車で焼け死んだカップルを貪り食う人々。
木の板で塞がれた窓から進入しようとする白い腕。
腹を撃たれても表情一つ変えない男―――

キラリとメガネを光らせながら、一人の男がため息をついた。
5分程にまとめられた映像が終わり、部屋のライトがつく。

「総理、同じ事が今、日本で起こっています。」

映像は古い映画を編集したもので、動き出した死体に囲まれた
一軒家での人間ドラマだ。総理自体はこの映画を昔見た事があり、
映画の中のゾンビがどういう物なのかも知っていた。

「これがどうかしたのかね?」

総理と呼ばれる白髪混じりの男は、何も映ってないモニターを
睨みながら、緑色の服を身に纏った男に問いかけた。聞くと
この映画は米国のとある町で実際に起こった現象が元になっていると言う。

「米国は、日本国土の爆撃も辞さないと言っています。」

死体が動き出すこの現象は極東アジア地域で起こっており、米国はこの
原因不明の現象が飛び火するのを恐れ、日本を空爆する準備をしていた。

「自衛隊の出動を。」

緑色の服を着た男はハッキリと言ったが、総理は黙ったままだ。既に
経済への影響は物凄い。株価は大幅に下落している。ここで自衛隊を出せば
もう日本の信用は失われるだろう。それに市民に銃口を向けるなと、野党や与党の
中からも自衛隊の動員には反対の声が多数だ。


「最終報告です」

ノックの後に、黒いスーツを着た男がぶ厚い書類を抱えて入ってきた。

「診断の最終結果を報告します。生死の判定ですが、既に生物としての機能は
 停止しています。ですが・・・動いている以上、死んでいると決定する事はできません。」

「・・・それだけか?」

「以上です。」

総理は長いため息をついた。完全に死んでいるという結果さえ出れば自衛隊を出動させる
つもりだった。米国の空爆はなんとしてでも避けたい。日本を焦土にする訳にはいかない。
警察で何とかならないだろうか?発砲許可は出した。無理か・・・?
総理はアゴの前で両手を組み、黙り込んだ・・・。


金田と洋子は運転手の後頭部を眺めていた。

「さっきはどうもっす。助かりました。」

運転手は鏡越しに二人を見る。

「ええよ。ええよ。お客さんだし。あ、そうそう、タバコ持ってない?」

金田はタバコを一箱渡し、自分もタバコに火をつけた。運転手の名前は鹿瀬島洋介といい、
元は大手証券会社のサラリーマンだったらしい。この不況でリストラにあった挙句、奥さんは
他の男とくっついて、子供と一緒に日本のどこかに居るという。何でも出来高制のタクシーは
普通じゃない日が稼ぎ時らしい。

「ま、本当はこうなったら金なんかどうでもいいんだけどね。この車で行ける所まで行くつもりだよ。」

さすがにタクシーの運転手だ。ゾンビの集団がいると思うと物凄い速さでバックし、小さな道でも
するりと抜ける。金田と洋子は少し安心した。車の中は普段の生活となんら変わりは無い。車外は
気味悪い人影がちらほらあるのだが。どこか安全な場所はあるのか?外部との接触がないような。
離島とか、フェリーとか…

「刑務所・・・。」

金田がつぶやいた。

「そういえば、刑務所ってどう?あそこ、入れてくれないかな。」

そうか、刑務所か。刑務所なら高い壁に囲まれて、外部との接触はほとんどない。
刑務所へ行こう―――。刑務所に入るのは変な気分だが。
ここらの刑務所ならあそこだろうと、嘉瀬島は車を走らせた。


1時間ほど経っただろうか。車の中でついウトウトとなっていた洋子の耳に知らない声が
聞こえてきた。目を開けると金田が前のめりになってラジオを聴いている。

「この放送を聞いている方。
 何人いらっしゃるのかはわかりませんが、放送を始めます。
 今、日本中で起こっている騒動に、米国が動き出したようです。

 米国が行おうとしていることは、・・・爆撃機による空爆です。

 ・・・私はただ、この事を出来るだけ多くの方に知ってもらいたい。
 どうしていいのかはわかりません。ただ、・・・耐えてください。
 生きてください。空爆が終われば―――。」

放送はそこでぷっつりと途絶えた。金田も嘉瀬島も黙ったままだ。

「やったじゃん。米国がやってくれるって?」

洋子はちょっと嬉しそうだ。金田はつぶやいた。

「さあね。」


―――――暗闇の中に突然現れた高い壁。これが金田達の避難所である刑務所だ。
なるほど、ここなら大丈夫そうだ。金田は壁のてっぺんを眺めた。
妙に騒がしい。もしかしてここは本当の避難所に指定されてたのか?

「変だね。何か変だ。」

車は出入り口らしき所に止まった。ゾンビの姿は見当たらない。
嘉瀬島が車を出ようとすると、俺が行きますと、金田が外に出た。
辺りはとても静かだ。入り口の前には誰も見当たらないが、なぜか入り口とは
ずれた所に一応バリケードらしき物がある。でもあんな所に作って意味があるのだろうか。
小さな入り口の前に立ち、呼び鈴を鳴らした。
誰も出ない。普通、刑務官がいるんじゃないか?なんで返事がないのだろう?

ガサッ…


バリケードの方の暗闇の中から音が聞こえ暗闇の中から男が現れた。金田は身構えた。
様子を見ていた嘉瀬島も駆けつける。

「助けてください…」

ゾンビじゃない。よく見ると刑務官らしき制服を着ている。なんで?どうしてここに?
しかも酷い怪我じゃないか。何があったんだろう。

「何があったんですか?」

嘉瀬島が聞くと、男は語りだした。まとめると

 ① 受刑者の暴力団組員と繋がっていた刑務官が、騒ぎの中で部屋の鍵を開けてしまった。
 ② それが元になり受刑者が暴動を起こし、刑務所の中は無法地帯になった。
 ③ 多くの受刑者が刑務所外へ出たが、動く死体の存在を知り、出るに出られない状態。
 ④ この刑務官は受刑者達に殺されそうになったが、間一髪で刑務所を脱出した。

といった感じだ。脱出した刑務官が目にしたものは付近をうろつく不気味な人々だった。
逃げるに逃げられずに、付近にあった物で即席で作ったバリケードの中に、息を潜めて隠れていたという。
刑務官は片目がどす黒く腫れ上がっていて、嘘では無さそうだ。


「まるでパンダみたいっすね。」

金田がおどけて言うと、三人は苦笑いをした。刑務所はもうだめだ。

「僕らも、何処へ逃げるかわからないけど、それでよければ…」

「キャアァァァァァアアア!!」

突然、洋子の悲鳴が辺りを引き裂いた。振り返ると一人のゾンビが、窓から洋子を覗き込んでいる。
いち早く走り出したのは刑務官だ。刑務官は腰の警棒を走りながら抜くと、ゾンビの頭に叩き込んだ。
さすがは刑務官。機敏な動きだ。すばらしい。

「宜しくお願いします。」

3人は車に乗り込んだ。


さて、何処へ行こうか。車はあても無く走っていた。

「そういえば、名前なんていうんっすか?」

刑務官の名前は野上というらしい。故郷は福岡で、転勤に次ぐ転勤でここに流れ着いた。
刑務官という仕事は、受刑者にスキを見せないようにいつも気を張っていなければならない。
受刑者と仲良くならない為に転勤も多い。

「ゾンビも人間も同じだよ。残酷な奴は残酷だ。」

なるほど、言われてみればそうかもしれない。人間の方が残酷な時もある。
次々にニュースに出る殺人。どんな大きな事件も半月もすれば風化されて…。
一年前に起こった大事件は何があっただろうか?全く思い出せない。
この事態も一年もすれば忘れるのだろうか?今回は早く忘れて普通の生活に戻りたいが。

「ええと。ガスが切れそうです。ごめんなさい。」

嘉瀬島がとんでもない事を言った。マジで?金田と洋子は顔を見合わせた。助手席の野上も
メーターを覗き込んでいる。燃料の残量は微妙だ。ガソリン車では無いタクシー。
利用車が少ないガスならスタンドに残っているだろう。

「この先に町がある。スタンドもあったと思う。」


町か…。居るだろうな。四人は違う方向を考えてみたが、やっぱり他に道はない。
途中、洋子がトイレに行きたいと言い出し、暗闇に消えていった。
ボディガードは要らないかと聞くと、顔を真っ赤にしていた。

しかし長い。もう10分もたった。まさか…3人は最悪の状況を想像していた。
助けに行ったほうがいいのか?だが悲鳴も無かった。消えた?まさか死んだ?
だとすればここら辺りにも来るかもしれない。大勢だったらやばい。ガスも切れる寸前だ。
武器は警棒と消火器しかない…。死んでないとすればそれは…

3人が話し合っていると、ひょっこり洋子は戻ってきた。かなりすました顔だ。

「うんこ?」
「デカイ方?」
「大便なら、先に言ってくれよ。」

男衆が同時に言うと、洋子は顔を真っ赤にして否定する。ああ、うんこだったな。
しかし、デリカシーのない男共だ。まるで小学生。


段々町が見えてくる。だが、町の光はほとんど無く、街灯だけがぼんやりと見える。
かなり大きな街なのだが人影は無く、ゾンビの姿さえ見当たらない。まさにゴーストタウンだ。
遠くに背の高いスタンドの看板が見え始め、車はゆっくりと進んだ。

「あれ見て!」

洋子が指差す先に、商店街の入り口らしきものがあるのだが、物凄い数の自転車が
とめてある。実際はとめてあるのではなく、積み上げられていた。バリケードとして。

「人がいるのだろうか。」

金田達はゆっくりと商店街に向かった。入り口周辺には多くの死体が横たわっていた。
だが、動いてはいない。全ての死体には頭部に何らかの傷がある。つまり、これは生きている人が
ゾンビを倒した跡だ。周辺にゾンビが居ない事を確認すると四人は車を降りた。
このバリケード、うまい事考えたものだ。良く見ると自転車には違法駐車注意のステッカーが
張ってある。それをうまく組み合わせて背丈ほどの高さまで積み上げていた。
この壁の向こうには誰かがいるのだろう。暗くてよく見えないが、アーケードに共鳴して
かすかに人の声がする。確実に人がいる。
嘉瀬島は目的も無く車で移動するより、ここのほうが安全そうだと思った。他の3人も同じ事を考えているようだ。なんとかここに入れてもらえないだろうか。


「ブンッ」

風を切る音が聞こえたかと思うと、金田の目の前を何かが物凄い勢いで上から下へ行った。
金田の顔にゆるい風が吹きかかる。

「ああ、外した!」

目を凝らしてよく見ると何本もの長い棒がある。ゆらりゆらりと揺れる棒の内、一本が大きく揺れると
ブンッと音を立てて再び金田の頭上に飛んできた。金田は持っていたヘルメットで間一髪防いだ。
バキリと音がし、見るとヘルメットには釘抜きの先が突き刺さっている。釘抜きは長い棒の先に
結び付けられていた。洋子たちはまだよく解っていないようだ。

―――俺たち間違われている。

「だあああ!違う違う!俺たち生きてるよ!」

金田が必死に叫ぶと、何事かと3人は金田を振り返った。

「あれ…、おーい!生きとるぞ!生きとる人間や!」

暗闇の中から声が聞こえると松明に火がともり、5~6人程の顔が浮かび上がった。

「ごめん。アレかと思った。自転車よじ登ってこっちへ入り。」

人間に殺されるところだった。金田は内心イラついたが、安全な場所に入れる安堵感もあった。
とにかく、避難場所を確保できたようだ。四人は自転車をよじ登り商店街へ足を踏み入れた。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2010年12月11日 15:18