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道鏡

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・平安末成立の『七大寺年表』によれば、    道鏡は河内国人、弓削氏出身、[[天智天皇]]の孫[[志基親王]]第六子。    僧[[義淵]]の弟子で、[[葛城山]]に籠り如意輪法を修し苦行極まりなし、    療養中の[[孝謙天皇]]が彼を召し、宿曜秘法を修せしめたところ験あって平癒、    それにより天平宝字七年([[763年]])、少僧都に任ぜられたと。 ・ただし、皇胤という伝えには疑いもある由。 ・天平宝字七年七月二日、道鏡が四十巻の経典を写させた記事。    その内訳をみると、『大金色孔雀王呪経』をはじめとする    孔雀王呪関係経典四種七巻、    『十一面観世音神呪経』『十一面神呪心経』『陀羅尼集経』等。    これが道鏡の修法に使われていた経典とすれば、医療面の修法が得意だったのではないか、とのこと。 ・京都栂尾の[[高山寺]]所蔵『宿曜占文抄』(文治四年の書写)によれば、    道鏡は宿曜秘法を[[孝謙天皇]]に伝授したとし、    [[藤原仲麻呂]]の反乱もこの修法のために無事平定されたとする。 (『日本陰陽道史総説』村山修一) #amazon(4827310572, text)
・平安末成立の『七大寺年表』によれば、    道鏡は河内国人、弓削氏出身、[[天智天皇]]の孫[[志基親王]]第六子。    僧[[義淵]]の弟子で、[[葛城山]]に籠り如意輪法を修し苦行極まりなし、    療養中の[[孝謙天皇]]が彼を召し、宿曜秘法を修せしめたところ験あって平癒、    それにより天平宝字七年([[763年]])、少僧都に任ぜられたと。 ・ただし、皇胤という伝えには疑いもある由。 ・天平宝字七年七月二日、道鏡が四十巻の経典を写させた記事。    その内訳をみると、『大金色孔雀王呪経』をはじめとする    孔雀王呪関係経典四種七巻、    『十一面観世音神呪経』『十一面神呪心経』『陀羅尼集経』等。    これが道鏡の修法に使われていた経典とすれば、医療面の修法が得意だったのではないか、とのこと。 ・京都栂尾の[[高山寺]]所蔵『宿曜占文抄』(文治四年の書写)によれば、    道鏡は宿曜秘法を[[孝謙天皇]]に伝授したとし、    [[藤原仲麻呂]]の反乱もこの修法のために無事平定されたとする。 (『日本[[陰陽道]]史総説』村山修一) #amazon(4827310572, text)

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