16スレ目
>>125
>>128

「ということで、まりさが先に好きな方を選ぶといいよ」
 優しいお兄さんは、ゆっくりまりさに選択の権利を与えた。
 お兄さんが用意した遊び道具は二つ。
 ひとつは玩具の拳銃。もうひとつは弓である。
 もちろん、ゆっくりであるまりさには、このふたつが何かはわからない。
「さっきも説明したけど、この武器を使っての狩りゴッコだ。ルールは――」
「わかってるよ! さきに『こうさん』っていったほうがまけだよ!」
「そうだね。よく覚えていたね」
「おにいさんばかなの? そんなことにかいもいわなくてもわかるよ!」
 まりさの“馬鹿”発言に対し、お兄さんは怒りを覚えることは無い。
 ゆっくりにもわかるように、ルール説明は簡潔におこなった。二回ではなく何度も。
 だから、ゆっくりが話を理解したのなら、それは望むべきことであり、怒ることではない。



「それじゃあまりさはこっち!」
 まりさは迷うことなく弓を選んだ。
 この弓は、ゆっくりにでも使えるようにと、お兄さんがサイズと重量を考慮した手作り。
 竹を割り、火であぶってしならせ、日用道具屋で買った合成繊維を弦に使った一品。
「それはお兄さんの手作りなん――」
「ゆっ!!」
 選ぶと同時、まりさは、口にくわえた弓で、お兄さんの脚を叩いた。
 人の話など聞いてはいない。
「ゆっ! ゆっ! ゆっ!」
 まりさの掛け声、それともうひとつの音、
 ばしばしとお兄さんの脚を弓で連打する音が響く。
「……まりさ?」
 ばしばしとお兄さんの脚を弓で連打する音が響く。
 返事がないようなので、お兄さんはもう一度まりさに声をかけた。
「じゃましないでね!」
 が、返って来たのは抗議の声だけだった。ばしばしという音は続く。
「うん、そうじゃなくてね」
 そう言われてもなお叩き続けたまりさであったが、煩わしくなったのか、
 呆れたような表情を見せた後、弓を口から放し、叩く作業を一時中断させた。
 そして、まりさは親が子どもに語るように、
「わからないおにいさんだね! だんまくはぱわーとりーちだよ! ゆみのほうがつよいよ! じょうしきだね!」
 そんなことも分からない馬鹿なお兄さんは、その小さくて軽い拳銃で戦うといいよ、と見下した態度。
「そうじゃないんだ、まりさ。それもあるけど、約束した開始の合図がまだだね?」
「ゆ!? じゃあさっさとしてよね! おにいさんはほんとうにぐずだね!!」
 そうだねとお兄さんはうなずく。じゃあ合図をいくよ。

「ゆっくりしていってね!!!」



 取り決めてあった開始の合図、一人と一匹の声が同時に響いた。
 直後、その余韻を打ち消すが如く、ばしばしとお兄さんの脚を弓で連打する音がする。

「おにいさんゆっくりしていってね!!!」
「ていこうはむだだよ!」
「まりさがすっきりするまでおにいさんぎぶあっぷしないでね!」

 言いたい放題である。
 それ以外の時は弓をくわえ、お兄さんのに叩きつける。マイペース。
 お兄さんはお兄さんで、
「うん。ゆっくりしているよ」
 と暢気に石を椅子代わりにして座り、玩具の拳銃をいじりながら、空を見上げている始末。こちらもマイペース。
 いい天気だ。夏の陽射し、夏の風。
 寺子屋に通う子供たちは、仲のいい友達と集まって、森や川へと冒険に繰り出しているのだろう。
 そんな彼らの笑い声と夏という季節が、お兄さんを少年時代の遊びへと駆り立てた。
 いい天気だ。お兄さんはそう思いながら、胸ポケットに入れた小さな紙箱を取り出す。

 『カネキャップ弾 8連発×12リング 入り』

 取り出した箱にはそう書かれていた。もっともゆっくりは字が読めないので関係のない話ではある。
 まあ、読めない以前に、お兄さんが行った動作に対して、まりさは露ほどの注意も払ってはいなかったのだが。

 ばしばし
 ばしばし
 ばしばし

 ひたすらに弓での打撃を繰り返す。
 お兄さんのことなど関係ないと、ゆっくりまりさはマイペース。
 このゆっくりは、自分に危害がおよぶなど、カケラも考えていない。一方的な攻勢しか信じていない。
 これは決して驕りではなく、まりさにその想像力が欠如しているためだ。
 ゆっくりブレイン――誰がゆっくりを責められようか。むろんお兄さんに責める気は欠片も無く、

 ばしばし
 ばしばし
 ばしばし

 単調なBGMを耳に、お兄さんは箱からリング状のモノを取り出し、玩具の拳銃にはめる。
 ああ、なんて懐かしい感触だろうか、童心に――
「おにいさん! まりさはそろそろつかれてきたよ! さっさとぎぶあっぷしてね!!」

 パンッ

「!?」
 突然の軽い烈音。ゆっくりまりさは、それに身をすくませ弓を落とす。
「…………」
 音の発生源は、お兄さんが手に持った玩具の拳銃。音だけの拳銃。
 その拳銃が火薬を炸裂させた音だ。拳銃から薄く煙が立ち上り――
 懐かしい匂いが、中断させられた過去の記憶に浸る行為を再開させる。
 ……とはいえ、その記憶に浸っている場合でもない。
 ので、目の前で固まったままのゆっくりに声をかけた。
「ゆ? ……ゆゆ! びびびびび、びっ゛ぐり゛ー!!!」
「やや、まりさを驚かせてしまったね」
 いきなりだったけど、そんなに驚くとは思わなかったんだと言い訳だけを述べる。
「まりさをおどろかせたつみはばんしにあたいするよ! ゆっくりできないおにいさんはしんでね!」
「今、死ぬのは嫌だなあ……」
「じゃあゆっくりしんでね!!!」
「それも困るなあ……」
 少しも困ったような表情ではない。
 その表情に、まりさは(生意気にも)不快感を覚えたが、お兄さんは拳銃握ったまま手放さない。
 さすがのゆっくりブレインでも、あれが音の発生源だとわかる。
 まりさを驚かせた失礼な武器だ!
「でもまりさのぱーふぇくとゆっくりぼでぃはきずつかなかったけどね!」
 ゆふふんとその場にのけぞる、まりさ。まんじゅうが転がったようにしか見えないが、
(胸を張っているつもりなんだろうか?)
 訊ねる気はないので、そういうことにしておこうと、お兄さんは雲を仰ぎみながら思う。
 あの雲、龍みたいだなあ。そういや子供の頃にも似たような形をみたなあ。あの時ははしゃいだっけか。
 ああ、本当にいい天気だ。
「おにいさんのぶきはへなちょこだね! がっかりうえぽんだね!!」
「そうかい」
 この玩具の拳銃と弾は、駄菓子屋が減ってからというもの、一部の土産物屋などでしか見なくなったものだが、
 最近は100YENしょっぷなどで気軽に手に入るようになり、お兄さん的には嬉しい品であった。
「でもまりさはかんだいだからこうかんしてあげるよ!」
「……どういうことだい?」
 さきほどまでディスっていた品を交換するという提案に対し、当然の疑問を返す。
「ゆゆ! ほんとうにばかだねおにいさん!」
「そうかい」
「そうだよ! あたまがかわいそうなおにいさんにおんしゃだよ!
 びゅーてぃふぉーまりさがこうかんしてあげるよ! そのがっかりうえぽんとまりさのごーじゃすうえぽんをだよ!」
 よかったね! もっと感謝してよね! とこちらの答えを聞かずに武器を交換する気だ。
 現にこっちの拳銃をくわえて引っ張り自分の物にしようと奮闘中。
 片手とはいえ、人間の力には勝てず、奪えないでいるが。
 ああ、弓に飽きてきたのだな――とは欠片も思わない。……ことにした。
 鼻息荒く挑むまりさから発せられる、生暖かいナニカがお兄さんの手の甲に当たる。
 鼻息荒くと雰囲気重視で表現したものの、実際は鼻息ではないだろう。
 ゆっくりの鼻などみたことがないし、第一鼻息をかけられては気持ち悪い。
「なにしてるの! はやくぶきをすててね!! のろま! ぐず!」
 何故か罵られた。まりさ種は特に口汚いというが、度が過ぎる気がしないでもない。幻聴だろう。
 幻聴なら無視しても良かったが、生暖かい不快な何かが手にかかるのは事実らしく……。
 まあゆっくりまりさが、そうしたいというのならと、お兄さんは快く交換に応じる。
 拳銃を渡したところで害はないだろう。玩具であるし、音がするだけ、弾は出ない。
 ……ひょっとすると火薬の爆発で火傷をすることがあるかもしれないが、変な使い方をしなければ大丈夫だ。
「一応、注意しておくよ。これには火薬が――」
 親切心からの言葉の途中で銃はひったくられた。
 相手はゆっくりであるからして、こういう事は既にわりきっている事と、続きを告げる。
「ええっと、キミ達は口を使うだろうから――」
「ゆっ!!!」
 弓が綺麗な弧を描いて、飛んだ。
 ――そうそう、今の弓をくわえて投げたみたいに、口を使うから……。
「ゆっゆっゆ~♪ おにいさんのぶきはあっちだよ! ゆっくりひろってきてね!!」
 笑顔のまりさ。
 お兄さんは先ほど同様、笑顔ではなく無表情。
 まりさはそれを面食らっている状態だと、ゆっくりブレイン的に解釈し、より一層の笑顔をみせる。
 爽やかとは程遠笑みだ。夏だというのに悲しい話だ。
「わかったよ、まりさ。でも銃の使い方は分かるかな?」
「ゆゆ!? ばかにしてるの!? まりさをばかにしてるの!?」
「してないよ。で、分かるのかい?」
「おとがなるよ! じょうしきだよ!」
 さっき見たからわかるよ! とまりさ。
 お兄さんは空を眺め――そして、まりさに視線を戻した。
「鳴らし方は?」
「そんなこともわからないのおにいさん! ばかなの? おにいさんほんとうにばかなの?」
 うんうんと、お兄さんは三度頷き、
「わかるんだね」
「わかるわけないよ! さっきみたばっかりだよ!? おにいさんがばかななのはゆっくりりかいしたよ!!」
「なるほど」
 お兄さんも理解した。
「さっさとつかいかたをおしえてね!」



 お兄さんは、まりさに拳銃の構造と使い方を教えた。時間は30分とゆっくりめにかかった。
 銃を持って説明すれば早かったのだが、まりさが嫌がった。
 自分のものだという意識があるのか、それとも相手に武器を渡したくないからなのか。
 それに加え、距離を置いて説明させられた。おかげで部品の説明が面倒だった。
 遠くで説明するのなら、ついでに弓を拾っていいかい? とお兄さん側から訊ねてみたが、
 相手が武器の性能を把握している間に、もう一方が準備するのは卑怯だと罵られた。
 ので拾うのは止めた。
 そなこんなで30分。
 半分近くが内容の繰り返しで、もう半分がまりさの罵声だった30分間。
 お兄さんは笑顔ではなかったが、怒った顔でもなかった。
 ただ最後に、火薬で火傷する危険性を、まりさに教えておくべきだと思い、火薬の詰った新品のカネキャップ弾を1リング取り出して――
 踏みつけた。
「!!!」
 複数の烈音の後、お兄さんは爆発した火薬で黒ずんだ靴の裏を見せる。
「こういう風になりたくなければ、銃をくわえちゃ駄目だよ?」
 お兄さんは体験派だったが、実演ですませる場合もある。
 再び火薬の炸裂音で固まっていたまりさであったが、復帰するとさっそく銃を使おうと動き出す。
 お兄さんは、言うべきことは言ったと、弓のほうに歩いていきながら、
 ――あ、まりさはアレが音しか出ないことを、最後まで理解していなかった気がする。
 と思ったが、まあ大丈夫だろうと、意識を切り替えた。まりさだし。



「ゆ! ゆ! ゆ! ゆっ! ゆっっ! ゆ~~~~~~っ」
 まりさは、顔を真っ赤にしながら(……顔ってどこまでだ?)、舌を必死に伸ばしている。舌で引き金を引くつもりだ。
 頑張れまりさ。とお兄さんは心の中で応援する。弓を拾うついでに。
 玩具の拳銃とはいえ、舌で引き金を引くのは難しいだろう。頑張れまりさ。
 火傷するかも、と釘をさしているので、口でくわえる事も、のしかかって抑える事もせず、銃は地べたに置かれている。
 つまり、まりさは純粋に舌“だけで”で引き金を引かなくてはならない。ますます頑張れまりさ。
「ゆ~~~! ゆ~~~!」
 引き金を舌で引くために、試行錯誤するまりさは頑張っているといえる。
 今なんか横にごろりと転がりながら、地べたに向かって舌を伸ばしているではないか。

 うわぁ

 傍から見て、実に滑稽な姿。そんな事を意に介さず、事に挑んでいるのが、まりさだ。
 頑張っているじゃないか。とても真似できないよまりさ。頑張れ。と、お兄さんは心から思う。
 まりさはゆっくり頑張っているようなので、お兄さんは弓の近くに落ちていた枝を物色し始めた。
「ゆ! ゆ! ゆ! ゆっ! ゆっ!? ゆ~~~っ!」
 今度のBGMは、さっきより五月蝿いが、脚から聞こえない分、多少は心地よい。頑張れまりさ。
 ふと疑問が湧いた。
 まりさは舌を伸ばし続けているわけだけど、つったりしないのか?
 というか、ゆっくりの舌はつるような構造なのか?
 そこら辺で、お兄さんはその思考を切り止めた。そういうのは学者の仕事だ。
 お兄さんはお兄さん。お兄さんが今すべきことは、狩りゴッコ。どきどき童心タイム。
 拾った枝の中から、いい塩梅にまっすぐなものを選び、弦につがえ――
「まりさー」
「なにおにいさん! じゃましないでね!!」
 射った。
 躊躇い無く放たれた矢の代わりの枝は、まりさの真横に落ち、軽く跳ねた。
 純粋な矢でないこと。水分の少ない軽い枯れ枝を選び、加工もしていないのだから、こんなものだ。
 だが故意に外したとはいえ、射られた相手はたまったものではない。ゆっくりならなおのこと。
「――っ!? なにするの!? あたったらあぶないよ!」
「危ないね、まりさ。でもちゃんと外しただろう?」
 というか、あれだ。まりさはゲームのルールを覚えているのだろうか。
 いや覚えてはいるのだろう。ただ、相手に攻撃されるという事柄が、無条件にないと思っているだけで。
 あるいは、ゆっくりブレインのメモリは貴重であり、非ゆっくり的な事柄は登録されていないのか。
 実にどうでもいいことなので、結論だけにした。
「まりさは幸せなゆっくりさんだなあ」
「なにいってるのおにいさん! それにいまのははずれたっていうんだよへたくそだね!」
 頬を膨らませ、ぷんぷん怒ってはいても、ゆっくりとは幸せなモノらしい。哲学的だ。
「うんじゃあ外した」
 わざとだ。
「ぷんすぷんす! おにいさんさっきからふかいなふいんきをだしてるよ!」
「そうかい」
「ゆっくりはんせいしてね!!!」
「雰囲気か、難しいことを言うよね」 
「はんせいしてないよ!」
「そうかい」
「そうだよ!」
 そうなのかー、と両腕を外側にして水平に伸ばすことはしなかった。
 はいはい、わろすわろす。平静を保って、魔法の呪文を心で唱える。わりとオススメだ。
「あとひきょうだよ! じゅんしんなまりさをだましたね!」
「……騙した?」
 何か騙すようなことがあっただろうかと、お兄さんは首をかしげる。
 卑怯なこともした覚えがない。ひょっとすると先ほど枝を飛ばしたことだろうか?
 その線もない。何故なら一声かけた上で、あまつさえ外すように射ったのだ。
「ふいうちしたよ!」
 まりさの意外な発言。お兄さんは純粋に驚いた。不意打ちって言葉を知ってるのか。言ってるだけかもしれないが。
「ゆみのつかいかたもうそをついてたよ! しんでわびてね!」
「死ぬの?」
「さっきのやりかたをおしえてからしんでね!」
 ゆっくりの言うことは複雑だなあと、このことを寺子屋の子供達に教えてあげれば、夏休みの宿題にするだろうか?
 しないか?
 そのことは後に回すとして、お兄さんは目の前にいる、ゆっくりまりさに弓の使い方を教え始めた。
 もちろん、弓の使い方を知っているって言ったよね、とは言わなかった。



 弓の使い方を教えるのに、さほど時間はかからなかった。
 拳銃の使い方を教えるのに比べて、だが。
 使い方を教えた相手といえば、聞くだけ聞いたとばかりに、話の途中で動き出した。
 枝を数本と弓をくわえ、スリーステップでお兄さんとの距離を取る。
 賢く機敏なまりさは、ノロマなお兄さんの隙を見事についたのだ。
 ――というつもりなのだろうと、お兄さんは慣れた表情で、ゆっくりまりさの次の行動を待った。
 まりさは、いそいそと枝と弓を足元(……足?)に置き、ふぃーと一息を付いた後、

「おにいさんばかだね! ぶきをてばなすだなんてのうがゆっくりしすぎだね! ばかだね!」
「かしこいまりさはこのゆみでおばかなおにいさんをやっつけるよ!」

 勝利宣言のようなものをした。
 ……しかし、たかが3歩跳ねただけで一息つくのか。あ、機敏に動いたからからなのか。気分の問題かな。
 まりさの恐るべき勝利宣言を前に、お兄さんは自分にとってどうでもいいことを、ゆっくりと考えていた。
 その無防備な姿を逃すまりさではない。既に攻撃態勢に入っている。
 地表に飛び出した岩の一部に弓をひっかけ固定し、枝と弦をくわえ射撃準備。
 ――ゆっくりとは本来、攻撃的なものである。
 ゆっくりは基本的に防御を考えないイケイケだ。
 自分のやりたい事は通って当然であり、自分に害は降りかかるという考えには至らない。
「ゆっゆゆゆゆゆゆゆゆ……」
 馬鹿なお兄さん。
 まりさは弓を引きながら、己の頭脳の明晰さと、人間の愚かさに浸っていた。
 まりさは賢い。この勝負を相手が申し込んできた時に、既に勝敗は決していた。
 その上で、相手は武器を手放し、まりさは人間の武器を手に入れた。
 なんという巧妙な駆け引きだったのかと、自分の策に酔いしれる。
 この狩りゴッコが終わったら、ゆっくりの群れに弓を持って帰ってやろう。
 他のゆっくりでは、この弓を使いこなすことはできない。まりさこそが英雄だ。
 人間も、どんなゆっくりも、自分には勝てない。
 あの人間は『こうさん』といったら負けだと言っていた。
 まりさは賢いので覚えている。それなのにあの人間は何度も繰り返した、馬鹿なのか?
 馬鹿は可愛そうだとまりさは思ったので、謝ったら相手の負けでいいことに決めた。
 謝 っ て も 許 さ な い け ど ね !
「ゆっゆゆゆゆゆゆゆゆ……ゆーっ!」 
 限界まで弓を引いたまりさは、口から弦を離す。
 その口は自然と笑みを作っていた。己が信じる未来が約束されたものの笑みを――



「――ゆべぶわっ!?」
 だからこそ、この痛みの原因がなにか理解できなかった。
「ゆべぶわわわぶも!?」
 枝が飛んでいく。望まぬ方向へ。意図せぬ方向へ飛んでいく。
 自分も飛んでいる。苦痛とともに飛んでいる。
 空を舞いながら、不可解な状況に混乱していた。
 何故? 何故? 視線の先に映る枝も何故あっちに飛んでいくのだ?
 その考えがまとまるよりも先に、まりさは地面に叩きつけられた。
「ぶべっ!?」
 めまぐるしく襲い掛かる不条理。まりさが思い描いていた未来とは程遠いこの状況。
 それでなお、まりさのブレイン、ゆっくりブレインはこの状況に対して、最適な解を導き出し、その解通りに動く。

 どういうこと!? ゆっくり説明してよね!!!

「ごひゅーごひゅー! ゆぶぶべべべびぼーっ!?」
 まりさにとって当然の権利である非難であり質問は、お兄さんには届かなかった。
 言葉になっていなかったというべきか。
「……っ!?」
 自分は何を言っているのだと、まりさは愕然としながら、更なる状況の説明をお兄さんに求めるべく、体を動かす。
 叫んだ先にお兄さんの姿がなかったこともある。
 そういえば、自分は空を舞って、先ほどとは別の場所にいるのだ。
 何故そうなったのかわからないが、そこまで理解が届いた自分はやはり賢い。残りの説明は人間にさせればいい。
 どこだ、そのお兄さんはどこだ。視線をめぐらせながら、体を動かそうとするが――動かない。何故!?
「大丈夫かい、まりさ?」
 大丈夫なわけがない! ゆっくりしてないで理解してよね!!!



 お兄さんはさっぱり理解できていなかった。
 何故?
 何故だろう。何故、あのまりさはあんなことをしたのだろうか?
 弓は教えたとおり固定した。
 確かにまりさは弦と枝をくわえて引っ張った。間違ってはいない。
 ただ固定した弓の内にその身を置いて、くわえた弦を外側に押す形で引っ張ったのは何故なのだろう。
 お兄さんの理解を超える行動。まりさにはまりさの考えがあるに違いないと、お兄さんは何も言わなかった。
 お兄さんは相手の自主性を重んじる。
 相手に背中を見せながら、弓を射るという珍しい芸当を見せてくれたのなら、見守るしかない。
 遊びとはいえ、勝負の最中に別の遊びに興じるとは、ゆっくりとは本格的ゆっくり派であるようだ。
 その珍芸も終わったようなので、お兄さんは見守るのを止め、芸の駄賃にとまりさを抱え上げた。
 ゆべふゆべふと、先ほどの興奮が冷めやらぬのか、言葉にならない叫びをあげている。
 どうやら何かを探しているようだったので、探し物の方向へ向きを変えて地面に下ろしてやった。
「あれだろ、まりさの探し物は?」
「――ゆべっ! ゆ、ゆぶべべふぇ? ゆべっゆっ!?」
 ごろんと転がった、まりさの下半身。
 やはり探し物はこれだったようだ。まりさは発見に感情と身を震わせている。
 なに、お礼はいらない。その反応だけで充分だ。
 下顎を切り取るように、弦によって口から底部へと斜め下に割かれた下半身。
 泣き別れになり中身を覗かせる下半身との感動の再会に、まりさは涙を流す。
 邪魔をするのも無粋だと、お兄さん自分の作業を行うことにした。
 枝を拾い、それを短く折る。ズボンのポケットから取り出した短刀で、枝先を削る。
 短刀でまりさを驚かしてしまうかもと思っていたが、杞憂だったようだ。
 まりさは下半身を眺めるので忙しいらしい。
 お兄さんとしても、短刀でまりさをどうこうするつもりはなかった。
 短刀はあくまでも加工用の道具であり、狩りゴッコの武器ではない。
 お兄さんの武器は、玩具の拳銃と、カネキャップ弾と、現地調達した枝を短く折り削って尖らせた小さな杭だ。
 まりさがゆっくりしていてくれたおかげで、杭を十数本作る余裕ができた。
 が、まりさを待たせるのも悪い。今度はこちらが芸を見せる番だ。
「まりさ」
「ゆばばふぉっ!?」
 一声かけると、まりさの怒気を孕んだ声が返って来た。やはり待たせたの悪かったらしい。
 こちらを睨む眼光に銃口をあわせる。

 ――なんなの?――

 とまりさの瞳は物言うようであった。
 怒りの中に蔑みがあった。自分より高い存在を見上げる瞳は、それでいて見下すようであった。
 なんとまあ矛盾を孕む存在なのだろうか、ゆっくりは。
 2秒で忘れ去るような感想を抱きながら、お兄さんはこれだけは理解していた。
 この拳銃は音しかでないと、まりさは思っている、と。
 ではサプライズだ。お兄さんの芸をみせてあげよう。
 銃口の先に、小さな杭がはめ込まれている理由を教えてあげよう。

 パンッ

 引き金が引かれ、まりさの予想通り音が鳴り――予想を超えて痛みが来た。
「ゆぶーっ!? ゆぶぶぇっ!?」
 まりさの左目から光が消え、それと引き換えに激痛が与えられる。
 宙を舞ったときのように、中身をぶちまけながら叫ぶ。
 予想外だったのはお兄さんもだ。
 のたうちまわるかと思ったが、まりさはそんな無様な姿をみせず震えるのみ。
 我慢強いねまりさ。頑張れまりさ。下半身も応援しているぞ。
 二発目の杭を銃口の先に詰めるついでに、まりさを鼓舞する。
 杭の太さは拳銃の口径に近い。隙間ができると困るからだ。
 杭を飛ばす原理は空気鉄砲と同じ。きっちりと栓をしてるからこそ成り立つ。
 音を鳴らすのは火薬によって爆ぜた空気。その音と空気は銃口を通って出て行く。
 だから銃口の先を杭で栓をしてやれば、出口を求めた空気が吹き飛ばしてくれるというわけだ。
 しっかりと杭で栓がされているのを確認すると、お兄さんはまりさにも確認を求めた。
「まりさ、続けるかい?」
「ゆびゅひゅびゅひゅぶっ! ゆびゅひゅびゅひゅぶっ!」
 『こうさん』とは返ってこなかった。勝負を続ける気らしい。
 お兄さんとしては、『こうさん』でなくとも、まりさが謝ればそこでゲームを終わらすつもりであったが、
 まりさはゲームの続行を望んだ。お兄さんとしてはその意思を尊重する他ない。
 ゆっくりは強情であると聞いていたが、なるほど最後まで意地を通す気概に溢れている。
「わかったよ、まりさ」
「ゆぶっ!」
 この表情は、遅いよ馬鹿なお兄さん! といったあたりか。いや邪推過ぎる。勝手な想像だ。
「パワーもリーチもない小さな銃だけど、お兄さんは最後まで善戦するね」
「ばびぶぶべっぼがぼあっー!?」
 ダミ声で叫ぶ姿に、まだ充分な体力があることが読み取れる。頑張れまりさ。
 しかし、体力・意思ともに充分であれ、これは狩りゴッコ。武器がなければ意味が無い。
「ちなみに弓はあそこだよ」
 指し示す方向はまりさから4m程度の距離。なに、ゆっくりでもすぐの位置だ。
「それとも一度、戦術的撤退をするのかい? ま、どちらにせよ走らないと。ハリーハリーまりさ」
「がぼひゃぶびゃびゃーっががっ!」
 今の返答からは、どちらを選んだのかは読み取れなかったが、まりさは移動する気配をみせない。
 つまり、まりさは、“どちらでもない”ことを選んだわけだ。
 ナイスガッツ。いいガッツ。退く意思はなく、媚びる意思はなく、省みることのない継続する意思のみを感じる。
 ――狩りを続けよう。
 引き金に意思を宿す。ゲームの継続を望む相手とあらば躊躇いはない。
 少年の頃、この杭打ち拳銃で人を狙ったことはなかった。生き物を狙ったこともない。
 それは今も変わる事がない。大人になって分別がつくようになったから余計にだ。
 この銃口を人間に向けることはない。生き物にも向けることはない。
 ゆっくりは人間でも生き物でもない。銃口を向けることに一片の躊躇いはない。
 第4ラウンド。その仕切りなおしに、開始の合図があってもいいだろうと、取り決められた言葉をお兄さんは口にする。

「ゆっくりしていってね」



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最終更新:2022年05月03日 18:33