Reiner Rubin
この感情を何と呼ぶか、多少の覚えはあった。
淡いものなら一度や二度、抱いたことはある。あまり発展したことはなかった。だから断定できず決めかねている。それを深く知るにジュンは多少幼かったので、無理はなかったかもしれない。
しかし、彼女を見つめるたび、言葉を交わすたび、なにか心の奥のほうから胸の締まるようなものが湧いてくる。それは段々とせりあがって、時折頬を紅潮させる。
うっすらと感じていた。ただ、認めてしまうのに少しジュンには意地があった。
彼女は限りなく人に近く、しかし人ならざるものだった。彼女は人形だった。動いて喋る、精巧なつくりのアンティークドール。アリスの名の下に生み出されたローゼンメイデン、第五ドール。
真紅。
それが彼女の名だった。名のあらわすとおり、纏う衣装は紅。しかし瞳は碧眼で、カールがかった髪は美しい金色。
正確は基本的に高飛車であるが、根の深いところはひどく優しく、気高い。
―――そこを、知ってしまったからか?
ばらばらになった人形を抱いて、涙を流す真紅。
くんくん探偵に夢中になる真紅。
片腕をなくして、自分は不完全だと弱さを見せる真紅。
ドアノブに手が届かなくて拗ねる真紅。
抱っこして頂戴とねだる真紅。
真紅。真紅。真紅。真紅。真紅真紅真紅真紅――――…。
(なに考えてんだ…僕…)
ジュンはその感情をも覆い隠そうとするように顔を両手で覆った。
(あいつは…真紅は…)
走馬灯のように現れる、さまざまな表情の彼女。
(あいつは…)
そして、突如脳裏に蘇る。あの、球体間接。彼女が人でないことを再認識させられたそれだった。
(人形なんだぞ…!)
ジュンは勢いよくベッドから半身を起こした。ベッドが軋む。
(それも…最悪の…呪い人形…)
そしてまた、ベッドに沈み込む。これを繰り返して何回目だろう。
やっとのことでジュンは階下に降りた。階段を下りると、そこは不気味に静まり返っている。「ですぅ」も「なのー」も聞こえてこない。扉越しにテレビの音だけが伝わってくる。
『犯人はあなたですね!!』
バーン!!!
この声、効果音から察するに、くんくん探偵だろう。
―――そこから容易に、『彼女』は連想できた。
つづいて、コマーシャルの音が流れ出す。小さな物音。テープの音。おそらく、録画してあるものを見ていたのだ。リモコンを使ってコマーシャルを早送りしているのだろうか。
『な、なぜ…わかった…』
犯人の独白が始まる。ジュンはただ、扉ごしにそれを聞くのみだった。ドアの向こうに、『彼女』は居るのだろうか。
それにしても、翠星石も雛苺も居ないのだろうか?いくらくんくん探偵を見ているとはいえ、うんともすんとも言わないのは不自然だ。…と、すれば、この静けさは真紅のものだろう。
テレビの音が消えた。ジュンは我に帰る。もしかして、こっちに来るのか?
「ジュン?」
落ち着き払った声だった。あくまで確認のような疑問系。
「…そこに居るのならうじうじしていないで入ってくれば良いじゃないの」
汗が流れた。
「ちょうどお茶の時間だわ…ジュン、紅茶を入れて頂戴。早く」
遠慮しいしい、ジュンはドアノブを引いた。
予想通り、性悪人形もちび苺もいなかった。
「…あいつらは」
「雛苺はトモエのところへ。翠星石は蒼星石のところよ」
真紅がビデオテープを棚に戻しながら簡潔に答える。
「早くなさい。ダージリンをお願い」
「………」
少し前までなら、『はいはい』とかなんとか言って、『はい』は一回よと怒鳴られて、それが一番安心できる位置だったのに。今は到底、そんな気にならない。
ジュンは黙って台所にひっこみ、数分して戻ってきた。
「………」
口を閉ざしたままで、真紅の専用カップに紅茶を注ぐ。真紅がジュンを、その青い双眸で見る。指が、震えるような気がした。自身の瞳を追う視線を、ジュンは必死に逃げた。
「ねえ、ジュン」
立ち去ろうとしたジュンの背に、真紅の声が柔らかに突き刺さる。振り返れなかった。
薔薇色の唇が、ひどく緩慢に動いた。
あなたは最近、ようすがおかしいわ……。
―――気づかれていた。恐れていたのに。今度こそ、指が震えた。僕は今、どんな顔をしているんだろう。
「…それと最近、わたしを避けているわね」
怖かった。真紅の口調はやけに柔らかい。
「ばれていないとでも、思っていたの」
振り向けない。到底、振り向けない。
「こちらを向きなさい、ジュン」
おそるおそる、ジュンは振り返った。--―笑顔、だった。真紅は微笑んでいた。
「―--まったく、しょうもない家来ね」
真紅はカップをテーブルに置くと、椅子を降りた。ゆっくりと、ジュンに近づいてくる。
「全部、ばれていてよ」
上目遣いでこちらを覗く瞳は、イタズラっぽく輝いていた。ひどく優美な笑みに、ジュンは頬を赤く染める。
「屈みなさい」
暫くジュンは惚けていたが、真紅の催促にはっとなり、のろのろと言われたとおりにした。
「良い子ね」
真紅の両のてのひらが、ジュンの赤い頬を包んだ。心臓が、不規則な動きをする。
真紅の顔が、ジュンの顔とじょじょに近づいて、そして―――
柔らかい真紅の唇が、ジュンのそれに触れた。顔全体を真っ赤に染めるジュンに、真紅は微笑む。
「好きよ、ジュン」
ジュンは俯きながらか細く呟いた。
僕もだ。
最終更新:2006年09月12日 10:40