アムリッツァ会戦

概要

西暦126年 1月3日 

統合作戦本部の決定により以下の艦隊司令官を動員した大規模な遠征作戦が行われた。

ビッテンフェルト
シュトロハイム
ジョナサン
ランバ・ラル
アイゼナッハ
朝比奈省吾
マ・クベ
ミッターマイヤー

後に旧アムリッツァ会戦と呼ばれるこの会戦はシュトロハイムと朝比奈省吾を失い終了する。
この責任をとりスーン・スール元帥は辞任を表明する。
新しく任命されたのがドワイト・グリーンヒル

西暦126年 12月28日 

統合作戦本部の決定により以下の艦隊司令官を動員した大規模な遠征作戦が行われた。

ブルース・アッシュビー
エルンスト・フォン・アイゼナッハ
マ・クベ
フレデリック・ジャスパー
ジョナサン・ジョースター
ウォルフガング・ミッターマイやー
フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト
ランバ・ラル
デブス
アレル
ファン・チューリン
ボロ

総勢、126万の艦隊、将兵37億8千万人が敵軍の本拠地へと進行した。

同日15時43分

先鋒のアイゼナッハ ビッテンフェルトの艦隊が戦闘状態に入る

その一時間後ビッテンフェルトが戦死。VSヤン
さらにその20分後アイゼナッハが戦死VSウランフ


12月29日 9時12分
グルーロパ星系でマ・クベ、ランバ・ラル、デブス、アレル艦隊が戦闘状態に入る

それぞれ ホーウッド、パエッタ、カールセン、ビュコックと戦い戦死

同日10時30分

ファン・チューとくブルスリーが戦闘。
3割の損害を出しながらもファンは撤退、

ボロVSルグランジュ
ボロは5割の損害を出しながらも撤退

アッシュビーVSルグランジュ
アッシュビーはほぼむきずで撤退

ジョナサンVSカールセン
6割の損害を出しながらも撤退

ミッターマイヤーVSアル・サレム
2割の損害を出しながらも撤退



同日14時50分

互いに連絡を取りアムリッツァで同盟は集結する。

この時

フレデリック・ジャスパー ほぼ無傷であった。

敵艦隊はそのすべてが無傷であるために敵軍の勝利は確実と思われたが
同盟の艦隊司令官の確実な用兵で勝利は出来なかったが敗北は免れた。

そして帰還後、アッシュビーはガウルンに暗殺される。

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最終更新:2011年12月28日 12:33
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