ジュニア
あれからどれほどの月日が流れたのだろうか。
ウイルスの流行は下火になり、完全なワクチンはまだ出来ていないものの症状を押さえ込む治療が発見された。
一方、日本全土の人口は半数近くまで減り、政府は感染者の隔離と治療、荒れ果てた町の再建などに頭を悩ませていた。
幸か不幸かウイルスは世界には広まらず、早速アメリカを始めとする諸外国が日本に援助を申し出でた。
しかし、アメリカなどがこの機会に日本を併合しようとしているという噂も広まっていた。
また、近隣のアジア諸国も国力の衰えきった日本を虎視眈々と狙っていた。
皮肉にもウイルスワクチンが出来上がっていない事実が外国から日本を守っていたのだ。
何故、僕は生まれてきたのだろう。
武はベットの上でごろごろしながらぼんやり考えていた。
岡田武はほとんど毎日この事について考える。
もちろん答えが出るはずも無い事はわかっていた。
しかし、部屋の隅に張られている自分の母親の写真を見るたびにどうしても考えてしまう。
母、岡田良子は感染した父と交わって僕を身ごもった。
なぜ、母は僕を産んでしまったのだろう?
なぜ・・・。
出産後、すぐに武は隔離センターに引き取られ、そこで育った。
感染していないことが確認されたが、感染者の子供の前例が無いために武がセンターから出ることは許されなかった。
センターの中は外の世界よりもはるかに過ごしやすいことは事実だったが、武はセンターの中で様々な実験に参加しなければならなかった。
研究者が注目していたのは武が凶暴化した感染者とコミュニケーションが取れるということだ。
感染者は薬が切れると凶暴性が出てきて自分をコントロールできなくなる。
武は感染者が上げる唸り声に似た声を上げ、感染者をコントロール出来たのだ。
行動を細かくコントロールすることは出来ないが、感染者を目的の場所まで誘導するくらいのことが出来る。
「すばらしい!素晴らしい能力だ!」
研究室長の室井は目を輝かせて叫んだ。
「私達は君のお母さんに感謝しなくてはいけない。君という素晴らしい人間を残してくれたのだから。」
「・・・・・・」
大げさな室井のはしゃぎっぷりに武は少し辟易していた。
そして、そのとき武は、嬉しそうに笑う室井の目の中にある危険な輝きを見逃してはいなかった。
「それの、どこが素晴らしい能力なのか具体的に教えてもらいたい」
本土復旧委員会会長の大田は受話器から聞こえてくる室井のはしゃぎまくった声にうんざりしながら言った。
こっちは今復旧作業で忙しいんだ…。
イライラする大田の神経を逆撫でするかのように室井の声は楽しげだった。
「ええ。ですから、感染者を自由に動かせるんですよ。凶暴になった後でもね。」
「で、それがなんの…」
「ですから。日本がこれから直面する危機を考えてみてくださいよ。」
「 ・……?」
「日本が復旧作業に手を焼いている今、外国が何をたくらんでいるかみえみえじゃないですか。」
大田の眼光が鋭くなった。
自分の部屋なので人に聞かれる心配はないはずだったが大田は声を落とした。
「つまり、…感染者で国を守ると…?」
「決して死なない軍隊です。どうです、面白いでしょう?」
面白いわけがない。だが・・・
確かに、確かに今一番の問題はそこなのだ。
復旧作業だけなら時間がかかってもいい。
しかし、アメリカがいる。アジア諸国がいる。
みんな日本を落とすチャンスをてぐすね引いて待っているのだ。
大田は自分の心があっという間に魅力的な提案に引きずり込まれていきそうになるのを感じた。
「だが、感染者を兵器のように扱って只では済むはずがなかろう」
「別に自国の人間でなくてもいいのです。戦場で敵の兵が感染したら、そのときから彼らはこちらの軍隊になるのです」
相手の軍を飲み込みながら大きくなっていく死なない軍隊。
大田はそれを想像してかすかに震えが起きるのを感じた。
これを実行すれば間違いなく全世界にウイルスが蔓延する。
しかし、日本を他国から守ろうとするなら、今はこの策しかないのではないか。
国会が正常に機能していない今、最終決定権は本土復旧委員会が持っていた。
「感染者の子供はこれからも生まれてくる予定です。今とりあえず15人ほどが…」
相変わらず嬉しそうにしゃべり続ける室井の声を聞き流しながら大田はじっと窓の外を見つめていた。
「母さん。ついに戦争になるみたいです。」
武は部屋の写真に向かって呟いた。
あの時、室井の顔をみたときからこうなることはなんとなく予想がついていた。
武は同じような境遇の青年10人とともに感染者を動かす訓練を受けていた。
まもなく、アメリカの中心都市で15.6年前に日本で起きたようなゾンビ騒ぎが起こるだろう。
だが今回は前回よりもさらに被害が大きくなるのは確実だ。
武たちが的確に感染者を誘導し、確実に人を襲わせるから。
アメリカはほぼ壊滅的なダメージを受けることになるだろう。
「このままだと、日本が危ないからやるしかないらしいんだ。
これから僕がやることが正しいことなのかそれはわからない。
ただ、僕の生きている意味が、今はそこにしか見つからないんだ。」
武は寂しそうに笑い、写真を壁からはがすとパスポートとともに鞄に放り込んだ。
もうすぐ空港行きの車が出ることになっていた。
「初めての外出が戦場とはね。」
罪悪感と使命感、希望と不安、様々な感情がごちゃ混ぜだったが武は無理やり笑顔を作り部屋を後にした。
=osimai =
最終更新:2011年01月19日 19:57