだけの道。しばらくそれは続いた。
ふと、春を感じさせる緑の香りが鼻をくすぐる。
コンクリートの谷に街路樹が増えてきた。いや、これは庭木だ。木漏れ日のように、向こ
う側に人家の明かりが見える。
目的地は近い。花咲く庭はもうすぐだ。

その家のアンズは今を盛りに咲き誇っていた。淡いピンクが枝枝に群れて、花明かりとな
って夜に浮かんでいる。
その全体像が丸く、幻想的に、母れみりゃの瞳に映っていた。
素直にきれいだと思った。色とりどりのネオンとは比べようもないほど、静かで薄い。
けれど、比べようもないほど心に染みいって──
頭を振った。
作業を始めないといけない。花のきれいさはあとで思い出せばいい。
パタパタと夜風をはらみ、コウモリ状の羽が上下する。丸い身体は夜を飛び、花から花へ
と移動する。そのたびに、小さな花が芝生の繁茂した地面に落ちた。
ヒヨドリやメジロはくちばしを差し込んで蜜を吸うことができる。そのことで花は受粉を
するから、その点で共生関係にあるわけだ。
しかし、れみりゃはできない。蜜を採るためには花をちぎって口をつけなければいけない。
花にとっては吸われ損だ。そして、所有者である人間にとっても。
母れみりゃが子どもに与える蜜を集める時間帯を夜中にしたのは、天敵であるカラスを
避けるためでもあるが、人間の目を気にしてというのも大きな理由の一つだ。
人間のものに手を出すには、いくら注意してもしすぎることはない。
花びらがなくなって露出した付け根に口を寄せる。その味を舌で感じることはない。唾液
が出てせっかくの蜜と混じっては元も子もない。
丹念にその作業を続けていくうち、両の頬に蜜がたまってきた。そろそろいいだろう。
母れみりゃは地上に降り、落ちた花弁を幾つか食べると、またもと来た道を戻っていった。

コンビニの看板の裏に、パンの欠片が隠してある。
母れみりゃはそこに蜜をしみこませると、それでもまだ丸く張った頬を子どもたちに寄せた。
深夜であったが、小さなれみりゃたちは母の気配を敏感に察し、「うーうー」と声を挙げ
た。伸び盛りの生命力を感じさせる歓喜の声。それでも控えめなのは、寝入っている父れ
みりゃを気遣ってのことである。
少量ずつ口移しに蜜を受け渡すと、子どもたちは目を輝かせて甘みを味わう。舌を動かし、
飲み込み、また欲しいとねだる。旺盛な食欲だ。母れみりゃは、溢れる生命力に目を細め
ながら、三匹の子どもに順番に蜜を与えていった。
「うー♪」
「うっぅー♪」
ピチャピチャと舌を鳴らし、溢れそうになるよだれをすする。行儀がいいとは言えないが、
たくさん食べてくれさえすれば良いのだ。それに、自分が子どものときもそうだった。
たっぷりたまった蜜はあっという間に終わる。子どもたちはなごりおしそうに甘みの残る
母親の舌先をなめていたが、もう蜜はないのだとわかると、また父れみりゃに自分の身体
を寄せて寝息を立て始めた。現金なものだ。けれど、それは健やかに成長している証だ。
母れみりゃは再び夜空へ飛び立つ。再び子どもたちの笑顔を見るために。
今度は別の場所へ蜜を採りにいかなければならない。同じところから蜜を採り続けたら、
あっという間に木は禿げた状態になってしまう。人間に敵意を抱かれる。それだけは避け
ないといけない。
あそこの住宅街には、他にも花の咲いている庭が幾つか存在する。同じように、少しずつ、
少しだけ蜜を得よう。いつものようにだ。
深夜になり、やや喧噪は鳴りを潜めたとはいえ、種々の明かりは群れをなして消えること
はない。決して眠らない都会の一角で、長い往復が再び開始された。

まぶたに赤色の光がかかり、父れみりゃは目を開けた。
母れみりゃが巣の端に留まっている。羽を広げて、家族を包み込むように身体を覆い被せ
ている。そのすき間から朝日が差し込んでいるのだった。
羽を動かし、先端で母れみりゃの顔をくすぐった。目を覚ましたのを見て、軽く口づけを
交わすと、身を動かして場所を交換した。子どもたちがわずかに身じろぎするが、すぐま
た寝入る。
排ガスの混じった埃っぽい、それでも早朝特有の爽やかさを帯びた涼風が、身体を撫でた。
父れみりゃは顔を上げる。コンクリートタワーが林立する、その向こうから、奇跡的に
わずかな光線が届いているのだった。密集した直線の壁に生じた薄氷のようなすき間から、
細く、暖かな、力強い光が届く。
この光景が好きだった。それは多分、自分が新天地に移動した際、初めて見た印象が脳裏
に焼き付けられているからだろう。あのときの、さまざまな感情がないまぜになった、
不思議な気持ちも同時に思い出す。
今まで自分は様々な運命に翻弄されてきた。それでも奇跡的に生きてこれた。家族も持てた。
もしかすると、自分と朝日を重ね合わせて見ているのかもしれない。わずかな可能性の間
を抜けて、ここまでたどり着いたということで。
不吉な鳴き声が辺りにこだました。
父れみりゃは身をすくめる。そう、朝日が思い出させるのは良いものばかりではなかった。
羽で顔面を隠し、その影から辺りをうかがう。
再び鳴き声。遠くから響いてくる。姿はまるで見えない。とりあえずは安心のようだ。
もちろん、油断はできない。一度でもカラスに見つかったら、これまでの安息は決して戻
ってはこないだろう。
都会のカラスの活動は、朝がもっとも活発である。エサの大半はこの時間帯で得るのだ。
朝日の出現から、ゴミの回収車か多くの人通りが現れるまでが、カラスの採餌の勝負所である。
同時に、他の鳥たちにとってはもっとも危険な時間帯となる。れみりゃもまた例外ではない。
特に春は子育ての時期だ。カラスのエサに対する欲求は普段以上だろう。
日の光が透明度を増すまで、この時間をやり過ごさないといけない。
れみりゃは改めて巣の上部を羽で隠した。黒いフタが家族と自分に被さる。チラリと見た
だけでは、コンビニの屋根の影と見分けがつかないはずだ。
だが、さらに細心の注意をはらい、辺りをうかがう。息すら殺す。自分の子どもであろう
と、声を立てることすら許さない心構えだ。
父れみりゃは、それだけカラスの恐ろしさを知っていた。

かつて子どもの頃、父れみりゃは巣箱に住んでいた。人間が雑木林にいくつか作った木製
の物だ。
入り口は小さく小鳥用の物だったが、れみりゃの身体はある程度の伸縮性があるので、親
のれみりゃが中に入ることはけっして無理ではなかった。それでもさすがに五匹全員が入
ると、中はみっちりと詰まった。
振り返ってみても、片親であったときの記憶しかない。恐らくは自分が生まれてから間も
ないうちに、カラスにやられてしまったのだろう。その雑木林にはたくさんのカラスが飛
び交っていたからだ。
ゴツゴツ。ガツガツ。
くちばしが巣箱をつつく音は何日も続いた。その巣箱は真新しいものだったのだろう。
カラスはそういったものに対して壊せるかどうか確かめるらしい。首尾よく壊すことが
できたら、中のヒナや卵をあっという間に飲み込んでしまう。
やがて無理だとわかったのか、攻撃的な音は止んだ。しかし、今度は代わりにカリカリ、
コツコツという音がし始めた。
強い音ではない。軽い音だ。一方で、硬質系の音でありながら、粘りけのある執着を感じ
させずにはいられなかった。
人間は巣箱を作るとき、中の様子を確かめるために扉を設けることがある。パカッと開け
れば可愛らしいヒナや卵などが観察できるのだ。
カラスはそれすら利用する。針金をかけただけのような簡素な鍵ならば、苦もなく開いて
しまうのだ。そして、やはり可愛らしいヒナや卵を腹に収めてしまう。
幸運にも、小さな南京錠がれみりゃの家族をカラスの餌食にすることを防いだ。
音はそうして止んだ。今度こそ巣箱に触れる音さえ聞こえなくなった。
だが、危機は去ったわけではなかったのだ。
たまたま日のあるときに巣箱の穴から外をのぞくと、カラスが間近の枝に留まっていて
非常に驚いた。だが、その後注意して外をうかがうと、カラスはいなくなっていた。以降
もカラスはたびたびやってきたが、何をするでもなく、そこにいた。それだけだった。
どうやら巣箱を観察しているらしい。自分たちが出てきたところを狙っているのだろう、
そう思っていた。
れみりゃの採餌は夜に行われた。鳥目のカラスと行動が重なり合わないようにだ。だから、
カラスのもくろみは外れたはずだった。
しかし、今となっては甘い考えであることがわかる。悔やまれる。カラスがそのような
非効率なことをするはずがなかったのだ。
巣立ちの時期が来た。
自分を育ててくれた母は涙ぐみながら別れを告げ、夜の中へ消えていった。本来は巣箱の
中に残って天寿をまっとうするまで過ごすのであるが、身体の大きさは既に限界で、出入り
する度に入り口につかえ気味であった。痛々しい擦り傷があちこちに見受けられたのを
覚えている。風雨と敵の目を避ける新たな場所が見つけられたことを願うばかりだ。母と
はそれ以降会っていない。
もちろん人ごとではなく、自分を含め四匹のれみりゃも、やはり別れに涙ぐみながらそれ
でも新天地へと向けて飛び立たなくてはいけなかった。
何度か練習した羽の動かし方、飛行の仕方。恐る恐るいつものように穴の外をのぞき、
そして飛び降りる。
たどたどしくも暗闇の中に子れみりゃたちの姿が飛び交った。周りを見渡すと、同じような
シルエットがあちこちに飛び交っている。自分たちと同様に巣立ったれみりゃがたくさん
いるのだった。不安と喜びの混じった声が控えめに響く。未来を前にした者たちの声だった。
災厄は夜明けと共に来た。
絶叫に近い悲鳴が飛び交う。無数のれみりゃの声だった。
空には埋めつさんばかりの黒い影。無数のカラスの姿だった。
カラスたちは知っていた。多くのれみりゃの巣立ちがこの日に行われることを。注意深く
観察し、そのときを特定した。仲間と情報を交換し、示し合わせて集まった。そうして
この場を大食事会場と化させた。
未熟な飛行は瞬く間に捕獲され、胃の中に落とされた。幼い叫びは暴風のごとき飛行に
かき消される。無数の命が無造作に消されていった。自分もその対象だった。
どこをどう逃げたのかは覚えていない。ただ必死に羽を動かし、無軌道に飛んだ。
ひたすら逃げた。ひたすらに逃げた。逃げた。
無機質な目。野太いくちばし。大きな翼。全てが黒かった。その黒から逃げた。
耳に貼りついたように響く仲間の断末魔が、自分の絶息寸前の呼吸音に沈んでいったとき
……自分がコンビニのゴミ箱の裏にいることに気がついた。
人間の近くに逃げたことで、カラスの追撃を振り切ったのだった。
朝日が細い線となって自分の顔を走っていた。

父れみりゃはわずかに身体をずらし、下のゴミ箱を見やる。
あの裏で自分は命を長らえた。今はその上で新しい命を育んでいる。
運命の不思議さを感じた。偶然が自分をここに運び、生かした。今いる子どもたちも、
自分が生きてここにいるからこそ、生まれた。
これからどのようなことが起こるのだろう。自分に予測もできないことはどれだけ訪れる
のだろう。自分にはわかりようもなかったが、思わずにはいられなかった。
子どもたちの声が底部から響く。目覚め。
慌てて辺りを見渡したが、カラスの姿はなく、代わりに何人かの人間が前の通りを歩いて
いるのが見えた。いつの間にか安全な時間帯に入っていたようだ。
安心して子どもたちに意識を向ける。屈託のない三つの笑顔で応えられた。舌でペロペロ
とそれぞれをなめてやると、子どもたちは可愛らしく巣の中を転がったり、なめ返したり
してきた。
くぅ、と小さな音が鳴る。身体を動かしたせいで空腹感が出てきたらしい。くぅ、くぅ、
とつられるように他の二匹のお腹も鳴った。子どもたちは自分らの音に笑いあっている。
父れみりゃは巣から離れ、コンビニの看板の裏へ行った。昨夜、母れみりゃが集めた蜜が
そこに隠してあるはずだ。
あった。
自分が取ってきたパンにしっかり染みこませてある。その欠片の一つを口にくわえ、巣に
運んだ。
くわえたままパンを差し出すと、子どもたちはすぐさま寄ってきて、思い思いの場所に
吸いついた。
パンを食べることはまだできない。だが、その食欲は旺盛だ。染みこんだ蜜をちぅちぅと
吸い続け、あっという間にたいらげてしまう。
父れみりゃは乾いたスポンジとなったパンを咀嚼し、飲み込んだ。それでも甘さは残って
おり、幸せな気持ちになる。
子どもの顔をなめると、まだ食べたいような意識は伝わってくるものの、それでも満足
した様子でじゃれてきた。その小さな身体が、後ろから羽で覆われる。母れみりゃが起き
てきたのだ。
子どもたちの歌うような喜びの声。
短い家族団らんの時間が、再び訪れたのである。

父れみりゃと母れみりゃの活動する時間は、昼夜で分かれている。
ゆえに共に起きている時間帯は短くなってしまう。だが、それも育児を有利に行うための
戦略で、仕方のないことだ。
それぞれが交互に子どもたちに寄り添い、守るのである。同時に、採餌の役割も分かれて
いる。母れみりゃは、夜間に子どもたちのために蜜を集める。そして、父れみりゃは──

口を開けると、春の暖気とともに羽虫が中に入ってきた。
排ガスなどで濁ってはいるものの、それでも辺りには生命があふれている。
その一部をつまみ食いしながら、父れみりゃは目的地を目指した。ツバメやスズメなどが
あちこちで羽虫を追っていたが、自分の食物のメインはそれではない。パンだ。
子どもたちの摂取する蜜はパンに染みこまされ、ストックとして看板の裏に隠されてある。
午前・昼・午後に分けられて与えられるのだ。それでとりあえず足りる。母れみりゃの
頑張りのお陰だ。
子どもたちの食物は母れみりゃが夜に集め、自分たち親の食物は父れみりゃが昼に集める
ことにしてあった。
母れみりゃに負けず、自分もたくさんの栄養を持って帰らないといけない。父れみりゃは
決意を新たにしていた。今日もたくさんパンを集めよう。
パンは非常に有用な食物だ。食べやすく栄養価も高い。しかし、自然界には存在しない
食物でもある。
それを得られる場に父れみりゃは向かっていた。
人口の建造物の間を飛んでゆく。高く飛ばないのは天敵を恐れてのことだ。巣と同じで、
一定以上の高度ではカラスに狙われてしまうのだ。もちろん低く飛びすぎて、犬や猫に捕
らえられては意味がない。地上から届かず、高空から見えない位置を保ってゆく。
しばらく飛行すると、遠くからさえずりの響きが聞こえてきた。他のれみりゃたちの声だ。
たくさんの鳴き声が歓喜を表現していた。
どうやら始まっているらしい。出遅れないように父れみりゃは速度を上げた。
広場を狭めないよう計算されて配置された樹木。花は咲いていなかったが、緑が生い茂っ
ていた。地面の雑草はきれいにむしりとられ、濃い茶色の土が露出している。
その地面にたくさんの「欠片」がばらまかれると、それ以上の数の「球」が群がった。
「欠片」はパンであり、「球」はれみりゃだった。
パンをまいているのは老人や子ども連れの家族だ。れみりゃたちが食べるのを見て喜んで
いる。人間たちはれみりゃにエサをあげることを楽しんでいるのだ。
都市で見られる生き物としては、まだ珍しい部類に入るれみりゃ。人間が丸く愛らしい姿
を愛でるようになるのは、自然ななりゆきとも言えた。
この公園はたくさんのれみりゃが集まる場所としてちょっとした有名スポットになって
おり、連日人とれみりゃでにぎわっていた。
人間はれみりゃの姿を楽しみ、れみりゃは労せずして食物を手に入れる。ある意味で共生
の関係だ。
父れみりゃも、他のれみりゃが集まるのを見て、ここを見つけた。つがいともここで知り
合ったのだ。甘酸っぱい思い出がよみがえる。
ここで自分のようにつがいを見つけた、あるいはこれから見つける者は多いのだろう。
そう考えながら、父れみりゃはエサ獲得の輪に入った。
ふと、傍目に映ったのは、四歳くらいの幼児からエサをもらっている一匹のれみりゃ。
離れた場所にいる。大丈夫だろうか、との思いがよぎるが、何より自分のエサの方が大事
だ。視線と意識を本来の方向に向けた。
丸い身体がひしめき合っている中、パンへの期待が高まる。競争率は激しいが、いつもの
通りにやればいつものようにパンは手に入る。父れみりゃは落ち着いていた。
地面のパンがれみりゃたちによって全てたいらげられる寸前、父れみりゃは上を向く。
すると、新たなパンが上からばらまかれた。そこを狙って、父れみりゃは軽くジャンプし、
首尾良くパンに食らいついた。
大急ぎで咀嚼し、飲み込む。次に、地面に落ちたパンを探す。ここからは押し合いだ。
頬が潰れる。隣のれみりゃの頬も潰れていた。反対側のれみりゃも、ぶにぅと潰れている。
結局、地面のパンは他のれみりゃとちぎり合いをして半分になってしまった。まあ、よく
やった方だろう。とにかく競争率の激しい中で、地面のパンを手に入れるのは難しい。
全てのパンが地面から消える寸前、父れみりゃはまた上を向いた。大抵のれみりゃは最後
まで地面しか見ていない。だから、その点で父れみりゃはアドバンテージを得ているわけだ。
もちろん人間によって、パンのまき方にはパターンがある。全てのパンが食い尽くされて
からまく人間もいるのだが、父れみりゃは今パンをまいている老人のことをよく知って
いた。いつもこの老人からパンを得ていた。
人間は鳥たちを個別認識はしない。だが、鳥たちの中には人間を個別認識できる者もいる。
たとえばカラスは、子育て中、不用意に縄張りを侵した人間を忘れず、それ以降は近づい
ただけで威嚇する。誰なのかを覚えているのだ。
父れみりゃもある程度の認識はできた。この公園に来る全ての人間は無理にせよ、いつも
ここに来るこの老人のことはよく知っていた。
やや薄くなった白髪頭の、鼻の右側に二つのほくろがあるこの老人は、毎回同じパターン
でパンをまく。
その認識力は、父れみりゃに大きな恩恵をもたらしていた。今回も十分なエサを手に入れ
ることができそうだった。
突如、叫び声があがった。
老人の手が止まり、顔がそちらへ向く。れみりゃたちも同じ方向を見た。
叫びは人間のものとれみりゃのものだった。
先ほど傍目に見た、幼児と一匹のれみりゃだった。
れみりゃはたくさんのカラスに襲われている。幼児はその光景に泣き叫んでいた。幼児の
親の姿は見えない。幼児はただ泣き叫ぶだけで、れみりゃはどんどんついばまれていく。
父れみりゃは何ともいえない気分になった。不安が的中してしまった。
あのれみりゃは遠巻きにしているカラスらに気づかなかったのだろうか。他のれみりゃ
たちがいない中、自分だけが幼児からパンをもらえることに違和感を感じなかったのだろうか。
全てを把握したうえで、あらゆる危険性を承知のうえでエサを得ていたのならよかったが、
そうではなかったようだ。
カラスたちは知っていた。幼児にカラスを追いはらう力がないことを。だから、タイミング
を見計らっていた。パンを横取りすることを。そして、ついでにれみりゃもエサとして
しまうことを。
今や哀れなれみりゃの身体は、あちこちが破れ、中身が漏れていた。必死で逃げまどい、
泣き叫ぶが、周りを取り囲まれて逃げられない。執拗に攻撃を受けて続けている。
「うーうー」という鳴き声はトラフズクに似ている。フクロウに脅威を感じる鳥に
対してなら、ある程度威嚇の効果はあるかもしれない。だが、カラスに対してそれは
かえって逆効果だった。カラスはフクロウに対して猛烈な敵意を抱いているのだ。
そのことにも無知なれみりゃは、当然のごとく死の穴へ転がっていった。食欲と殺意
に基づいた、圧倒的な暴力を浴びせられながら。
誰も助けない。れみりゃがあそこに近づくことは、地獄へ飛び込むことと同意だ。
人間も近づかない。とりあえずは問題ないからだ。幼児は泣いているだけ。カラスに
危害を加えられている様子はない。……れみりゃの生死はもともと眼中にない。
ようやく幼児の親が駆けつけたときには、カラスもれみりゃもその場からいなくなって
いた。パンの入っていた空の袋だけが落ちていた。

帰り道。
十分に栄養を摂取し、母れみりゃの分のパンを口いっぱいに頬張って、父れみりゃは飛ん
でいた。
このパンを母れみりゃに渡したら、また公園に戻って、別の人間からパンをもらうのだ。
今回はいつもよりたくさん取れたから、備蓄が増えるかもしれない。
幸せな気分の中、カラスの犠牲となったれみりゃのことが脳裏をかすめる。
危険は、死は、いつも身近にある。たとえ周りのれみりゃたちが、無条件にたくさんの
食物を得られているからといっても、それは変わらない。あのれみりゃは理解できていな
かった。あくまで頼りになる人間のそばにいるから安全なのだ。天敵を避けられるのだ。
コンビニという自分の巣の設置場所も同様だ。人間がいるからこそ天敵を避けられる。
幸せだからといって、安穏としていてはならない。現況を過信してはならない。
自分の力だけではどれほどのこともできないのだ。
やがて見られるであろう、パートナーと子どもたちの笑顔を想像しながら、父れみりゃは
気を引き締めた。

帰ってくると、見慣れたいつものコンビニ。だが、
巣がなくなっていた。
見間違えた。
そう思って、見返してみたが、なかった。
土と草でできた巣があった場所には、ただ白い壁があった。
母れみりゃと子どもたちのいた場所は、ただ空白だけがあった。
頭は真っ白になっていた。何が起きたのかわからなかった。
口の中のパンがボロボロ地面に落ちた。その落ちた先に、何かがあった。父れみりゃは
ようやくそれに気づく。気づいてしまう。
泥と、何かの汁と、さらに得体の知れない何かが混じり合った物体。ぐしゃぐしゃのそれ。
父れみりゃの羽は急速に力を失い、身体は地に着いた。
それが何かを認識したがゆえに、事態は空虚に頭を流れていった。
叩き潰された家族だった。
巣と共に無造作に破壊され、形を失っている。もう何かもわからない、ただの塊になって
いる。汚物と化している。
うめきともつかない声が、身体の奥底から響く。自分が発していることさえ認識できない。
まるで予想もできない出来事に、れみりゃの思考は停止していた。
だから、そばに人間がいることも知覚できなかった。蹴られる直前までわからなかった。
衝撃。
丸い身体は転がり、通りの中央に出た。

れみりゃにはわからないことだったが、コンビニの店長が替わったのだった。
それまでの老齢の店主が、自分の息子に経営を任せることにしたのだ。
人間が変われば、当然、考え方も変わる。
これまではツバメを保護する延長で、れみりゃも大事にされてきた。しかし、そのツバメ
ですら人間に排除されることもある。生きている以上必ずフンは出る。それは美観を損ね、
病原菌の発生源となり、人にも掛かるものとして、嫌われるものだ。れみりゃの排泄物も、
ツバメのと同様に嫌われた。それで処分された。あっさりと排除された。
人間は天敵を退ける。人間がいるから天敵を避けられる。
だが、人間こそが最大の天敵でもあるのだ。それは全ての生物に共通した事柄だ。

地面を通して、重い振動が身体を流れる。痛みでどこも動かない。激痛が身体を拘束して
いる。何かが近づいていた。
遠ざかる意識の中、薄れる視界に、迫るトラックの太いタイヤが──
れみりゃの思考はそこで絶たれた。















れみりゃは目を開ける。
意識は途絶えることなく、自らが横たわるアスファルトを知覚していた。
──生きている。
羽を恐る恐る振る。喪失していたと思っていた身体は、いまだ存在していた。蹴られた
痛みは残っていたが、それ以外はどこも傷ついていなかった。
通りは車専用の道路でもないため、車の速度は遅くなる。突然れみりゃが飛び出してきて
も、トラックが軌道をそらすことは不可能ではない。また、れみりゃの身体は小さい。
少なくとも車輪の間、車の下をくぐり抜けられる程度には。
トラックはれみりゃを踏みつぶしはしなかった。れみりゃを見た運転手がとっさに車を
そらせ、小さな身体をタイヤの餌食にすることを防いだのだ。
コンビニの新店主は車の運転手に謝っただろうか。だが、それでも蹴ったれみりゃを保護
することはしなかったようだ。運転手も事故を起こさなかったことだけに気があり、れみ
りゃには特に意識を向けはしなかったらしい。
れみりゃは通りに転がっていた。
まばらに通る人間たちが自分を避けて歩いている。ただの障害物として一匹の小動物を
認識している。
れみりゃは再び羽を動かした。今度は飛ぶために。
力なく、だが、やがて飛び立てるほどに羽は強く振られた。
れみりゃは飛ぶ。
つがいは死に、三匹の子どもたちも死んだ。自分は一人きりになった。これまでの、そし
てこれからの幸せは泡のように消えてしまった。
だが、それでも生きなければならない。生きなくてはならない。
生きることが生き物の目的だからだ。けっして捨ててはいけない行為だからだ。
そして、もう一つ。
流れる涙を飛沫と散らし、れみりゃは小さな身体で羽ばたき、飛んだ。
新たなパートナーを見つけ、新しい命を育む。
それもまた生き物としての本分だった。
喪失の苦しみを思い出すことになるかもしれない。だが、考えてもしかたないことだった。
やらなければいけないことは、やらなくてはならない。
やるしか、ないのだ。
運命がどのような生をこの先れみりゃにもたらすのか、それは誰にもわからない。
れみりゃはただひたすらに飛んだ。
この都市の一角で。





参考文献
唐沢孝一『都市鳥ウォッチング』講談社(1992)
唐沢孝一『早起きカラスはなぜ三文の得か』実業之日本社(1995)
鉢瓜乗子『罪を憎んで人を肉まん』美鈴書房(1192)

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最終更新:2022年04月15日 23:56