「もう一回言えよ」
 殴りかかってきそうな勢いで幸一が言った。
「ゾンビなんかいない」
 俺は静かに答えた。
「馬鹿か?」
 冷静を保っている慎介が俺の肩を掴む。
「それじゃあ、何だ? 俺たちは今何から逃げてるんだ?」
「病人さ」
 俺は慎介の手を振り払う。
「お前達は馬鹿な映画を見過ぎなんだよ。ゾンビ? 名前を付けるのはいいさ。そういう病名でいいさ」
 俺は背後を顎で示す。眼下に広がる街。俺たちがいるのは、とっくに無人になっているホームセンターの三階だ。
「銃で撃たれても頭を吹き飛ばさない限り死なない? 噛まれたら噛まれたヤツもゾンビになる? あり得んな」
 いきりたつ幸一を押さえる慎介。慎介はまだ冷静だ。話をするとすればこいつしかいない。
 幸一では話にならない。ただ、粗暴なだけだ。
「続けろよ。明」
 幸一を押さえたまま、慎介は言葉を続ける。
「ゾンビでなければ、あいつらは一体何なんだ」
「だから言ったろ? 病人だよ」

「どんな病気だよ」
「知らないね」
 幸一の様子を見て俺は急いで付け加えた。
「だが、ゾンビよりはマシな仮説だ」
「どこがだよ・・・」
 幸一は必死に自分を押さえようとしている。暴発よりよほど危険な徴候だ。
「考えてみろよ。お前達の言うゾンビのような条件を満たした生命体が実際にいると思うか? ゾンビのように見えるのはあり得るだろう。だが、ゾンビのようになるのはあり得ない。この世には科学法則ってもんがある」
「自分の目で見たことぐらい信用したらどうなんだ」
 これが多分、幸一を説得する最後の機会だろう。俺はゆっくりと息を吐いて言葉を選ぶ。
「何を見たんだ? ゾンビに食われている人間を見たのか? 銃で撃たれても平気なゾンビを見たのか?」
 見ていない。確かに見ていない。俺たちが見たのは、野犬か何かに食われた後らしい無惨な死体と、怪我をしたまま歩いているゾンビ(と呼ばれる者)だけだ。
「ゾンビが俺たちを食うなんて、無責任なマスコミのデマだ。生きている人間が食われているなんて嘘だ。これは、ただの集団感染によるパニックだ。俺たちは、地下の実験室に籠もっている内に置き去りにされただけだ」
「証拠があるのかよ!」
「証拠は科学法則だ。ゾンビなんて生命体はあり得ない」
 慎介が幸一に何事か囁いている。
 多分、落ち着かせているんだろう。慎介はいつでも冷静だ。
 幸一だけに説得を続けたのは正解だった。慎介はきちんとわかってくれている。
「しかし、不安は残るよ」
 慎介は頷きながら言う。
 そうだ。幸一を落ち着かせるためには性急な結論はまずいかも知れない。
「できれば、あいつらがゾンビじゃないという証拠が欲しい。それも、一見でわかりやすいヤツが」
 俺は頷き返した。
「任せてくれ。俺に考えがある」

 俺は二階の窓から縄ばしごを下ろす。階段は全て防火壁で幸一が封鎖してしまったのだ。まったく、過剰反応もいいところだ。
 たしかに、病気のために理性を失った暴徒から身を護る役には立ってくれた。だが、どう見ても幸一は過剰防衛だ。この件が片づいたら、匿名で当局に通報しなきゃならないだろう。
 三階の窓から俺を見下ろしている幸一と慎介。
「いいな。俺が食われなきゃ、俺が正しいんだからな」
「わかってるよ、明。気を付けろよ」
 慎介はやはり冷静だ。俺は足下に十分注意してハシゴを下りた。
 ゾンビ(と幸一が呼んでいる)者たちは俺に気付くと近寄ってくる。
 こちらから何もしなければいい。確かに不気味だ。不気味だが危害を加えられる心配はない。
 ただの病人だ。怖いとすればこの病気が接触感染である可能性か。しかし、今更そんなことは言ってられない。
 俺たち三人は曲がりなりにも医者の卵だ。救える病人は救う。ゾンビなんて馬鹿げたことは信じない。子供だましじゃあるまいし。
 痛い。
 !?!?
 俺の肩を誰か噛んでいる?
 腹?
 手が、手が・・・。
 腹の中に・・・・胸が・・・
 嫌だ・・・嫌だ・・・
 助けて・・助けて・・
 食われる、食われてる・・・
 俺が・・・俺が・・
 俺が食われ・・・

            ----終----


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最終更新:2010年12月08日 15:37