都市は静けさを取り戻していた。
道に車はほとんど無く、唯一コンビニの前に一台、エンジンをかけたままのメガクルーザーがあるだけだ。
他に音をたてるものといえば、時折吹き抜ける風と街路をうろつく人影ぐらいしかない。
朝靄の立ち込める早朝、都市はまだ眠りについたままだった。
不思議なことにコンビニの店内には客が一人いるだけだった。早朝と言うこともあるだろうが、店員の姿は店の周囲にも見当たらなかった。
もしここに注意深く観察する者がいれば、他にも奇妙な点があることを指摘するだろう。
駐車場にはさまざまな品物が散乱しており、外から見える雑誌は妙に色あせている。第一自動ドアが閉まったままだ。
客らしき青年の行動も奇妙なものだった。その手には棒状の物体が握られている。
銃だ。SPAS(スパス)12。マガジンが溶接されていないところをみると違法品だろう。
青年は棚の間やカウンターにトイレ、果ては裏の倉庫まで一通り覗いた跡で、品物を買い物籠ではなく持参したバックパックに詰め込んでいる。
水、ビタミン剤、救急用具にチョコレートなど、選ぶ品物を見ているとどこかの山にでも登るかのようだ。
一通り荷物を詰め終わると、青年はなにやらレジにメモを残すと店の外を窺った。
道をうろつく人影が、ようやく異常にでも気づいたかゆっくりと店のほうへと向かおうとしているのが見て取れた。
青年は慌てた風もなく自動ドアを手で開けて店を出、悠然と車に乗り込む。
レジには「借用書 一之瀬尚也」と書かれた紙切れが残されていた。
始まりがいつだったか、正確なことはわかっていない。いくつものメディアからの情報を総合したところ始まりは4月初日あたりの様だった。
原因不明ながら、死亡したはずの人間が再活動し他者を喰う。この国で最も早くそのニュースを流したのは巨大掲示板Zchのオカルト板だった。
後はお決まりの流れだった。誰も信じない間に感染者は増え、7月には政府組織は瓦解していた。
尚也が親友に裏切られ、恋人を手にかけたのはその一月後。陽射しの眩しい、恋人の誕生日だった。
尚也は愛車のメガクルーザーを走らせる。横に置いた地図にはかなりの書き込みがなされていた。
「9/2、ホームセンターにて針金等入手。立てこもった跡有。zおよび人見かけず」
「9/8、民家。予備用LPGボンベ入手。住人変化中のため血液サンプル確保後、観察」etc……
尚也は新たな書き込み後、備え付けのラジオと無線機の電源をいれオートチューニングに任せた。
放送が絶えて二月が経った。それでも尚也は欠かさずチェックしている。今日も応答は無い。
窓の外では所々で生存者達が死者たちの朝食になっているのが見える。それを視界に入れても尚也の表情に変化は無い。無論車を止めて助けに行く様子も無かった。
時折血まみれの人影が進路を塞ぐが、向けられた銃口と「俺には関係ない」の返事に沈黙した。
それでも退かない場合は、脳に9mmパラを撃ち込むだけだ。
しばらく走ると、前方に人影が現れた。負傷しているのか、片足を引きずりながら歩いている。
尚也はスピードを徐々に落とし、男の200mほど手前で車を停車させた。
車を降りずに、手元のマイクで負傷者に呼びかける。
「そこで止まってくれ。追われているのか?相手はどの程度の数だ」
「二人だ、妻と娘だ。発病しているらしい。助けてやってくれ」
尚也は片手に散弾銃を持つと、再度周囲を確認してから車を降りた。
周囲に人影がないことは分かっていたが、これが性質の悪い詐欺で無いとは言い切れない。
尚也のように単独で行動するものは物資を十分に持っていることが多い。
騙まし討ちでもすれば後は効率よく補給ができるというわけだ。
「そこに横になって動くな。じっとしていろ」
尚也は銃を男に向けて静かに言い放ち、黙って従った男の体に薄いビニールシートを被せた。
「足以外に負傷した箇所はあるか。感染者の体液を浴びたことは?入院や大きな病気をしたことは?」
尚也の冷静な態度に男も安心したのか、すなおに質問に答えていく。
怪我は足のみ、感染者との接触、傷病歴、アレルギー全て無しとのことだった。
「採血をする。薬との相性を調べるまではこれで我慢しろ」
片手で手際よく採血し注射跡に脱脂綿を貼り付ける。血を即、液体の入った試験管に注入する。
次に腰のポーチからアルミ包装された数錠の薬品を取り出し、水といっしょに手渡す。
「これは?」男が渡された薬品を眺めて聞く。
「痛み止めだ。後はこのバンドで止血しておけ」
「すまない、貴重だろうに。君は医者なのか?」
尚也はそれを聞くと、かすかに笑みを浮かべて「そう見えるとしたらあんた重傷だな」と返した。
尚也は全身を防弾着で包んでいた。どう見ても医者とは思えないだろう。
応急処置を終えたところで、街路から二つの人影が尚也たちに向かって近づいてきた。
男と同世代の中年女性と中学生ぐらいの女の子だった。
視点は定まらず、口元が真っ赤に濡れていた。中年女性のほうは左腕の包帯を真っ赤に染めている。
「助けてやってくれと言ったな。俺にできるのは処理するだけだ。それでもいいならやってやる」
冷静な言葉に男は息を飲んだ。だが決心はついていたのか、目を伏せて頷く。
「響子も、多佳子もあんな姿で生きているはつらいだろう。すまない、楽にしてやってくれ」
「分かった」尚也は銃を構えながら返す。
ゆっくりと歩み寄ってくるに連れ、母子の差異がはっきりとしてきた。
腐敗状況から、娘のほうが先に発病したのだろう。母親が負傷した場所からまだ出血しているところを見ると、今まで自分の身を娘に与えていたことが容易く想像できた。
近親者への愛。それが発病患者の増加の原因のひとつだった。
尚也は近づく二人の心臓を正確に撃ち抜いた。感染患者は心臓や脳を破壊することで死亡する。
確実なのは脳組織の破壊だが、尚也は男の心情を慮って顔をきれいなまま残す方法をとったのだ。
最終更新:2010年12月11日 15:49