室内には暗くよどんだ空気が立ち込めていた。
壁にかかっている時計の秒針が規則正しく時を刻む。その音がなければ、時間の流れすら固着しているように感じられるだろう。
日向は先ほどから銃を動かそうとするのをやめていた。
今の尚也の握力ならば振りほどくのはたやすくできそうな気がしたが、万が一の暴発の危険性を考えるとそれは安易にできることではない。
「尚也君。馬鹿な真似は止めるんだ。今までいっしょに生き延びてきた相手に自分のことを撃てだなんて、一体何を考えてるんだ」
「そうよ。彼女の安全を気づかって私たちに連れて行ってくれなんて言っておきながら、そんなことをやらせようなんて。冷静になりましょう」
「日向。撃てないなら銃を返してくれ。自分の始末は自分でつけることにする」
尚也は瞳を閉じたまま、何気ない調子で告げる。二人などまったく相手にしていない。
緊張している様子は微塵も無い。それどころか、なぜか安らかな笑みすら浮かべている。
その表情に、説得を続けようとする二人は次に言うべき言葉を失ってしまう。
死を覚悟したものの平穏。そしてその底にある狂気。
言わば死の呪縛。
その重さが室内を支配している。
「尚也さん。結果も出ていないのに何でそういうことをするんですか」
いままで尚也の表情をうかがっていた日向が、試験管を確認して静かに問いかける。
「迷わないためだ。結果は二つしかない」
「その結果が出ていないのにどうしてって言ってるんです、私は」
「陽性反応が出たあとで発症するまで考える。君が言っているのはそういうことだな」
「……」
「無駄だ。発病患者の生命維持能力の高さは何度も見てきたはずだ」
尚也は他人事のように淡々と告げる。
いや、実際に他人事なのだろう。
尚也は感染したものを人型の局地災害として扱ってきた。
それだけなら珍しい考えではない。
ただ、尚也の場合はそこに例外がないのだ。
「日向。常に最悪の事態を予測し、とるべき行動を考えておくんだ。迷った時は死ぬ時だ。生き延びるんだろう?だったらこんな些細なことで迷っていてどうする。自分で始末すると言ってるんだ。手間も省ける。どこに選択の余地がある」
日向は答えない。ただ尚也を見つめている。
「人として死なせて欲しい。そう願――」
「弱虫」
鋭く、短く、そして予想もしなかった返事に尚也はのどを詰まらせた。
驚きに開いた瞳に、日向の悲しみに歪んだ顔が映る。
「はっきり言ってください。死にたいって」
日向は尚也を睨みつけながら、はっきりと続ける。
「死にたい。生きていくのがつらい。でも死ぬのは怖い!無駄死にはもっと怖い!だから殺してくださいって!!はっきりそう言ってください!!!」
後書き
中盤入る前のクライマックスシーンでございます。
おかしい。
こんなシーンはプロットになかった!
なのに手が勝手に……
まいっか。
このあたりでヘタレ主人公の気合入れといたほうが次の場所の落差が生えるし。
そんなわけで、尚也の強さに見せかけた弱さの暴露です。
実際にゾンビ禍が発生したらたぶん尚也みたいに傍目に強い人間は増えると思うんですよね。
でも内心は後悔と絶望で一杯で、だからこそあきらめたもの特有の落ち着きで物事に対処できると。
実際にはつらい時にも前を見据えて前進できる人こそが「強い」人間なんだと思います。
まあ、全員が強くある必要も無いんですけどね。
最終更新:2011年07月23日 12:00