神龍院(じんりゅういん)住職。
豊臣秀吉が
豊国大明神として示現するための
宗源行法の際、その神道流の護摩壇を仕切った。
豊国神社の神宮寺も管理していた。
後、
徳川家康が亡くなった際、その葬儀をも取り仕切り
久能山に埋葬した。
家康は吉田神道の流儀で大明神として祀られるが、
異を唱えた
天海によって後に
山王一実神道による
東照大権現として
日光に改葬される。
- なお、この論争の際、崇伝は梵舜の側を支持したという。
参照
『天下人を祀る』滋賀県立安土城考古博物館図録
ISIS本座「バジラな神々」
最終更新:2012年06月24日 02:41