宣告はあっさりしていた。
 運が良くて一週間。運が悪ければ今日中にも。
「こればかりは経験者などいませんし、前例もありません。憶測だけです」
 医者はそう言って謝るように頭を下げた。
 私にも医者に対する怒りはなかった。ゾンビに噛まれた人間がいつゾンビ化するかなど、わかるわけがない。第一、ゾンビの存在の公式発表から時間はそれほど経っていないのだから。
「いいんですよ。それで先生。“傭兵”の受付はどこですか?」
 医者は、俯いたまま一枚のプリントを差し出した。
「ありがとうございます。先生」
「すいません」
「謝らないで下さい、先生。私はね、女房にゃ愛想尽かされて、娘にも捨てられた、そんな嫌な男ですよ。しかしね、こんな私でもこの年になってようやく他人様の役に立てるのかと思うと、嬉しくなってくるんですよ」
 私は立ち上がると、左腕を振りながら診察室を出た。
 違和感は感じるが、不思議と痛みはない。ついさっき投与された薬のせいだろう。それとも痛みを感じる神経も死につつあるのか?
 二の腕の中程、ゾンビに噛まれた部分はややはれぼったいような感覚があるだけだ。
 これで私も、遅かれ早かれゾンビになる。
 だが、そんな私にも出来ることがあるのだ。
 いや、こんな私だからこそ出来ること。
 考えながら“傭兵”受付の扉の前で立ち止まったとき、ようやく背後の人影に気付いた。
「貴方は?」
「失礼」
 男は軽く会釈するが、私に向けたライフルの銃口は全くぶれていない。
「“患者”には、その処遇が決まるまで見張りが付けられることになっています」
 言われてみればその通りだ。当然の処置だろう。
「私は、ここの受付に用があるんだ」
 男は突然直立不動の体勢を取ると、私に向かって最敬礼した。
「自分は、貴方の意思に感銘を受けております。そしてこれは、我ら一同を代表しての言葉です」
 男は帽子を脱いだ。
「ありがとうございますっ!」
「はは、どうも、照れくさいね」
 私はくすぐったい気持ちになりながら、受付のドアを潜った。


 ねばり強い抵抗とじりじりとした退却を続けながらも、人間はいくつかのゾンビの特性を発見していた。
 そのうちの一つが「ゾンビはゾンビを食わない」と言うものだ。やがてそれは「ゾンビは既にゾンビになりつつある人間を食わない」と訂正された。

 私は今、ギリギリで人間としての意志を持ちながら、ゾンビには仲間と認識されている状態だ。
 いくつかの薬品投与で、人間の意識は限界まで保たれ、ゾンビ化を最大限遅らせている。
 ただし、回避は出来ない。自分で頭を吹き飛ばさない限りは。
 私のような被害者のほとんどは自殺を選ぶ。そして、残された者は自殺者の頭を吹き飛ばす。
 しかし自殺ではなく、ギリギリまで人間の側に立って戦うことを選んだ者もいた。彼らはいつしか“傭兵”と呼ばれるようになっていた。
 今は、私も“傭兵”だ。
 任務は一つ。一体でも多くのゾンビを破壊し、人間側の作戦を支援すること。

集められた私たちは、軍担当者の説明を聞いていた。
「…我々はこの基地を廃棄して、神奈川方面の残存部隊と合流します」
「向こうには物資が窮乏しています。逆に我々は人員が不足していますが物資にはかなりの余裕があります」
「合流すれば、北海道に辿り着く確率が上がるでしょう。既に空輸手段がない今、陸路で青森を目指すしかありません」
 説明はいい。どうせ私たちには後はない。
「貴方達には、我々の脱出を支援していただきたい」
 普通なら、ここで文句が出るのかも知れない。しかし、私たちは一緒に脱出したとしてもゾンビになる未来しかない。それなら、ここで惜しまれながら別れた方がいい。
 それに“傭兵”の家族は避難民の中では自然と優遇されているのだ。
「こちらで武器を配ります」
 武器といっても、先を尖らせた鉄棒の類だ。反撃の心配はないので、好きなように攻撃できるのだが、さすがに銃は貴重品なので持たせてはもらえない。
 この武器も、ゾンビになるまでのつき合いだ。ゾンビになれば、武器を使うなんて発想は頭の中に残らない。
 ただ捕まえて囓る。それだけ。
 ふと気付くと、私は列の最後尾になっていた。列と言ってもそれほど多くはないが、戦闘は基地の外へと既に出て行っている。
「あ、待ってください」
 担当者が私を呼び止めた。

 私はゆっくりと立ち止まる。
「何だね?」
「その、なんと言っていいか」
 担当者は言葉を探しているようだった。
 私は彼を許すことに決めた。いや、もうとっくに許していたのだろう。
「娘を頼む」
「は…い…」
 担当者…五年前、私を殴りつけて娘と駆け落ちした男は泣いていた。
「お父さん…」
 意外な声に振り向くと、娘の顔があった。
「久しぶりだね。少し太ったか。まぁ、私の所じゃ太ることも出来なかったな、苦労ばかりで」
「お父さん、私」
「何も言うな。北海道まで、辿り着くんだよ」
 男と娘は、肩を寄せ合って泣いている。
 それでいい。こんな馬鹿な父親は早く忘れた方がいい。
 私は何も言わず、基地の外へと続く道を歩いた。
 待っていた自衛官が、私が通り過ぎるのを待ってシャッターを下ろす。
 その頃になってようやく辿り着いてきたゾンビ達は、“傭兵”に次々と狩られて始めた。
 私も武器を持ち上げた。
 運が良くて一週間、運が悪ければ今夜まで、私は狩りを続けることができるだろう。

                        -終- 


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最終更新:2010年12月08日 15:38