洋子はテレビに釘付けになって見ていた。
金田が出て行った直後につけっぱなしのテレビにニュースが流れたのだ。
ニュースと言ってもアナウンサーが読み上げるわけではなく、黒い画面に
白いテロップが流れるだけの単純なものだった。内容はこうだ。
「臨時ニュースをお伝えします。
放送局は、音声での放送が不可能な状態である事をご了承ください。
先日から続いている暴動は
通常の暴動とは異なる、異常な事態である事が判明致しました。
暴徒と思われていた人々は、亡くなった方々の遺体である可能性が濃厚であり、
原因は政府が調査中です。
視聴者の皆様へ強くお伝えしなければならない事は
遺体に噛まれるなどすると、感染する可能性があるという事です。
空気感染はありません。
政府の発表によると遺体は神経が麻痺しており
痛みなどの感覚はありません。しかし、頭部に強い衝撃を加えると
一時的に身体的活動は停止するとの事です。
視聴者の皆様には、接触しない事をお願いします。
現在、機動隊が被害の拡大の抑制に当たっています。
避難所も用意されていますので慌てずに行動してください。
避難場所は、
○○市○○区の方は・・・・・」
その後は延々と避難場所が発表されるだけだった。
洋子の中に初めて、『死』の恐怖心が生まれた。
18年生きてきて、こんなリアルな感覚は初めてだ。
洋子は焦る気持ちで金田を待った。
「なんだお前!」
「パリーン!」
洋子の肩がビクッと動いた。洋子はカーテンの隙間からそっと覗くと、
目の前に信じられない光景があった。
道路には数人の不自然な歩き方の人々がいて、
それが何なのかは洋子自身にも理解できた。
「よるな!よるなぁ!!」
叫び声は、向かいの一軒家からのものだった。
二階の子供部屋の中に親子三人がいたが、
その親子にゆっくりと近づく見知らぬ男。
父親は部屋の中の物を必死に投げ、子供はボールを投げたが、
見知らぬ男はゆっくりと親子に近づくと、妻子をかばう父親の延髄に
ゆっくりと噛みついた。
「痛い!いたたた!ああああああああああああああああ!!!!!」
叫びと共に大量の血が噴出し、父親の白いシャツを赤く染めていく。
少年は崩れ落ちる父親になおもしがみつく男を必死に引き剥がそうとしたが、
男は少年に抱きつくと今度は少年の腹に噛みついた。
倒れた少年に覆いかぶさり、肉を引きちぎる。
後ずさりする母親だったが、部屋の入り口には今度は不自然な女が立っていた…。
洋子はカーテンを閉め、部屋の鍵を閉めるとその場にへたり込んだ。
金田は何処に行ったのか?もう既に死んでいるのではないか?
怖い…怖い…怖い…
こんな事なら友達との旅行へ行けば良かった。
些細ないざこざで「私、行かない」と言ったのが1週間前。
旅行にさえ行っていれば今頃は沖縄でのんびりしていただろう。
いや、今の日本に安全な所などあるのだろうか…?
「ガチャガチャガチャガチャ!!」
ドアノブが激しく音を立てると洋子は心臓が止まりそうになった。
「ドンドンドンドン!!」
「どうすればいいのか」「死にたくない」と洋子は泣きそうだ。
夢なら早く覚めて欲しい…洋子は強く目を閉じた。
「なんで鍵閉めてんだよ!早く開けろよ!」
……金田だった。
さて、これからどうすればいいのか。
金田は目的も無く部屋の中をぐるりと歩いた。
洋子はと言うと、ずっと座りこんだままで震えている。
「テレビでやってたやつ、目の前で見たよ。マジこえーよ。」
震える洋子の為に、明るくおどけてみせた。
洋子は無言で窓を指差すと、
金田は、それが何を意味しているのかピンときた。
こっそりとカーテンの隙間から外を見ると、既に混乱が起きている。
近所の人々が車で脱出をこころみているのだが、狭い住宅地の中では
ちょっとした渋滞が起こっていた。
歩く死体はまだ数えるほどしかいない。車での脱出はそんなに危険ではなさそうだ。
現に死体は車をゆさゆさ揺らすだけで車中に進入する力は無いようだ。
妙な視線を感じ、金田は向かいの家を見た。
子供部屋にはいつもの少年は見当たらず、不気味な人々が出たり入ったりしていて、
窓にぴったりと両手をつけた、見知らぬ男が立っていた。
男は焦点の定まらぬ無気力な目で金田を見ている。
金田は視線を斜め前にそらし、カーテンを閉めた。
言葉も無く洋子を見て、何を見たか目で合図した。
ここにいるのが安全か、今の内に逃げるのかいいのか…。
車で逃げるか、バイクで逃げるか…バイクなら間を通る事ができる。
だが、大勢の死体を跳ね飛ばす力はない。ん?バイク…?
急に金田は押入れの中を何やらゴソゴソと探し、何かを引っ張り出した。
「これで、いけるかもしれん。」
引っ張り出した物は黒くてごつい皮ツナギ二着だ。マッドマックスにあこがれて、
彼女とお揃いで買った。だが彼女は車派だったので使う事はほとんど無かった。
彼女と別れた原因は、車を持ってなかったからと信じてやまない金田は別れの後、
必死に働いて車を買った。過去の自分を打ち消すために。
頑丈なツナギに頑丈なブーツ、グローブ。フルフェイスヘルメットのフル装備だ。
たとえ噛まれても破られる事はまず無いだろう。かかってきやがれってんだ。
メル・ギブソンよ、ありがとう。
「これ見てくれよぉ!」
金田は洋子に自分の機転が効く事を自慢するかのように言った。
だが、洋子の反応は無く、へたり込んだままだ。
こんな状態で逃げる事ができるのか?金田は洋子の態度が自分の危険を増している事に
苛立った。
「おい!おい!しっかりせえよ!」
金田は洋子の肩を何度も揺らし、頬にぱちーんと一発おみまいした。
「何すんのよ!痛いじゃない!」
……金田は鼻血を垂らしながらツナギを着込んだ。
さあ、出発だ。
最終更新:2010年12月11日 15:18