まりさはその日も人間を罠にかけてケラケラと笑っていた。
まりさの罠の技術や逃げ足はさらに熟練していきもはや人間に簡単に捕まえられる相手ではなかった。
その間にも他のゆっくり達は食料を求めて畑を荒らし人間はその退治に追われる。
妖怪はいちいちそんなことに干渉はしない。
まりさをどうにかできる勢力はどこにもなかった。
まさにまりさの天下だった。

だがそんなまりさを追いかける人間が居た。

「まりさあああああああああああ!!!」
少年の叫びが森を振るわせた。
力強い瞳で、少年はまりさを見据えていた。
「やっと…やっとみつけた…!!」
「ゆ~?こどものあいてなんてめんどくさいよ~
ゆ~ひゅ~~♪」
「ゆっしゃー!」
「ゆっくりなんてさっせないよ~~!」
まりさが口笛を吹くと、付近からゲスまりさたちが次々と現れた。
まりさはゆっくりの間ではもはや悪のカリスマ的存在であり
付近のゲスまりさの一部はまりさにあこがれて付き従うまでになっていた。
ゲスまりさたちはまりさに事前に言われていた通りに仕掛けた罠を発動させた。
「うおおおおおお!!邪魔だあああああああ!!」
しかし少年は罠を掻い潜ってまりさに一直線に突っ込んだ。
その鬼気迫る表情に、まりさは一瞬殺されるかと思ってたじろいだ。
「ゆ…やば…」
手下達に任せたのがまずかった。
未熟な手下達の罠はことごとくタイミングをはずして少年の前進を許した。
草木を踏み抜きながら少年の突進は続く。
「ゆひゃあ!?」

手下のゲスまりさが一匹、罠に使った蔦を引っ張られて木の枝から落ちて少年の目の前に落ちた。
「ひ、ひいいいいいいいいいいい!?」
誰もがそのゆっくりは死ぬんだと思った。
まりさもそう思った。
少年の気迫はそう思わせるだけのものがあった。

「どけよ!次邪魔したらたたじゃおかないぞ!」
少年は軽く蹴ってそのゲスまりさを進路から退かした。
まりさたちはぽかんとその光景を眺めた。
「まりさあああああああああ!!お前だけは!お前だけはああああああ!!」
少年は、少年の憎しみはまりさだけを見ていた。
まりさだけに少年の想いは注ぎ込まれていた。
他のどのまりさでもない、まりさだけを少年は見ていた。

まりさの目から意識せずに涙が頬を伝った。

「母さんの仇いいいいいいい!!」
「ゆ」
肉薄する少年に気付いて、まりさは慌てて逃げ出した。
一度逃げに回ればもはやこの森でまりさに追いつけるものは居ない。
まりさは一目散に少年から逃げ出した。

「畜生…畜生…」
まりさを見失って半刻程過ぎた頃
少年はやっと諦めて立ち止まった。
地面に膝を付いて、拳を握り締めて地面を何度も叩いた。
「お前だけは僕の手で殺してやるぞまりさああああああああああああああ!!!」
少年の雄たけびが森に響き渡った。


「ゆうううん…ゆうううううん…!!」
まりさは自分だけに向けられたその叫びを聞いてボロボロと永い間忘れていた涙を流した。
少年の叫びがまりさの胸を揺さぶった。
彼だけはお兄さんとも、群のゆっくり達とも違う。
少年にとって、まりさの代りは他に居なかった。
他のまりさは母の仇ではないのだから、彼にとって重要なのは本当にこのまりさだけだった。
本当にまりさ自身のことを見て相手をしてくれたたった一人の男だった。

「ゆ゛う゛うううううううううううううううううううううううううううん…!」


それから、まりさはその少年だけを付けねらって罠に仕掛けるようになった。
その度に少年は全力でまりさに向かっていった。
しかしまりさは油断せずに少年を罠にはめて、その姿を見てケラケラと笑った。
たまにあの里の男も太い腕を振り回しながら少年を手伝ったが物の数ではなかった。

少年は寝食も忘れてまりさを倒そうと奮闘した。
里のみんなはそんな少年を心配しながらも応援し見守った。

それでもまりさは捕まらなかった。
だからずっとその追いかけっこは続いた。

まりさが少年にかまけるようになって、ゆっくり達の群も少しずつ元通りになっていき
畑を荒らすゆっくりも減って、まただんだんと平和になっていった。

お兄さんと野原でかけっこしたときの様に
れいむと一緒に仕事の合間に蝶を追って遊んだときの様に

まりさは本当に幸せな日々を過ごした。

本当に、本当に幸せな日々だった。


その日も、まりさは少年に追われていた。
いつもは里の男辺りが一緒についているか、誰かが近くで様子を見ていたりするのだが
その日はたまたま少年とまりさの一対一だった。
「ゆーふっふっふ、のろまでぐずなおにいさんじゃまりさにはおいつけないね!
とってもゆっくりしてるね!!!」
「糞…今日こそ…今日こそは…!!」
少年は懲りずにまりさに向かって木の棒を掲げて立ち向かった。
慎重に慎重をきしてまりさへ向かう道を選んだ。
しかしそこには少年の考えを見透かしたかのように罠が仕掛けられていた。

少年は蔦に足を取られ、先に結んである石が落ちて引っ張られて

そして、頭を地面埋まっていた石ころに打ちつけて、動かなくなった。

「ゆ…?おにいさん?」
まりさは警戒しながらそっと少年に近寄ってその頬に顔を押し付けた。
「はやくおきてね、いくらゆっくりしてるっていわれたからってゆっくりしすぎだよ!
はやくおわないとまりさまたにげちゃうよ!」
必死に頭を揺するが、少年は動かなかった。
「おにいさん…?おにいさん?おにいさん!?おにいさんおにいさんおにいさん!?」
まりさがいくら呼びかけても少年の意識は戻らない。
まりさが体を押すたびに仇がすぐ近くに居るのに何もできないことを無念そうに髪が揺れるだけだった。
「お゛に゛い゛ざんお゛ぎで!!おぎでよおおおおおおおおお!!!」
全く意識の戻らない少年に、遂にまりさは泣きだした。
「い゛や゛ああああああ!!お゛に゛い゛ざんお゛ぎでよ゛おおおお!!
ぢゃんどお゛ぎで!ぞれ゛でま゛り゛ざのごどをみ゛で!!ま゛り゛ざどお゛っがげっごぢでええええええ!!」
まりさにも少年が危険な状態にあることがわかった。
まりさは、少年を助けたかった。



「うひゃあ!?」
ざわざわと動く茂みに月のウサギ、鈴仙・優曇華院・イナバは驚いて尻餅をついた。
「あら、野生のゆっくりね」
赤と紺色の奇抜ないでたちの女医、八意永琳は茂みから出てきたそれをみて何一つその表情を変えることなく言った。
「全く…人騒がせですねえ」
鈴仙は立ち上がってスカートに付いた土を手で払いながら言った。

「お、おねえざん!お゛に゛い゛ざんをだずげで!!」
そんな二人を見るなりまりさは必死に頼み込んだ。
その体は枝葉が体を裂くのも省みず森を突っ切ってきたのがわかるくらいズタズタで痛々しかった。
「あ、こいつこの辺りの人間に悪さしてるゆっくりですよ!
前里に薬を売りにきたとき聞いたんです」
「そうなの」
鈴仙の言葉をどうでもよさそうに聞き流しながら永琳はそのまま歩き出そうとした。
「お゛ね゛え゛さ゛ん!お゛でがい!お゛に゛い゛ざんがげがぢでおぎでごないの!
だずげで!だずげで!!」

「師匠、こいつきっと騙す気ですよ」
鈴仙は永琳に彼女なりにそっと耳打ちした。
「ま゛り゛ざはどうなっでもいいがら!!お゛に゛い゛ざんを゛だずげでぐだざい!
おでがいじばずう゛!!」
鈴仙の言葉を聞いて、なんとか信じてもらおうとまりさは自分の身をなげうって二人に頼み込む。
人間ならば土下座しているだろうというくらい体を折りたたんで頭を下げた。

「ふうん」
当の永琳は、どうでもよさそうにまりさを一瞥すると
鈴仙に持たせていた薬箱をその手からほいと奪い取ると
「私は患者の所に行って見るから、うどんげはそのゆっくりを持って先に里まで行ってきなさい
それでゆっくりの処分は里の人に任せちゃってちょうだい」
そう鈴仙に命じ、まりさが通った餡子の散らばる獣道を指してまりさに尋ねた。
「患者は…この餡子の跡を行けばたどり着けるのかしら?」
「え、あ、はいわかりました師匠」
「あ゛り゛がどう゛ございまず!あ゛り゛がどうございばずうううう!!」

まりさは鈴仙につかまれながら涙ながらに感謝の言葉を口にした。


まりさは鈴仙に連れられて、里のゆっくり処理場へと連れられてきた。
「すみませーん、悪いゆっくりが居たんで持ってきたんですけど~?」
「!?そ、そいつは!!おいあんた!!」
「うへぇ、なんかまずかったですか?」
ゆっくりを見せた途端、筋骨隆々の男に詰め寄られて鈴仙はうんざりしながら尋ねた。
「いや、よくぞ生け捕りでつれてきてくれた…ほんとにありがとう
捕まえたゆっくりはとりあえずそこの檻に入れてくれればいいから」
男は竹で編んだ籠を指差した。
「はあ、それじゃあ私はこれで」
鈴仙は肩の荷が下りたとばかりにさっとまりさをその籠に入れて永琳を迎えに里の入り口へと向かった。

「よう、探したぜ」
男はまりさに目一杯すごんで言った。
「ゆ…」
「覚悟は出来てるんだろうな
お前だけはあの坊主の手で仇をうたせてやらなきゃ俺も気がすまねぇぜ!
なんせお前はあの坊主の母ちゃんの仇だからな!
お前さえ余計なことしなければよぉ!!」
里長に注意されていたものの、辺りに少年がいないことは分かっていたので男は
べらべらと思っていたことを口にした。

「あのおにいさんの…そっか、あのときのふくろが…」
まりさはうつろな目でそう呟いた。

その時、里の入り口の方から伝令の男が走りながら叫びまわった。
「大変だー!里のハズレの坊主がゆっくり追って怪我して運び込まれたぞーー!!」

男はそれを聞いて血相を変えた。
「!?んな、ぼ、坊主が…!てめぇ!坊主にもしものことがあったら俺の手でブチ殺してやるからな!!」
男は捨て台詞を吐いて少年が運び込まれるであろう医者の所へと走っていった。



「先生!坊主は!?」
「これ、病院では静かにしなさい」
ぺちんと木の杖で脛を小突かれて男は飛び上がった。
「あいだだだだだ!!す、すみません里長…ってだから坊主は!?」
「もう大丈夫みたいです、何も心配ないですよ」
医者の男は男を安心させるようにそう言った。
医者の言葉を聴いて男はほっと胸を撫で下ろした。
「さすがっすね先生、いよ!この稀代の名医!」
男は医者をべた褒めし始めたが医者の方はいやいやと手を振って否定した。
「私は何もしていませんよ、運び込まれた時には彼女が全て処置した後でしたから」
そう言って医者は少年の傍に座っていた永琳の方を見た。
男はその珍妙ないでたちを見て面食らったものの、襟を正して頭を下げた。
「こ、この度は坊主が世話になって…ほんとうになんとお礼をいっていいやら…」
「いえ、里のほうから正規の治療費は頂くので別にお礼なんて結構ですよ」
「いやいや気持ちの問題ですから」

「ほっほっほ、これこれお礼もあまりしつこく言うと逆に迷惑ですよ」
「す、すみません里長…」
全力疾走でここまで来て汗だくだくの男の臭いを永琳が微妙に嫌がっているのを察して
里長はさりげなく彼を傷つけないようにたしなめた。

「それで坊主は…」
「もう傷も治りましたからすぐにでも元気に歩けますよ」
男の問いに永琳はこたえた。
「よかった…ほんとうによかった…」
男は目を潤ませて、はっと気付いて腕で目を拭った。
「ただ…」

「う…ん…」
永琳が何かを言おうとすると同時に少年が目を覚まして体を起こした。
「おお坊主!」
「元気になりましたか!?」
「え、あ、はい、大丈夫です
っていうか何かあったんですか」
少年はきょとんとしながら周りに尋ねた。
「森で倒れていたところを、そちらの八意先生に助けられたんですよ」
里長が少年に何があったのかを掻い摘んで話した。
「森といやあ…坊主!遂にあの黒い奴が見つかっあいだだだだすみません里長ぁあああ!!」
男は言いながら少年が病み上がりの今言うべきではなかったと
足の甲を木の杖の先でぐりぐりされながら気付いた。
しかし気付いたときには時遅し
「黒い奴…ああゆっくりの?」
「え、あーいやその今のは無かったことに…」
ひいひいと足の甲を撫でながら男は少年に言った。

「聞いてしまった以上仕方ありませんね
私も事情は既にそちらの八意先生から聞いてだいたい理解しています
先生方、彼の体はほんとに大丈夫なんですか?」
里長はやれやれと首を振りながら永琳に尋ねた。
「ええ、飛んだり跳ねたり走ったり、肉体の方は何をしても問題ありません」
「八意先生がそう言うなら間違いないでしょう」
永琳と、医者の男はそう応えた。
「なら、行って君の好きなようにしなさい」
そう言って里長は自分の持っていた木の杖を手渡した。

「行くか、坊主?」
「ゆっくり処理場ですか
はい、行きます、行かせてください」
男の問いに少年はためらわずに答えた。
「これ、ありがとうございます」
そう言って少年は里長から木の杖を受け取り、病院を出て行った。



「ゆっくりしていってね!」

里の処理場について、さきほど籠の中に放り込まれたあのまりさの
ゆっくりしていってね!
を見聞きして男はとても驚いた。
少年の母親の仇で人々を困らせたゆっくりである。
何度かあって憎たらしい奴だと思っていた。
しかし今目の前に居るまりさは確かにあのまりさにも関わらず
少年を見て無事を確認して本当に嬉しそうにゆっくりしていってね!と言ったのだ。
ゆっくり嫌いのこの男にも、まりさが本当にゆっくりしているのだということがわかった。
「…なんか拍子抜けするぜ…」
男は座りが悪そうに呟いた。
「一応、その辺を汚さないように捕まえたゆっくりは下の座敷牢の中で潰すことになってるからよ
これ、その座敷牢の鍵だ
開ける時中の奴を逃がさないように気をつけてくれよ
座敷の中のゆっくりは一応見せしめにゆっくり達に見せ付けて殺すようにとってはあるんだが
別にその場で潰しちまっても構わないから、どうせすぐにゆっくりがつれてこられていっぱいになって潰すし
まあ要は適当にやってくれていいってこった」
男は南京錠の鍵を少年に手渡した。
「はい、気をつけます
それじゃ」
少年は淡々とまりさの入った籠を抱えると建物の地下の座敷牢へと歩いていった。

その後姿を男は複雑な面持ちで見守った。
少年が地下へと吸い込まれていくのを見届けて、男は何かに耐え切れなくなって外に飛び出した。

「あうあっ!?」
そして、建物の前でうろうろしていた優男にぶつかった。
優男は男に弾き飛ばされてその場に転がった。
「あ、すまんすまん」
「いてて、気をつけてくださいよ…はぁ」
優男は腰を擦りながら、なにやら疲れきったみたいに建物の壁にもたれかかって座り込んだ。
「どうした?怪我でもしたか?」

優男は首を振って否定した。
「ゆっくりってなんなのか…わからなくなっちゃって…」
優男は力が抜けたみたいにぼーっと空を眺めている。

「なんかあったのか?」
「飼ってたゆっくりまりさが…いつのまにかゲスまりさになってたんです…
あんなにいい子だったのに…うぅ…」
「濡れ衣とかじゃねーのか?」
「いえ、完膚なきまでに証拠もずらりと、しかも俺の目の前で現行犯で捕まってるし…」
「そりゃ、弁解の余地はねぇな…」
男は額から汗をたらして呆れた。

「本当に、すごくいい子だったんです…なのに、突然
ゆっくりなんてみんなゲスなのかなって…ゆっくりが信じられなくなったって言うか…
それで処理場に連れられてって、未だにわけがわからないから最後に一目あって
本当にあの子がいいゆっくりなのかゲスなのか見極めたくて…
でもやっぱり怖くって…」
優男は途方にくれて溜息をついた。
「そっか…まあ俺にだってそんなのはわからねぇわ
ゲスなゆっくりなのか、いいゆっくりなのか
一目見て簡単にわかったらいいのになぁ…」
男はあのまりさの本当にゆっくりしたゆっくりしていってねを脳裏に浮かべながら言った。

男はどうすればいいのかわからなかった。
多分馬鹿だから。

優男の方も本当にどうすればいいのかわからなかった。
残念なことに頭が弱いから、多分この男の方が救いが無い。

二人は日が暮れるまでぼーっと建物の脇に座り込んで、そのうち職員に注意されてどこかへ行った。



建物の地下室にて、少年は座敷牢の鍵を開けて中に入った。
そして籠の中のまりさを取り出して地面に置いた。
隣では、あのまりさと入れ替わって優男の所に飼われていたあの悪いゆっくりまりさがガタガタと震えて怯えていた。
「おにいさん、さいごにいい?」
「…命乞いなら聞かないぞ」
少年は冷たくそう言い放つ。
まりさはふるふると首を振って言った。
「ちがうよ、おにいさんにごめんなさいと、ありがとうをいいたいの」
「…?」
少年はきょとんとしながらまりさを見つめた。
「おにいさんのふくろをかってにとって
おにいさんのおかあさんにひどいことして、ごめんなさい
おにいさんのこといっぱいいじめて、ごめんなさい
さとのひとたちにいっぱいめいわくかけて、ごめんなさい

それから、まりさのこと、いっぱいかまってくれて、ありがとう
まりさのこと、ちゃんとみてくれて、ありがとう

まりさをつぶしたら、もうふくしゅうはわすれて

おにいさんのゆっくりをみつけてゆっくりしていってね!」

まりさは悲しげだけど、精一杯ゆっくりした微笑みを浮かべながら
本当に本当にゆっくりした心からの謝罪と感謝の気持ちを述べた。
まりさの心はお兄さんに飼われていたときやれいむとゆっくりしていたときと同じ
いや、まりさの生きてきたなかで一番ゆっくりしていて素敵な気持ちになっていた。
「………」
少年は何も言わずに木の棒を振り上げた。

そして、ぶんっ、という空を切る音と共に


まりさの隣に居る、あの優男に飼われていた頃のまりさと入れ替わった悪いゆっくりまりさを叩き潰した。








「部分的記憶喪失…ですか?」
「ええ、そういうことになります
突然のことでしたから、機材不足で…」
里長は永琳の説明を聞いてごくりと息を呑んだ。
「すみません、言う機会を逸してしまっていて
もっと早く言うべきでしたわ」
「いえ、我々も勝手に話を進めていってしまって…」
里長は頭を下げる永琳にいえいえこちらこそと頭を下げた。

「それで、それによる身体的な問題は…?」
医者の男が訪ねた。
「それは前に言ったとおり全く問題ありません」
永琳はそう言い切った。
「ふむ、となるとどの辺りの記憶が失われているかですが…」
「それに関しても、これから私のところで継続的治療を行えば回復します
ですから余り心配なされなくても結構ですよ、治療費は頂きますが」
永琳は淡々と事情を説明していった。

「ふむ…その部分的記憶喪失というのは放っておいても生活に支障は…?」
里長は永琳に尋ねた。
「ええ、生活に支障の出るような記憶の喪失は無いと思いますが」
「ど、どういうことですか里長?」
医者の男は何故里長がそんなことを言うのか分からずに尋ね返した。
「さっき、彼の様子が少しおかしかっただろう?
あのゆっくりへの執着が弱いというか」
「そういえば…いつもあのゆっくりへ向かっていく時のぎらぎらした執念が無かったような…
私はふっきれたのかなと思いましたが」

「私もそうかと考えたがどうにも違和感があってな
八意先生の話を聞いてやっとわかったよ
彼は多分あのゆっくりまりさとその周りの記憶を失ってる
彼にとっては辛い記憶でしょう
忘れられるなら忘れさせてあげたいんです」

「なるほど…」
医者の男は感嘆して頷いた。
「私は彼のことは良く知りませんので、彼に親しい里の方がそういうのでしたら」
「ええ、よろしくお願いします」
「わかりました、それでしたらとりあえず様子見ということで
もし困ったことがあったら薬を売りに来る私の部下に言伝してください
それでは私はここで」
永琳は椅子から立ち上がってぺこりと会釈した。
「本当にありがとうございました」
里長と医者の男も深々と頭を下げた。




ろうそくの明かりだけが周りを照らす暗い暗い座敷牢にて。
「…ゆ…?」
まりさは何が起こったのかわからず自分の横で餡子をぶちまけて潰れているゆっくりまりさを見ていた。
「おにい…さん…?」

「なにいってんのかよくわかんないけどさぁ…」
少年は冷め切った、本当に冷め切った表情で、座敷牢に居るまりさ『達』を見下ろした。
「僕はお前らゴミクズみたいなゆっくりがなんでか無性に腹立つから潰したいだけなんだよ
黒いのは特にムカツクかな」
少年は冷たい笑みを浮かべて、獲物を品定めするように座敷牢を見回した。

「ゆ…?なにを…いってるのおにいさん、おにいさんはまりさのことを…」
少年が何を言っているのかを理解できずにまりさは呆然とその光景を見つめた。
「だずげでええええええええ!!」
耐え切れずに一匹のゆっくりまりさが座敷の奥へと逃げ出した。
「あはは!まずは逃げる奴からだぁ!!」
少年はそのゆっくりまりさを追いかけながらまた木の杖を振り上げた。
「ゆげぇ!?」
すぐに追いつかれてそのゆっくりまりさは潰された。
「いやあああああああああ!!」
「たすけてえええええええ!!」
「ゆっくりできないいいい!!」
「あはははははははははは!!」
狭い座敷牢の中では逃げられるわけも無く、捕まっていたゆっくりたちは次々と潰されていった。
「たのしいなあこれ!たのしいなあ!!」
少年はケタケタと高笑いをし始めた。

「おにいさん!ちがうよ!そのゆっくりまりさたちはまりさじゃないよ!!
おにいさんがつぶしたいのはまりさだよ!そのまりさたちじゃないんだよ!!」
まりさは必死に少年に訴えかけるが、ゆっくり潰しに夢中になっている少年には届かない。

「お゛に゛い゛ざん!ま゛り゛ざのごどみでよ゛!ぞっぢの゛は゛ま゛り゛ざじゃないのおおおおおおお!!」

少年の部分的記憶喪失は確かに母の死とそれに関わるゆっくりに関する記憶を欠落させた。
だが、それに伴うゆっくりまりさへの憎しみは消えることは無く
根拠となる記憶を失った憎しみはゆっくりへの生理的嫌悪からくる憎しみとすりかえられた。
少年が憎む相手はまりさから、ゆっくり全体になったのだ。

「ま゛り゛ざを゛!ま゛り゛ざをぢゃんどみ゛でええええええええええ!!!」
まりさの叫びが座敷牢中に響き渡る。

「ふぅ…あ、まだ一匹残ってた」
「ゆ゛…お゛に゛いざん!ま゛り゛ざだよ!わ゛がるよ゛ね!?」
少年はまりさ以外のゆっくりを全て叩き潰してから思い出したかのようにまりさをみた。

「さーて、こいつもとっとと叩き潰して畑の周りのゆっくり叩き潰すかなー」
「ゆ…あ…」

まりさは悟った。
既に少年にとってまりさがその他大勢のゆっくりの一匹にすぎないことを。
「い、いや…」
それを悟ったまりさの心の中に湧き上がった感情は悔いだった。
このまま、他といくらでも代用の効くただのまりさのまま終わりたくない。
誰でもいい、誰かの大切になりたい。
ちゃんと、まりさのことを他に代わりの居ないまりさとしてみてくれる相手が欲しい。


「い゛や゛だあ゛あ゛あああああああ!!
だれ゛がぢゃんどま゛り゛ざを゛み゛て゛よ゛お゛お゛お゛お゛お゛おお゛お゛!!!
ごのま゛ま゛じにだぐな゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛!!!!」


「だぁ~め♪」
他のゆっくりを叩き潰したのと同じように
本当に楽しそうに少年はまりさのことを叩き潰した。




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最終更新:2022年05月03日 15:37