・[[吉田神道]][[吉田兼見]]の弟で、京都東山阿弥陀ヶ峰山麓の 神龍院(じんりゅういん)住職。 [[豊臣秀吉]]が[[豊国大明神]]として示現するための 宗源行法の際、その神道流の護摩壇を仕切った。 豊国神社の神宮寺も管理していた。 後、[[徳川家康]]が亡くなった際、その葬儀をも取り仕切り [[久能山]]に埋葬した。 家康は吉田神道の流儀で大明神として祀られるが、 異を唱えた[[天海]]によって後に[[山王一実神道]]による [[東照大権現]]として[[日光]]に改葬される。 ・なお、この論争の際、[[崇伝]]は梵舜の側を支持したという。 参照 『天下人を祀る』滋賀県立安土城考古博物館図録 ISIS本座「バジラな神々」