「ゆ? ゆゆゆゆ?」
子供ならば難なく引き上げることができるが、同じサイズの親れいむとなると、相当難
しい。じっとしているならともかく暴れているのだから尚更だ。
「ゆっ! れ、れいむ、うごがないでね! じっとしででね!」
親まりさは悪戦苦闘して引き上げようとするが、どうしても上手く行かない。それに引
き上げることができても、この帽子には大人ゆっくりは二体乗れない。
「ゆゆっ、そうだよ!」
親まりさは、ぽよん、と傍らに浮いていた板切れに飛び移った。こちらの方が帽子より
も広いし安定している、ここかられいむを引き上げようというのだ。
賢明な判断である。
「ゆっ……ゆっ……ゆっ!」
真ん中よりも少しズレたところに降りたので、板はグラグラと揺れたが、端っこではな
かったこともあり、なんとかバランスを取ることができた。
さあ、れいむを助け出そうと棒を引っ張るが、重い。先ほどよりもずっしりと重い。れ
いむの体が水を吸ってしまっているのだ。
「ゆぐぐぐぐぐ……」
親まりさは必死に棒をくわえたまま、ずーりずーりと移動して引っ張り上げようとする。
耳には絶えず、
「ゆぴゃあああ、たじゅげでええええ!」
「おぢょーじゃーん!」
という子れいむと子まりさの悲鳴が聞こえている。早くれいむを助けて、二匹の子供も
助けなければ、気ばかりは急くものの、上がらない。それどころか、少しでも油断すると
親まりさの方が水中に引きずり込まれそうになる。
結論から言ってしまえば、もうこれだけ水を吸って重くなった同サイズのれいむを、こ
の状況で助け出すことは不可能であった。
ここで採り得る最良の手段は、れいむを早々に諦めて子供たちを助け出すことであった
ろう。ゲスなまりさならば躊躇なくそうしただろうが、この親まりさはゲスとは程遠いま
りさであった。
やがて、れいむが動かなくなった。動けなくなるぐらいに体力を消耗したのだと思って
まりさはますます焦るが、それと同時に、棒にかかる重みがやたらと軽くなった。きっと
暴れなくなったことによるものだろうと親まりさは考えたが……。
「ゆっ!」
ようやく、引き上げることができた。
そこで親まりさが見たものは、体の下半分が消失している番のれいむの死体であった。
動かなくなったのは、既に死んでいたからだ。
「ゆ゛わあああああ! れいぶぅぅぅぅ!」
愛する番の死に泣き叫びつつ、水面を見る。親れいむが動かなくなり軽くなって、引き
上げられそうだと希望を見出して夢中になっていて気付かなかったが、いつしか子れいむ
と子まりさの悲鳴が聞こえなくなっていた。
「お、おぢびぢゃぁぁぁぁん!」
大きな親れいむが死んだのだ。それより小さい子ゆっくりたちは、体全体が溶けて死ん
でいた。皮と髪の毛と、目玉がぷかぷかと浮いていた。
「ゆぴぃぃぃぃ、おぎゃーしゃーん!」
「まりじゃのいぼうとがあああああ!」
「れいみゅのおねえじゃんがああああ!」
「やじゃよぉぉぉ、まりじゃ、あんなのやじゃよぉぉぉ!」
親まりさの帽子に残った四匹の子ゆっくりも声を限りに泣き叫ぶ。
「あーあーあーあー」
「あららら」
「でかいれいむと子供二匹が死んじゃったかー」
固唾を飲んで見守っていた少年たちは、残念そうに言った。何度も言うが、彼らは決し
てゆっくり一家が死ぬのが見たいわけではなかった。親まりさが子供を颯爽と助けたよう
な、救出劇が見たかったのである。
「あいつらどうする?」
「助けるか」
「ちいさいのも板に移させてから、釣り針を板に引っ掛けて引っ張ればいいんじゃね?」
と、少年たちはさして罪悪感など感じてはいなかったが、それでも生き残りの親まりさ
たちを助けようとは考えた。
だが、ぽつり、ぽつり、降って来た滴を腕や顔に感じて空を見上げる。
空は、いつしか真っ黒の暗雲が立ち込めていた。
「やべえ、夕立来るぞ!」
「おれんちまでダッシュだ!」
と、ここからは一番家の近い少年が言った。
「おお、行こう!」
他の二人も同調し、走り始める。すぐに大粒の雨が盛んに降り出して家に着く頃には三
人ともかなり濡れてしまった。
一方、川に浮かぶ板切れと帽子に残されたゆっくりたちにとっては、大粒の一滴一滴が
死そのものであった。
特に小さな子ゆっくりにとっては、一滴が一弾。濡れて柔らかくなった皮が水滴を防げ
なくなると、瞬く間に体を削られて行ってしまう。
「おぢびぢゃんだぢ! ごっぢにぎてね! おどうさんのおぐちにはいっでね!」
親まりさは口にくわえた棒を子供たちに向ける。
「ゆ゛っ!」
一匹の子れいむが、その先にかじりついた。
親まりさは、まずはその子れいむを引き寄せようとするが、
「ずりゅいぃぃぃ! まりじゃもぉぉぉぉ!」
子まりさがその子れいむの尻に噛み付いた。必死なので、力加減は一切無しの全力だ。
「いっぢゃいぃぃぃぃ!」
ひどい状況ではあるものの、これで頼れるお父さんまりさの近くへと行けると安心して
いたところにいきなり襲ってきた激痛である。子れいむはとてもこれに耐え切れず棒から
口を離してしまう。
二匹仲良く落下した子れいむと子まりさは、親まりさの帽子のツバから僅かに外れて、
水面に落ちた。
「ゆゆっ! おぢびぢゃん!」
親まりさはすぐに棒を差し出して救出しようとする。しかし、このゆっくりまりさとし
ては十分以上に賢く身体能力のある親まりさも、帽子が無い状態で既に大粒の雨を大量に
受けてしまっている。子供よりも分厚い皮もとうに固さを失って所々に穴が開き、そこか
ら餡が染み出している。
その最悪のコンディションの中、今日何度も行っている棒によるレスキュー活動で遂に
ミスを犯す。目測を誤って子れいむを棒の先端で突いてしまったのだ。
雨と川水で既に皮がふやけていた子れいむは、その一撃を眉間に受けて死んだ。めり込
んだ棒に両目が押しやられて左右に飛び出して、もっとゆっくりしたかった、と言う暇も
無かった。
「ゆ゛ええええん! おどーじゃん、にゃにずるのぉぉぉぉ!」
「おぢょ、おぢょーしゃんが、れいびゅのいぼうどをぉぉぉ!」
帽子に残っていてそれを見ていた子れいむと子まりさが、信じられない光景に絶望の声
を上げる。子供たちはこの親まりさを信頼するあまりに過大評価をしていて、親まりさが
そのようなつまらないミスなどするはずがないと思っている。そうなると当然、それは故
意にやったと思ってしまう。
「ゆ゛ぅ、ごがいだよ! ぢがうよぉぉぉぉ!」
親まりさの体に続いて精神も限界を超えた。水中で助けを求める子まりさのことなど忘
れて、自分を非難する子供たちの誤解を解こうと喚き散らす。そうしている間に、子まり
さは溶けてしまった。
「おぢびぢゃんだち、ごっぢにぎてね!」
なんとか最低限の冷静さを取り戻した親まりさは、残された二匹の子供だけはなんとか
助けようとするが、既に親まりさを危険な存在を思い込んでいる子供たちは、差し出され
た棒をくわえようとはしなかった。
「おぢびぢゃん、おねがいだがら、ぞれにつがま゛っでね、おどうざんのおぐちにいれて
あげるがらね」
「ゆ゛ぇぇぇん、ぎょわいよぉ、いぢゃいよぉ……」
「じにだぐにゃいよぉ……もっぢょ、ゆっぎゅぢ……じぢゃがった……」
夕立が去った時、親まりさは、まだ生きていた。
皮はあちこち破れ、餡子が溶け出していたが、それでも中枢の餡子がなんとか無傷だっ
たのだ。消耗は激しく、まともに跳ねられる状態ではなかったが、なんとか生きてはいた。
「まりざの……おぼうじ……」
棒を使って、なんとか帽子を回収する。
「……ごめんね……おぢびぢゃん……ごべんねぇぇぇ」
そのツバに張り付いている皮と髪に、親まりさは悲痛な声をかける。結局最後まで、差
し出された棒を掴むことなく溶けて死んだ子れいむと子まりさの成れの果てである。
「……少し、かわかさないとね」
帽子を被らずに傍らに置く。
全身が痛いような痛くないような変な感覚だった。右目は見えない。左目はなんとか見
える。その左目の視界で、何かが動いた。
丸くて白いもの、右側にちらっと見えて、板の上で一度跳ねて、ちゃぷん、と水に落ち
た。目の周りが溶けて支えるものが無くなって落ちた右の眼球なのだと、遂にまりさは理
解しないままだった。
「うお、きめえ」
「グロいなあ、ゆっくりか? これ?」
「まりさじゃない? 横にそれっぽい帽子あるし」
家族を全て失い、右目も失ったまりさは、あれからすぐに意識を無くしていた。その意
識が覚醒したのは、人間の声によってだった。
「ゆ゛ぅ……」
「うわ、びっくりした!」
「え? なに? これ、生きてんの?」
その場にいた二人の少年は、どちらも驚いていた。それに目をつけられてしまったゆえ
にまりさが家族を失うことになった三人の少年よりも少し年上の、中学生ぐらいの少年た
ちだった。
まりさが気を失っている間に、いつのまにか板切れは風で起きた流れに運ばれたのであ
ろう。川辺に乗り上げていた。それを通りがかりの彼らが発見したらしい。
「ゆっくりって、真ん中の餡子が無事なら死なないって聞いてたけど、マジだったんだ」
「すっげえなあ、生命の神秘だなあ」
「ゆ゛ぅ……だずげで……」
まりさは、助けを求めた。もう自分では少しも動けない上に、右目に続いて左目もよく
見えない。眼球そのものこそ残っていたが、視力は既にほとんど無かった。
しかし、これで運良く助けてもらったところで、一体なんになるのか。
家族もいなくなった。
自分は動けない。餌も取れない。人間にしろゆっくりにしろ、こんな状態の自分の面倒
を見るような奇特なものがいるとは思えなかった。
まりさは、賢いゆえに、それをゆっくりりかいした。
「え? なに? なんて言った?」
だから、少年がそう言って耳を近づけて来た時、さっきとは違うことを言っていた。
「ご……ろじで……まりざを……ご、ろ、じで」
と。
「なんだって?」
「……いや、なんか、殺してくれって言ってるみたい」
「え……」
「こいつもわかってんだろう。こんなんじゃもう生きていけないって」
「そうか……」
「ゆっくりってどうやったら死ぬんだ。いや、そりゃ川に放り込んでおけば死ぬんだろう
けど、あんま苦しまないようにやるには」
「その、真ん中の餡子を一瞬で潰してやればいいんじゃないか」
「そうだな」
少年たちはあれこれ思案して、まりさが乗っていた長方形の板切れを使うことを思いつ
く。
まりさの頭の上に、何かが乗ったが、それを感じることができる感覚ももはや乏しい。
人間が何か言っているようだが、それも聞こえない。
「よし、しっかり押さえててくれよ」
「おう」
まりさの頭の上に乗せた板切れの片端が地面に着けられ、それを少年の一人が軽く踏み
つけている。その少年はもう片方の少年に比べて大柄で体重も重そうだった。
「よし、いくぞぉ……おい、すぐに楽にしてやるからな」
「足首ひねるなよ」
「ああ……よし、いくぞ!」
「おう」
小柄な方の少年が飛び、浮き上がっている方の板切れの片端に体重を乗せて着地する。
大柄な少年は、その瞬間に板を踏む足に全体重を預けた。
既に微かにしか残っていなかったまりさの精神は、その体とともに四散した。
少年たちは、川に入れておけば魚が食べるだろうと、板切れを使って飛び散ったまりさ
だったものをできるだけかき集めて川に流して去っていった。
川辺には、黒いとんがり帽子だけが残されていた。
終わり
今まで書いたもの
2704~2708 死ぬことと見つけたり
2727 人間様の都合
2853・2854 捕食種まりさ
2908 信仰は儚きゆっくりのために
2942~2944 ぎゃくたいプレイス
2965 ゲロまりさ
最終更新:2024年04月08日 18:34