僕はその日、地方から修学旅行で東京に来ていたんだ。
地元を出てくるときは、みんなわくわくしていた。高層ビル、流行の服、
街行くテレビタレント、TDL・・・。
最後のは東京じゃないけど、僕らの地方から見れば、浦安も東京も大して変わりは無い。
でも、楽しみにしていた修学旅行が、まさかあんなことになるなんて。
日程の最後の日、僕達は新宿のあるホテルに宿泊することになった。
どういうわけか日本中で暴動事件が起きて、先生から外出禁止と言われた。
でも、せっかく東京まで来て、ホテルに閉じこもりっぱなし、なんてのは御免だった。
ホント言うと、僕はどうでもよかったんだけど、友達の隆と和也に誘われて断れなかった。
仲間はずれにされるのが嫌で、僕は二人といっしょにホテルを抜け出した。
ところが、ホテルを出たのは失敗だったのかもしれない。
歌舞伎町に行って、ゲーセンで遊んでいたら、
外から怒鳴るような大きな声が聞こえてきた。
すごく気になったんだけど、隆と和也がゲームに夢中になっていたから、
僕は二人に言い出せなかった。
そうしたら、奴等が店に入ってきたんだ。
奴等は自動ドアを抜けると、UFOキャッチャーのところにいたお客さんに
突然噛みついた。店内に悲鳴がこだまして、隆と和也も声が上がったほうを見た。
「やばいよ、逃げようよ」
僕は隆と和也に言ったけど、何かのイベントだと思ったのか、隆は
「おい、カメラはどこだよ?」
とか言ってる。お客さんたちも遠巻きに見ていた。僕も、東京ってこんなもんなのかな、
とか思っていたけど、噛まれている人は演技とは思えないような声を出してるし、
傷口から噴き出している血も本物にしか見えなかった。
これは本当の出来事なんだろうか、なんて思っていたら、どんどん奴等が
ゲーセンに入ってきて、やっぱりこれはただ事じゃないと思った。
和也の「逃げろ!」という合図とともに、僕達は反対側のドアに向かって駆け出した。
でも、みんな考えていることは同じなんだね。他のお客も同じ方向に走り出した。
自動ドアの前で押し合いへし合いしているところに、奴等が襲いかかってきた。
僕達はなんとか外に出ることができたんだけど、
後ろからは聞いたこともないような絶叫が聞こえてきた。
外に出たら出たで、すごい混乱が起きていた。人の波があっちからもこっちからも
凄い勢いでぶつかり合って、どっちに逃げればいいのか全然わからない。
しかも、僕達には土地鑑も無い。パニクっててホテルがどっちにあったのか
なんてこともわからなくなってる。
人の波に飲み込まれながら、流されるままにデパートに逃げ込んだ。
まだ逃げ込もうとしている人がいるっていうのに、誰かが防火シャッターを閉めた。
外からシャッターを叩く音がしてすごく罪の意識を感じた。でも、逃げ込んだからって
助かるとは限らないんだよね。みんな、地上の出入り口、しかも、シャッターが閉まった
正面玄関しか気にしてなかったんだけど、そのデパートって、私鉄系で、
地下に駅があるから、地下から階段を使ってデパートに入ることができたんだ。
入り口に固まっている人間に、奴等が後ろから襲いかかってきた。
僕らはたまたま最後のほうで逃げ込んだから、シャッターに近い位置にいたんだ。
背後から叫び声が上がって振り向くと、奴等が何人もいて、人間を襲っていた。
僕らは再び逃げ出した。先を走っていた隆が何かにつまずいて転んだ。
隆の目の前には、口から血を流してうつろな目をしている暴徒、
いや、それよりもゾンビって言ったほうがいいのかもしれない。
とにかく、そいつが隆に覆い被さり、いきなり首筋にかぶりついた。
スローモーションの映像が目の前で流れたような気がしたけど、
実際にはほんの一瞬の出来事。僕に手を伸ばして助けを求める隆。
でも、和也が「やめろ! あきらめろ!」って僕を引っ張ったから、
僕は隆を置いて、その場に背を向けて逃げてしまった。
和也が僕の手を引っ張り、奴等が上がってきた階段を駆け降りる。
地下には交番があった。でも、すでに警官はいなかった。
「和也、待ってよ、どこに逃げるんだよ!?」
そう聞くと、和也は立ち止まり、ガラスでできた目の形をしたモニュメントが
張り付けてある壁に僕を叩き付けた。
「俺にだってわからねえよ! とにかく、一旦地上に出ないとわけがわからない」
「みんなと同じように、デパートの上の階に逃げようよ」
「おまえ、馬鹿か。こんなところに篭城したって、結局逃げ場がなくなって
食われるのがオチなんだよ。こういうときは、逆方向に逃げたほうがいいんだって」
そう和也は言うんだけど、僕は逃げている人達といっしょにいたかった。
僕は平均的日本人。みんなと同じ服を着て、流行を追いかける。
みんなと一緒じゃないと安心できない。
だけど僕は、和也の言う通りにした。和也に見捨てられたくないから・・・。
長い通路を抜け、都庁の前を通って突き当たりの中央公園に僕たちは逃げ込んだ。
急に人口密度が減ったみたいだ。噴水のある広場を抜けて、奥へと入っていった。
動物の形をした遊具に座り込んで
「隆、死んじゃったね」
と思わず僕がつぶやくと、和也が怒ったように言った。
「どうしようもなかっただろ! 助けに行ってたら、俺もおまえも
あいつらにやられてたんだぞ! おまえ、死にたいのかよ!?」
僕は、和也の剣幕に、そんなことはないけど・・・、としか言うことができなかった。
突然、草むらがガサガサっと動いた。僕らはびっくりして身を引いた。
草むらから出てきたのはホームレスのオジさんだった。
よかった、人間だ、と僕は思ったんだけど、甘かった。
「てめえら、うるせえぞ。奴等に気づかれるだろ! よそ者は出て行け!!」
かすれるような声で、僕らはホームレスの糞じじぃに責められた。
食いつかんばかりに向かっていこうとする和也を止めて、僕らは来た道を戻った。
「てめぇらこそよそ者じゃねえか、この乞食!!」
とあらん限りの声で(というか虚勢を張って)、和也は捨て台詞を残した。
冷静に考えれば、こんな囲いも門も無くて誰でも自由に出入りできる公園に
逃げ込んでも、先が見えている。あの乞食もいずれ奴等に食われてしまうと思うと、
幾分、溜飲が下がった。僕が思っていたことをそのまま口にすると、
和也は「違いない」と言って笑った。
僕らはまた噴水広場を抜けた。
信号待ちしているときには、もう辺りが薄暗くなっていた。オフィス街には
意外なほど人がいない。人を見かけたとしても、奴等かもしれないからうかつに
声もかけられないんだけど。
馬鹿正直に信号が変わるのを待っていた。でも、車なんてたまにしか通らない。
信号は無視してもいいんだってことに気がつかなかった。
道路を渡りきると、歩道橋の影で倒れている人を看病している人がいた。
僕は声をかけようとしたら、和也に止められた。
でも、やっぱり声をかけた。僕の声に振り向いた女性は、
口に血のしたたる肉をくわえているのが、暗がりでもわかった。奴等の仲間だ。
逃げようとしたら、和也が僕の足に引っかかって倒れた。
その女は倒れた和也に近づいてきた。和也は腰が抜けたみたいで
立つことができずに、「ヒーッ!」と情けない声をあげて、地面を這いずっていた。
僕は、金縛りにでもあったみたいに動けなくなっていた。
和也がつかまる瞬間をただ見ていることしかできなかった。
「ウギャァーーーッ」
まさに血も凍るような絶叫が和也の口からほとばしった。
その声で僕の金縛りが解けた。僕は、和也を置いて逃げた。
隆を置いて逃げたときのように。
「ーーーーッ! ーーーーッ!」
と、和也は僕の名を必死に叫んだが、僕は振り返らなかった。
死にたくなかったから。
僕が逃げる方向には都庁があった。東京のシンボルは力強く感じた。
そこに行けば助かるような気がした。でも、玄関の扉の内側には
すでにバリケードが築かれてた。僕は何度も何度もドアを叩いて、
「入れてください!」
と叫んだけど、誰も僕の声に気づかないか、僕を入れるのを拒んだ。
散々叫ぶと、通路のほうから何人もの人間がこっちに向かって歩いてくるのが見えた。
歩いて? 奴等だ! 僕はまた逃げ出した。惨めな気持ちになって泣きたくなった。
また道路を渡って中央公園に入らずに右に曲がって真っ直ぐ走った。
二百メートルもいかないうちに、大通りに出て、それを今度は左に曲がった。
右に曲がったらまた歌舞伎町に逆戻りだからだ。
通り沿いには店がいっぱいあったけど、ほとんどの店のシャッターが閉まっていた。
だけど、一軒だけ、僕を受け入れてくれた店があった。ちょっと大きな雑貨屋さん、
いや、ホームセンターって言ったほうがいいのか、とにかく、そんな店だった。
自動ドアの電源は切られていたけど、中で人が動いているので、僕はドアを
バンバン叩いた。ちょうどバリケードを作っていた最中だったらしく、
ドアを開けて、僕を店内に引きずり込んでくれた。
僕は座り込んでとうとう泣き出してしまった。今までのことが全部頭に甦ってきた。
目の前で奴等に食われてしまった隆、僕の足につまづいたせいで噛みつかれた和也、
どうにもならなかったとはいえ、「どうにもならなかった」と誰かに言われたとしても
気分は晴れない。
泣きじゃくる僕に、優しそうなオジサンが、温かい缶コーヒーをくれた。
少し、気分が落ち着いた。
「大丈夫か」
そんな言葉をオジサンからかけられて、ホッとした僕はまた泣いた。
落ち着いた僕が今までの話をすると、「うん、うん」とうなずきながら聞いてくれた。
「そうか、修学旅行であのホテルに泊まっていたのか。
今、電話をかけてやるから、ちょっと待ってろ」
オジサンが電話をかけに行った。
電話なんていう文明の利器があることすら忘れていた僕だった。
受話器を耳に当てているおじさんの表情がだんだん険しくなっていく。
一分ほどしたら、受話器をガチャンと電話に戻した。僕を見て首を振っている。
そうだ! 電話っていう手があったんだ!
僕は、今まで存在を忘れていた携帯電話を取り出し、
同じクラスの勇二にあてて短縮番号をプッシュした。
「だ、だれだ、お前は!!」
それが勇二の第一声だった。僕は自分の名前を告げて、大まかな状況を伝えた。
もちろん、隆や和也のことも・・・。
「・・・そうかぁ。こっちもたいへんだよ。廊下を変な奴等が徘徊してる。
いきなり噛みついてきて、・・・何人も食われちまったよ。先生もダメだった。
義明も腕ぇ噛まれて、今、ベッドで寝てるよ。とにかく、部屋から一歩も出れない」
ホテルのフロントに電話をかけても、誰も出ない理由がわかった。
そんなことだろうとは思っていたけど。
また明日携帯に連絡入れるから、と言って、僕は携帯を切った。
一夜が明けた。バリケードの隙間から外を見ると、
奴等がいっぱい動いているのがわかる。動きに特徴があるから、すぐにわかる。
肌の色も変だし、なんといっても、たいていの場合、血で汚れている。
いったい、奴等はどこから湧いて出たんだ? どんなに考えても答えは出ない。
暴動とかそんなんじゃないことは、わかっている。人を噛み殺す奴等が、
急に増えるなんて話を、誰が信じるっていうの?
例えば、奴等が吸血鬼だとかゾンビだっていうなら、こんなふうになっちゃったことは
まだわかる。でも、そんなのがいるなんてのはあくまで映画やテレビの中の話でしょ。
小学生の子どもなら信じるだろうけど、さすがに僕は映画と現実の区別ぐらいつく。
じゃぁ、この現実はいったい・・・? いくら考えてもわからない。
「おい、学生のにいちゃん、テレビで事件のこと、やってるぞ」
オジサンが僕をテレビの所に呼んだ。
十四インチ型のテレビから流れる情報によると、奴等は伝染病患者らしい。
狂犬病とかの類と言ってた。でも、放送の最後、アナウンサーの言葉を聞いて、
僕はトンカチで頭を殴られたような気がした
「・・・なお、伝染病患者によって傷を受けた場合、
かなりの確率で感染しますので、ご注意ください」
・・・遅いよ、遅過ぎるよ。なんで今ごろ、そんなことを言うのさ。
噛まれると病気が伝染する・・・。隆も和也も今ごろは・・・。
あ、義明は!? 勇二と同じ部屋にいて、ベッドで寝ているって・・・。
僕は急いで勇二の携帯に電話した。
- 誰も出ない。発信音だけが鳴り続け、むなしくなってきた。
知っている限りの番号に連絡を入れたけど、結局、誰も出なかった。
電波の届かない所にいるのかも、と思い込もうとしたけど、
それは自分を騙しているにすぎないと自分でわかっていた。
ホテルの部屋からは一歩も出れないはずだし、
しかも、昨日はちゃんと電波が届いていた・・・。
無駄に日にちだけが経っていった。僕が何かをしたところで、何も変わりそうにない。
店内の大人達と交代で、入り口の番をするくらいしかやることが無い。
やること、できることが極端に少なくて、僕は恐ろしいほどの無力感に襲われた。
三日四日五日と経って、神経が疲れてきた。伝染病患者は日に日に数を増していく。
逆に、感染していない人はどんどん減っているはずだ。
すでにテレビの放送も無くなって、何の情報も得られなくなった。
携帯からネットにつなげても、全然更新がされてなくて、
そのうえ、暴動が起こる前のページをうっかり覗いてしまい、
「ヤッホー! \(^▽^)/」だの「(゚д゚)ウマー」だの「(・∀・)イイ!!」だのという
顔文字が目に入ってきてすっかり鬱になってきた。
何が (・∀・)イイ!! だよ。全然よくないよ。
そんなわけで、鬱がだんだんひどくなり、気力が抜けかえっていった。
何もする気が起きない。頑張ろうなんて気もさらさらなかった。
だいたい、いったい何を頑張れっていうの?
大人達は、それでも生き残りをかけて毎日のように策を弄していた。
誤字じゃないよ。「策を練る」でも「策に労する」でもない。
僕には「弄してい」るようにしか見えなかった。
一度オジサンに
「もうだめだよ」
と素直に言ったら、
「諦めるのはまだ早いぞ。にいちゃんは疲れ過ぎなんだよ。
見張り、代わってやるから、向こうで少し休んでろよ」
と優しく言われちゃった。だから、違うんだよ、オジサン・・・。
それからは、勘違いした言葉をかけられないように、
一応、頑張る振りだけはしておいた。前向きな言葉を選んで言うようにした。
でも、ここに逃げ込んで以来、心はずーっと後ろ向きのままだ。
本当は、「もうやめようよ」と大声で言いたかった。でも、そんなことを言ったら、
また優しい言葉で慰められるのがオチだって、僕にはわかっていた。
鉄砲があったら自殺していただろう。
でも、ここにはそれすらない。
僕が入り口の見張りを担当しているときだった。
大人たちは裏の部屋で作戦会議をしていた。また策を弄しているのか・・・。
ふと外を覗くと、向こうの方から、僕の学校の制服を来た伝染病患者が歩いてくる。
よく見ると、それは隣のクラスの奴だった。その横にもその後ろにも
制服を着た奴等がよろよろと歩いている。名前は知らないけど、
顔だけは知っている、うちの学校の生徒たちだった。
僕は、そーっとバリケードをどかし、ドアをあけて外に出た。
僕は平均的日本人。みんなと同じ服を着て、流行を追いかける。
みんなと一緒じゃないと安心できない。
仲間はずれは嫌なんだ。
優しいオジサン、ごめんね。でも、僕の居場所は、ここじゃなくてみんなの所なんだ。
痛かったり死んだりするのは嫌だけど、仲間はずれはもっと嫌なんだ。
みんなは外を歩いているのに、僕だけこんなところで息をひそめているのは苦痛なんだ。
こんな思いをするのなら、みんなといっしょに行動したほうが幸せだよね。
僕はよろよろと歩いているみんなに近づいて行った。
―――――――終わり――――――
最終更新:2010年12月08日 15:33