出窓に座り半分曇った窓ガラスの透明な部分から外を覗いたら、今夜の月は丸いとわかった。
電気の点いていない部屋の中より外の方が明るいのは
真っ黒なはずの夜空がちらちら降る雪の白さに照らされた上、その中で黄金色のでかい円が輝いているからだろう。
満月は闇夜と同じくらい好きだ。隠れる影が濃くなるし、
(昔から変わらないポケモンと人とに通じる本能なのかは知らないが)
それが暗いか明るいかに関わらず、オレの好む重たくて旨い感情が増える気がする。
何の気無しに窓ガラスにぺたりと手を触れると、ちょうどオレの体温と同じくらいの冷たさだった。
あんまり寒くはねーが今夜はここから出ない方がいいな。
いくら誰が好き好んで雪なんざ被りにいくか、ユキメノコじゃああるまいし。
それに今は腹も空いてないし、別に外に出られなくとも惜しくはない。
出窓に足を伸ばして座り外に顔を向け、オレは本格的な月見の体勢に入った。
「……『○○』」
あの女がオレの名前を呼ぶたびに体の奥の部分がざわついて、なんだか怒りや悲しみだのの負の感情に晒されたとき、
すなわち食い過ぎて胸が焼けてるときみてぇにイライラするから
オレはこいつがいくら呼んだって反応なんかしてやらねーと心に決めている。
振り向いてはいないが、匂いとこれまでの経験で女が持っているのは丸くてフワッとしたあの菓子だとわかっていた。
昔はしぶい味のそれがフツーに好きだったが、ガキの頃食い過ぎたせいか今は好きでも何でもねえ。
第一今は腹がいっぱいだっつってんだろうが。餌ごとき毎日やらなくたって死にゃあしねえよ。
(○○ほら、ポフィンだぞー!
ああそんながっつくなって、ゆっくり噛んで食べろよ。
……つーかその体のどこに入ってくんだ?)
「ねえ、食べてよ、お願い」
細い声が震えながら部屋に放たれて、オレはあいつに気付かれないよう顔をしかめた。
うるせえな、腹はいっぱいなんだ。
月の光に照らされてオレの体から伸びた朧な影。そこから手を伸ばして、女の手からそれを払う。
勝敗と、ときには生死を懸けるバトルのときとはくらべものにならない
簡単な動作は、女を一瞥もしなくたって訳無くできた。
ぱしっと手の甲を叩く音のあとにきゃっ、とかいうカンに障る悲鳴。
それから床に菓子が落ちる間抜けな音がして、意識しない視界の端に
クズを零しながら部屋の隅に転がっていく菓子が見えた。ざまあみろ。
(○○、明日は大切な戦いがある。
悪い奴らをやっつけて、不幸な人やポケモンをこれ以上出さないようにするんだ!
オレの指示をよく聞いて、みんな一緒に頑張ろうな!)
それにしても胸焼けがする。この家は喰うものに困らなさすぎて、逆に身体に悪そうだ。
「……○○………
あたしの言うこと、聞いて」
ここに来てから重たくデカくなった体にはまだ慣れず、それも手伝い
思うようにいかないことがあるたび腹が立つ。
精魂込めて作った菓子をオレが無下にしたもんだから、
今度のあいつは『いかにも私泣きそうです』みたいな情けねえ声でオレを呼んだ。その声は聞き飽きた。うんざりだ。
このやり取りもオレがこの家に来てから何度繰り返した?学習しろよ。
バッチひとつ持たないお前の命令なんて聞くわけねえだろ、常識的に考えて。
(○○……逃げろよ、お前にまで、……死なれたら……)
「○○……食べてよ、
あたし、○○まで死なせたくない」
死ぬわけないだろ。生まれたときのことだってろくたま覚えてねえオレが。
伝説や昔話なんてアテになんねえもんだ。
道連れや呪いを操り、死神や幽霊、悪魔と大層な呼び名を得ても
科学が示すオレの本質は密度の高いガス状生命体に外ならないそうだ。
魂を喰らうのも実のところオレには経験がねえし、死にかけの人間をあの世に引きずり込んだことだってない。
何度みちづれを使いバトルでひんしになったって、オレが生まれたはずの
死の世界とやらの全貌を掴んだ試しはありゃしなかった。
全く、アテにならねえ。
(『ゴースト』、
……ひとりにして、ごめんな)
窓際の冷たい空気と体温が混ざり合う。ひとつになったような錯覚すらある。
窓から覗く月から目を離さずにいるオレが纏う影が、どんどん濃くなってゆく。
それなのに耳にキンキンと響くヒステリックな声が唯一、オレが外気と溶け合うのを邪魔するのだ。
「『ゲンガー』、
これ以上あなたをっ……、ひとりに、したくないの」
ようやくあの女がそう吐き出したと思ったら、言葉の後半は耳障りな鳴咽に混ざって聞こえなかった。
なあ、気にくわねえお前にひとつだけ聞いてもいいか。
どうして『あいつ』は、オレを置いていったんだよ。
(心の奥から溢れる記憶の声からどれくらい遠ざかったのか、もう思い出せない)
作 2代目スレ>>842-845
最終更新:2009年01月02日 21:38