彼は後ろ手に縛られ、地下室に転がされていた。
 突然電灯がともる。意識を取り戻していた彼は、その眩しさに目を細めた。
「こんなところに連れ込んで、一体どうするつもりだ」
 彼は叫ぶ。室内に入ってきた者は薄気味悪く笑うのみ。
 彼女――謎の者は顔面を覆っていたマスクを外した。彼は息を飲む。
「さ、里中さん――あなた――!」
 里中と呼ばれた女性は腐敗して崩れた口元を歪め、寂しげに微笑んだ。剥き出しになった歯が白い。彼は状況が把握出来ず、焦ったまま言葉を続けた。
「――里中さん、花粉症じゃなかったんですね」
「そうなんです。花粉症じゃないんです」
 女性はそう答えると、鋏を取り出した。彼は再び息を飲む。
「里中さん、まさかそれを俺の眼球に突き立てようというんじゃ……」
「そんなことはしません。私はあなたを縛っている紐を切ります」
「うっ、切ってからもっと恐ろしい事をしようというんだな」
「そんなことはしません。私はあなたを自由にしてあげようと思っています」
「わ、わかった。一度逃がしてから狩りを楽しむように追いかけてくるんだな」
「そんなことしねぇっていってんだろ!」
 顔の崩れたグロテスクな女性は怒鳴った。

 再び冷静になった女性は淡々と言う。
「実は私、先週死んでしまったんです。でも死にきれずにゾンビになっていたんです」
「そうなのか。ゾンビって初めて見たよ。それにしても臭いな」
「文献で調べたら、他の人間の一部を食べる事が出来ればその人に成り替われるというのです。どうせなら愛している貴方と一緒に成りたくて……」
「うわぁ、ゾンビに告白されたの生まれて初めてだぁ」
「でも、やっぱりどうしても出来なくて」
「くぅ、臭ぇなぁ。鼻が曲がりそうだぜ。そうだ、そのマスク貸せよ」
「ちったぁ真面目に聞けよ!」女性は怒鳴った。
「ん、話はわかった。これから君が入れ替わる人間を俺が探してくるよ。しばらく時間をくれ。また戻ってくる」
 女性は一人残され、寂しげに呟いた。
「あたし、なんてお人好しなのかしら。戻ってくる筈ないのに。──いえ、この場合ゾンビ好しって言うのかしら」

 翌々日、倉庫の前に一台の車が止まり、律儀にも彼は戻ってきた。
「待たせたな。車の中に三人程拉致してきたぜ。さぁ、好きなブツを選んでくれ」
「本当に戻ってきてくれたのね」
「礼は要らないよ。それにしても一段と匂いが増したようだな」
 彼は一人目を引きづり出した。目隠しされ、身体中縄とガムテープでぐるぐる巻きにされているが、明らかに若い女性であった。縄の食い込み具合から見ても、かなりのグラマーな類に見える。
「こいつはどうだ」
「ちょっと他の方も見てみましょう」
 続いて出されてきたのも若い女性であった。髪は長く、突き出た胸は先程以上である。
「も、もう一人も……見てみましょう」
 最後の一人が後部座席から引っ張り出されてきた。露になった脚は透き通る程白く、適度に弾力性がありそうである。そしてはだけた胸元には深い谷間が刻まれていた。
「どうだい、いい感じだろう」彼は自慢げにポーズをとって立ち、にやにや笑っている。彼女は歯を飛ばしながら言った。
「みんなてめぇの好みかよっ!」
「え? 気に入らない? そりゃ困ったナ。じゃあこいつで手を打ってくれ。こいつになっても俺は里中さんと一緒に居てやるぜ?」
「まだ連れてきてたの?」
 彼はトランクを開いた。彼女と二人で覗き込む。
 茶色い縞模様の猫が丸まっていた。 

彼女は骨が剥き出しになった肩をすくめる。
「つまり、胸が大きくないくらいなら、猫の方がマシってことね……」


「あははは、こーいうのキラい?」
「ううん」彼女はかぶりを振った。「──結構いいかもね」
「いやぁ、これは軽い冗談なんだけどさ」
 彼女は今度笑いながら──皮膚は腐っているが──怒鳴った。
「おまえの冗談はわかりにくいんだよっ!」
 彼の表情は不思議と輝いていた。
「俺、ゾンビに告白するのって初めてなんだけど、実は前から里中さんの事好きだったんだよ。そのよく怒鳴る口が腐り落ちる前に返事してくんないかな?」
 そして右腕をかじりやすいように口元に差し出す。
「バカね、あなた……。噛み付くと思う? 愛してるのに」
「そう言うだろうと思ったよ。あのさ、里中さんはちゃんと調べてこなかったでしょ? ゾンビに関する伝承は他にもあるのさ。ゾンビである人間を本当に愛する人間が現れたなら、生き返る事が出来るってね。その証拠に口付けをするんだ」
「この──臭い口に──?」
「気にすんなよ。俺も三日も歯磨いてないんだから」
 彼は強引に彼女を抱きすくめた。彼女は少し首を引いたが、やがて身を任せる。

  彼女の身体から死臭は消えていった。
 トランクでは胸の大きな女性三人が昏睡状態のまま転がり、猫が丸くなっている。
 石塚公雄は、里中京子を抱き締めながら、ズボンのポケットに潜ませていたエンゲージリングに手をかけた。


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最終更新:2010年12月06日 20:04