lostworld
「付き合うことにした――――」
キョンの横には、小柄な長門有希がこじんまりと伴われていた。
いつもの放課後、いつもの部室に涼宮ハルヒと朝比奈みくる、両名の姿はなかった。部活終了後のことだ。
彼は彼女の肩を抱いて、そして彼女は(ほんの少しだったが)頬を赤く染めてそこに座っていた。そこには恋人の二文字が成立していた。長門の肩を強く抱くキョンの瞳には、なにか重大な決意があるようだった。
「おめでとうございます」
テーブルごしに彼らと向かい合った古泉一樹は、いつもの調子で肩をすくめると、愛を誓う二人の前に立つ神父のような笑顔で祝辞を述べた。
「気づいていましたよ。なんとなくですが」
「…そうか?」
「わかりきっていたことです」
古泉は脚を組みかえると、両指を組んでそのまま神父を演じていた。
「貴方は彼女に接するとき、朝比奈さんにも僕にもない何かを彼女の中に見出していました。―――そして勿論」
涼宮さんにもない何かを。
古泉の笑みが種類の違うものに変わった。含みのある笑顔だった。キョンは一瞬だけ苦々しげに顔をゆがめて、そしてまた唇を真一文字に結んだ。彼は、頑なだった。
「知っているでしょう、涼宮さんは貴方のことがが好きなんですよ」
「―――ああ」
知っていた。
重々しく吐き出すと、古泉は皮肉的に口端を吊り上げた。
「もし知れたらどうなるかわかりません。何しろあなたは『鍵』ですから。涼宮さんがもし、その『鍵』が自分にはけしてあてはまらないと知ったとき、彼女の絶望は確実に世界のどこかを破壊するでしょう」
―――そしてあなたと彼女の関係も。
古泉は感情を伏せた瞳をキョンに向ける。キョンは瞳をそらなかった。
「隠し通すさ」
「できますか?」
「…やれるさ」
キョンは傍らの長門有希を見やった。長門は一ミクロンほど不安げな顔で彼の視線を受け止め、キョンはまた古泉を向いた。
「だから僕に話したんですね―――まあ役には立たないと思いますがね。世界が変えられてしまうのは由々しき事態です。できるだけお手伝いしましょう」
古泉は平常にこそ戻らなかったが、できるだけそうしようとする素振りを見せて微笑んだ。
「朝比奈さんには……どうします?」
「いや…あの方に嘘をつけるとは思えんからな。黙っといてくれるか」
「了解しました」
古泉はパイプ椅子を引いて立ち上がった。倣って、キョンと長門も立ち上がる。
「すまんな、わざわざ呼び止めたりして」
「いえいえ、かまいませんよ」
古泉は俯いており、表情は前髪で殆ど見えないと言ってよかった。声音こそいつもの調子だったが、それが逆にキョンの不安を煽るのだった。古泉は床に転がしてあったバッグを手に取ると、ふと声音を低くして呟いた。
「知っているでしょう?」
キョンは、ほんの少しだけ身じろいだ。
「僕は、涼宮さんが好きなんですよ」
「……ああ。」
キョンは知っていた。古泉が、ハルヒに対して向ける視線の熱さを。
「僕がけして得ることのできない彼女の心を、あなたは手中にしている」
「それをむげにし、貴方は彼女と幸せになろうというんですね。世界のこともなにも考えず」
「皮肉な話ですね。僕が持っていないものを貴方が持っていて、しかし貴方はそれを捨ててしまう。僕にそれを拾うことは出来ない。そして貴方は捨てたことすら忘れてしまうんだ」
「…長くは続きませんよ」
「すぐに駄目になります」
「…僕は、」
「……………僕は、貴方が憎い……」
古泉の怒りを、キョンは初めて垣間見た。あの一瞬の睥睨。あれが、あれこそが、押し殺した彼の心の全てなのだ。少なくとも、今のキョンにはそうなのだ。
窓の外は既に夜の帳が落ち始めていた。古泉の去った部室には、まだ彼の怒りの痕跡が残っている気がした。
キョンは、パイプ椅子に座り込んだままなにもしなかった。長門も倣って何もしなかった。ただただ、彼の隣に居るばかりだった。
あれから何分立っただろう。一分一分噛み締めて、ようやっとキョンは呟いた。声が、掠れていた。
「…も」
それはとても静かで、長門の耳にはおおよそ届かなかった。長門が彼を見上げて首を傾げると、大きな手のひらが降りてきて、ぽんぽんと軽く彼女の頭を撫ぜるのだった。
大丈夫だと、心配ないと、キョンの瞳は語っているように思えた。暖かい眼差しの奥にひどい不安が眠っていた。
長門は腕を伸ばして、彼の両頬を彼女の両の手で包んだ。
わたしもいるから―――そう示したかったのかもしれない。
途端キョンは、突然に泣き出したい気持ちに駆られた。
こんな、こんなことでは駄目なのに。
長門の痩躯をかき抱いた。あまりに細く、頼りない体を折れんばかりに抱きしめた。こうしているときだけ、ほんの少し気が和らいだ。
長門は、キョンが彼女にしたように、あやすような手つきでキョンの頭を撫でた。そしてまたキョンは、どうしようもない感情に支配されるのだった。
「それでも―――」
長門が聞き落とした言葉をもう一度、キョンは呟いた。叫ぶような呟きはあんのじょう掠れていた。
「それでも、お前が好きなんだ―――」
ああ、それでも終わりは唐突に―――。
古泉はわらう。
夕陽に赤く濡れた部室の中で、彼もまた窓を背に赤く染まっていた。
キョンの絶望に、それは痛く降り注ぐ。
膝をつくキョンを見下ろしながら、古泉はわらう。
わらいながら、泣く。
涙を流しながら、狂ったように古泉はわらう。
「僕は、忠告しましたよ?」
「こうなると、言ったでしょう?」
「すぐに駄目になると―――彼女は貴方が好きだから、愛しているから―――」
「―――涼宮ハルヒが、望んだからですよ―――」
最終更新:2006年09月12日 10:38