当日

 私は車を走らせていた。もう完全に宛て等あるわけがない。
 ラジオ放送は完全に沈黙していた。
 希望は持てない。妻と話して、この後何日生きられるか分からない。喰われて死ぬ位だったら
 人として最後を迎えようと決めていた。断崖の上から車ごと海にダイブすれば即死だろうと思っていた。

 断崖の上に行く途中で車の燃料が切れそうになった。私はドラム缶から最後の燃料補給を行った。
 燃料補給の最中に後ろの気配を感じたと思った瞬間、腕に痛みが走った。後ろに罹患者がいたのだ。
 私は、車の荷台にあったバールでそいつの頭を何度と無く叩いた。

 もう本当に最後だ。噛まれたことで飛び込む決心が付いたようなものだった。
 崖の上に車を止め、最後の食事を摂るべく準備していた。ふと海の方を見ると、船が湾内に向かって
 入ってくるのが見えた。遠目で艦種までは分からないが旭日旗を掲げていることからすると海上自衛隊
 の艦船のようである。ふと希望が湧いた。
 私は駄目でも、妻と子供だけでも助けられないだろうか。

 私はエンジンを吹かし、崖の上から湾内に向かう道を走らせた。走った。海自の船がいなくならない事を
 願いながら。
 湾沿いの道に出ると船が湾内から出ようと船首の向きを変えようとしていた。
 私はクラクションを鳴らし、船に聞こえる筈もないのに大きな声で叫んだ。止まってくれ気付いてくれと。
 車を走らせながら、運転席の近くにあった発煙筒も炊いた。
 船の方でも気付いたようだ。船は、護衛艦であるのが分かった。でもヘリ搭載タイプでは無いやつだ。
 私は一度港に入った。船に乗るなら港だろうと。でも無理だった。回りには罹患者達が集まってきたのだ。
 罹患者達を押しのけて家族を船に乗せることが出来ない。それに護衛艦の大きさからすると港自体が
 小さすぎるようだった。

 私は、車を出し、砂浜に車を乗り入れた。船の方に向かってアクセルを踏み続けた。車が海に入りキャブ
 まで水に浸かった。フロントガラスの辺りまで海水が来た所で、車がエンジンが止まった。多分ウオーター
 ハンマーの現象が起こったのだろう。それでよかった。そこまでこれれば十分だった。

 護衛艦から、小型船が降ろされてこちらに向かってくる。砂浜の方を見ると、やつらが海に入ってくる。
 でも波に邪魔されてなかなか進めないようだ。小型船の到着の方が早かった。
 小型船には、数人の自衛官が乗っていた。指揮官は二尉だった。
 指揮官は私の腕の傷を目ざとく見つけた。その表情は傷を負った者が辿る運命を知っているようだった。

 私は、指揮官に妻と子供を託した。妻も子供も嗚咽を漏らしていたが、どうにもならない。
 一緒に行ければいいのだが、私には許されない。
 妻と子供は小型船に移乗した。私は指揮官を呼んだ。指揮官と2人だけで話した。
 当初、指揮官は渋っていたが、希望は艦長に伝えると約束してくれた。

 小型船は、護衛艦の方に向かって動き出した。私はトラックのキャビンの中に入りなおした。キャビンの中
 から妻と子が自衛官達と一緒に艦の中に収容されているのが見えた。妻と子がいつまでも手を振っている。
バックミラーを見ると奴らが車に取り付いたのが分かった。でもそんなことはどうでもいい。
 やつらも最後になるはずだ。

 私の希望は叶えられるのだろうか。
 私はタバコを取り出し火を付けた。うまい。本当にそう思えた。天気もいい。家族は無事。死ぬには最適
 だった。
 暫くすると護衛艦の5インチ砲が旋回しトラックの方に向けて止まった。砲口が車にぴったりと合う。
 その後、砲の先が白く光った。その瞬間、今までの楽しかったことが思い出された。
 妻と恋人同士だった時、子供が生まれた時、楽しかったこと苦しかった事が一瞬で頭のなかを
 駆け巡った。

――――――――――――― 終わり ―――――――――――――


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最終更新:2010年12月06日 20:41