今、俺達は無謀とも思える脱出を展開している。車の回りは罹患者達であふれている。
その中を複数の車両で押し切ろうとしている・・・。
さっきも1台の4駆が罹患者達の死体に乗り上げ、中に乗っていた人を放り出しながら横転した。
放り出された人達はあっという間に、罹患者に囲まれ見えなくなった。でも俺達は進むしか道は無い。
あの悪夢の日が来てから、もう10日が経った。
人喰いの病人が発生してから、日本中は大混乱した。当然、ここ埼玉も無事では無かった。
市街地では人喰いが満ち溢れ、”人”はショッピングセンター、公民館、体育館等に立て篭もるしか
無く、その中で来るか来ないか分からない救援を待ち続けた。
私達夫婦は沢山の人たちと一緒にショッピングセンターに篭城している。建物自体は堅固で、罹患者の
侵入自体は不可能と言える構造だった。シャッターを下ろしていれば侵入されることは、無かった。
篭城中は希望が無かった。放送局は次第に沈黙していき人々は情報に飢えていた。まだライフラインは
生きていて生活に不便な点は無かった。希望が持てない生活の中でか、精神的にまいる人も多く、ある日、
窓から罹患者達いる一階に飛び降りたり自殺するものも後を経たなかった。
そんなある日の夜。鳴らないはずのラジオをいじっていると、突然放送が飛び込んできた。
「こちらは、NHK第○放送です。北海道札幌よりお送りします。周波数は×××.××khz ・・・」
「現在、北海道の治安は回復されました。罹患者は自衛隊により一掃され、通常の市民生活が送れるよう
になりました。尚、現在は夜間外出禁止令が自衛隊により発令されています。住民の方は夜8時~翌朝8時
までの外出は禁止されてます。尚、万一罹患者を見た方は地元の警察又は出動中の自衛隊員に通報を
お願いします。」
「次は道外に御住まいの方々向けです。札幌の陸上自衛隊北部方面総監部からのお知らせをお伝えします。」
「北海道にいる陸海空の自衛隊統合部隊は、本州内に残存する一般市民の救援活動を行うことに致しました。
現状では、本州、四国、九州の自衛隊の各部隊は壊滅状態の為、内陸地帯までの部隊派遣は行えません。
住民の方達はこれから申し上げる各港湾まで自力で来て下さい。指定日の一日に限り護衛艦隊を港内に
派遣いたします。」
「大湊 ○月□日。八戸・・・、仙台・・・、鹿島・・・、横須賀・・・、」
ショッピングセンター内の人々はラジオからの放送を一心に聞いていた。放送が終わると同時に、溜息が
あがった。
「これで助かる」「でもどうやって港まで行くんだ。」「無線で連絡してヘリを出してもらおう」
「それは無理だ、日本の護衛艦でヘリを積んでいるのは多くないし、積んでいても4、5人乗りのが一機だけだ。」
助かる希望は、わずかだが見えた。ほんの僅かだ。でも罹患者達が蠢いている中を100k以上突破
しなければならない。平時であれば簡単だが、この事態の中では不可能に近い。でも建物の中にいる
人達は、これが最後のチャンスであることを感じ始めていたし、今まで淀んでいた空気も一気に活性化
しはじめた。この安全地帯を出て何人が到着出来るかは解らない。
しかし、ここにいればいずれは死ぬ。それは、ここにいる全員の共通した認識だった。ここにいても死。
出ても死なら港まで行ってみよう。そんな空気が醸成されていた。
しかし、現実問題を考えるとやっぱり、鹿島は遠かった。横須賀という話もあったが都内を縦貫する事が
多くの人に脅威を与えた。ここを出るのであるのなら、無事に辿り着く必要性があった。
ショッピングセンター内にいた人達は真っ二つに分かれた。正確には3派だったが。
一つ目は、危険は承知してるが、脱出し港まで行くというもの。
二つ目は、あくまでも篭城を続け、ここに迎えが来るまで待つというもの。
三つ目は、篭城は続けるが、もう救出も望まない。これは比較的お年を召された方が多かった。
それと篭城組の大半は、脱出出来たら自衛隊に要請してヘリを寄越すように手配しろとムシのいい考え方をしていた。
まあ、それが楽だし危険も無い。自ら火中の栗を拾わずとも他人に拾わせればいいとう考え方のようだ。
ショッピングセンター内にいた人々は何度も、集会も持ったが、脱出組は少数だった。
脱出希望組は、その日から脱出路の想定が始まった。しかし、市街地の真中だし、途中には浦和、与野等の
人口密集地が多い。脱出は困難を極めることは予想された。人口密集地が多いということは、罹患者も多い
ということだ。
俺達は、1に鹿島。2に横須賀を目指し脱出を決めた。出たとこ勝負で行くしかなかった。
脱出用の車は、RV車。4駆を中心に選択していった。車には武器になりそうな、キャンプ用の鉈、手斧、
それから鉄パイプの先端を尖らせたもの、バール、釘抜き等が食料等と一緒に積み込まれた。脱出者は19
名。車は6台。ただ残留者達も気が引けたのか、車の提供はあった。どれでも好きなのを選んでくれていい
と。どうせ港に着けば捨てなければならない車である。但し着ければという前提があるが。
俺達はいわゆる4駆車でショッピングセンターを出た。そこからは、地獄の行軍のはずであった。というか、
あっけなく終わってしまった。やはり国道17号線を渡れなかったのだ。遺棄車両が多すぎて。遺棄車両の
周囲にいた罹患者達が、俺達を見つけて寄ってくる。
そんな中、別の車両に乗っていた若者から、無線で
「荒川には確か東京湾に向けて遊覧船が出てたはずだよ。それ使えれば早いし安全だよ。」
彼が言うには、荒川の秋ヶ瀬の取水堰の下流に遊覧船の発着場があるということだった。問題はそこに船がいるかである。船がいなくてもボートを使えれば東京湾までは一直線だった。
早速方向転換が始まった。がそれは難しいことだった。車の回りには罹患者達で溢れ返っている。前も後ろ
も横も全てだ。ガラス越しに見えるのは、罹患者達のおぞましい風貌。もう腐敗が始まっているのか、蛆が
涌いている奴。眼球が無い奴。眼球があったところから、ムカデが出てきているやつ等、直視に耐えない
顔、顔、顔がガラスに張り付いている。
そんな連中が取り囲む中を車を100メートル以上後退させるのだ。はっきり言って連中はうざい。後退中
に後方の車が、障害物に乗り上げて動けなくなった。いわゆる亀になったようだ。普通だったら牽引ロープ
で引っ張って脱出させればいいが、こんな状態では無理。
俺は、無線機に怒鳴った。
「出ろ。何としても出ろ。お前らの前には3台いるんだぞ。俺達まで巻き込むつもりか?」
後ろの車からは情けない声で
「無理だ、出られん。前から引いてくれ。」「車動かん。アクセル踏んでも動かん。もう駄目だ。」
俺は、
「分かった、引いてやる。その代わり牽引ロープはお前が引っ掛けろよ。」
後車の運転手も牽引を行うということは、外に出なければならないということに気付いたようだ。
沈黙が支配した。もう駄目か。そんな最中にも外は、見るもおぞましい連中が俺達にラブコールを送っている。
新鮮な肉がガラス越しで存在するからだろう。
そんな中、罹患者が建物の壁に多数張り付いていたのか、看板が重みに耐え切れず倒れてきた。看板の支柱が
先頭車を直撃した。窓の隙間から罹患者達の顔、顔の隙間から確認できた。先頭車から無線で救助要請が、
入るが手の施しようが無い。
先頭車の歪んだ、ボディーの隙間から罹患者達の手が車内に入っているようだ。無線からは、悲鳴、絶叫、
泣き声が聞こえてくる。
いきなり妻が、「やめて、お願い。無線切って。」と。
俺はボリュームを下げたが、無線機の電源は切れなかった。妻は手を伸ばし無線のコードを千切ろうとした。
俺は、彼女の手を抑えつけた。強く、強く抑え付けた。
いきなり先頭車のドアが開き、人が飛び出した・・・。あっという間に見えなくなった。彼が倒れ込む直前
に彼の叫び声が聞こえたような気がした。
俺は後続車に向かって呼び掛けた。もう一回試せと。
後続車のタイヤが回る。でも後続車のタイヤを見ていると、後輪のみが回転している。ということは、
4WDモードになっていないらしい。俺は、運転手にサイドブレーキ横にあるレバーを操作するように
指示を出した。その後にもう一回試せと。
後続車の運転手は、レバーを動かしたようだ。いきなり車が動き出した。4WDモードになったら、駆動力
が増えたのか、車はいとも簡単に動き出したが、脱出する時にハンドルの向きを確かめてなかったせいか、
車は凄い勢いで後退し、右後輪を障害物に高々と乗り上げ、まるでシーソーのようになって止まった。
車が右後輪と左前輪とで対角線スタックしているようだ。
俺は、後続車が取り敢えず動いてくれたおかげで、開いた隙間に車を入れ擦り抜けた。擦り抜ける際に、
後続車の運転手や同乗者達が助けを求めるような表情をしている。無線からは
「助けてくれ。」「見捨てないで。」「俺達を見殺しにするつもりか?。」
「行くな、行かないでくれ、俺も連れて行ってくれ~」と相次いで声が入ってきた。
俺は無視して車を後退させた。俺としては取り敢えず2号車までを安全地帯に出してから、4号車に指示を
出すつもりだった。2号車が抜ける前に、4号車のシーソー状態のバランスが崩れたせいか一気に左横転
した。もうお手上げだ。2号車は4号車に退路を塞がれた。救出する術は無い。少なくとも銃火器を持たな
い我々には、罹患者達を制圧する術は無い。
残った3台は、荒川目指して走った。埼玉大学前で旧県道 浦和所沢線に入った。ここらへんまで来ると
人家が少ないせいか、あまり罹患者も多くない。遺棄車両も少ない。車列は羽倉橋に辿り付いた。橋を
渡れば、秋ヶ瀬橋まで河川敷の道を走って直ぐだ。その時、先頭車が何かのトラブルか大きく傾き、転倒
した。転倒した車は火花を撒き散らしながら横滑りしていった。中から乗員を放り出しながら。
俺達は、多数の損害を出しつつも遊覧船の発着場に着いた。ショッピングセンターを出た時、車両数は
6台だったのに、到着したのは2台だけだった。19人近くいた人も4人に減っている。
たった10kmも移動していないのにだ。でもそこで見たものは、最後の希望を打ち砕くだけだった。
大雨で増水した荒川。遊覧船はいたが、岸に乗り上げ鎮座している。船着場には、多数の罹患者がいた。
多分、放送を聞いて同じように脱出手段を船に頼った人達が殺到したのだろう。その人達が襲われたよう
だ。俺は妻を抱き締め、言った。
「万策尽きた。今まで一緒にいれて幸せだった。」「最後までつきあってくれるかい?」
俺は出る前に渡された劇薬だと言われるカプセルを取り出し妻に渡した。一瞬の間が開いた。
妻は微笑を浮かべ「いいわ。いきましょう。どこまでも一緒に行くわ。」言い終わるが、カプセルを嚥下
した。俺もためらわずカプセルを飲み込んだ。車をバックさせる。助走距離を取るためだ。
俺はアクセルを吹かし、川に向かって突入した。川に突っ込む前に景色が回り始めた。薬が効いてきた
ようだ。おれはアクセルを踏みつづけた。俺は後悔は無かった。結果は駄目だったが、他者に強制された
最後では無かった。ほのかな満足感を薄れ行く意識の中で感じていた。
最後の記憶は、車に凄い衝撃が走った。でも眠い。
------------------ 終わり ----------------
最終更新:2010年12月08日 15:45