日向はなぜ自分がこうまで昂っているのか分からなかった。
 何かが引き金になったということは直感できた。
 いったい何が口火を切らせたのだろうか。
 胸中にわだかまっていたものを吐き出すと、自分の中が急に虚ろになったように思えて、ただ尚也の反応を待つことしか出来なくなってしまう。

「死は恐るるに足るものじゃない。それに俺は死を求めたことなどない」
 尚也は瞳を閉じたまま、わずかに顔を向ける。
「だったら、何でこんなこと。嘘!死にたがってるだけです!!」
 あまりにも死を軽く扱う尚也を、日向は許せなかった。
 死は全てを終わらせてしまう。
 今まで続いてきた昨日は途切れ、明日は完全に失われる。
 死は究極の暴力で、あまりに理不尽だ。
 それなのに、この青年はいともあっさりそれを求めている。

「単なる優先順位の違いだ。今大切なのは、君が生き延びることに必要なだけの意志を持っているかだ。体調不良の足手まといの命などよりよほど貴重なものだ」
「そんな言い方って。やっぱりごまかしとしか思えないっ」
 尚也はようやく目を開くと、波一つ無い湖面のような瞳で日向を見つめる。
「……日向。俺は死を求めない。死にすがることは無い。俺の旅路は死の影に溢れている。それでも俺に死の平穏はない。それは俺以外のものに降り注ぐだろう」
 語る言葉は静謐に満ち、穏やかな表情とあいまって信者へと言葉をかける神父のようだ。
 仕える神の名はやはり「死」という名の運命だろうか。
「どうして……どうしてそんなに簡単に全てを捨てるんですか。どうして諦めるの。生きてるのに、生きてきたのにっ。今まで頑張ってきたのにッ」
「俺に過去はない。あるのは死への道だけだ。俺に未来はない。今を歩くことしか出来ない。俺に赦されているのは今だけだ」

 背筋に氷柱を差し込まれる感触。体が震え鳥肌が立つ。
 それは一気に気焔を吐き出したあとのわずかな隙間から精神に入り込み、日向を凍てつかせていく。
 叫んだ言葉が意識の表層まで昇りつき、意味となった瞬間に日向は呪縛されていた。それでも黒く深い瞳から視線は逸らさない。
 今まで気づかなかった。いや、気づこうとしなかった。
 そうだ。自分は気づいていたのだ。
 そしてその事実に気づこうとしなかった。
 日向の全身が叫んでいる。
 この男は、眼前の存在は「死」そのものだ。それゆえに、死を語りながらこんなにも静謐を保った瞳をできるのだと。
 だからこそ瞳をそらさなかった。
 相対するためではない。理解し、受け入れるためだ。

「誰にだって歩いてきた道があります。尚也さんにだって思い出はあるはずです」
 もう一つ気づいたことがある。
「俺には思い出せるものはない」
 なぜ私はあそこまで昂ったのか。
「私と過ごした時間もですか」
 それは。
「……」
 名前を呼ばれたから。
「思い出したくないことが多いのなら。これから思い出したくなることを見つけましょう」
 それだけのこと。
「……俺は」
 でも、大切なこと。
「一緒に、いきましょう」
 死を望む言葉といっしょに呼ばれたくなかったから。

 尚也は答えなかった。ただ、その手は銃身から離れていた。
 それが答えだった。



後書き
うっひゃぁ!
背筋が痒い!

なれない場面を書くのにずいぶんと時間がかかってしまいました。
これでようやっと場面を移せる。

日向が尚也を説得しました。
これで対等の立場です。
「連れて行く」だったのが「いっしょに歩いていく」になりました。

次回以降のプロットを手直ししないと。
んでは。


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最終更新:2011年11月04日 15:59