「M:地鎮のための埋納物に関するメモ」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
M:地鎮のための埋納物に関するメモ - (2015/01/23 (金) 13:38:58) の1つ前との変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
・[[イスラエル]]の[[サルディス遺跡]]で、1世紀頃の住居の床下から
壺が二つ見つかっている。中には小さな尖った金属の棒、コイン、それに卵が入っていたとか。
☆国内の例
・[[東大寺]]旧境内、大仏殿から北約470mの地点で、[[和同開珎]]5枚を入れた須恵器の壺が出土。
時期的に大仏や大仏殿建立時期に当たるかもしれないと可能性が示唆されている。 →[[東大寺]]
・[[滋賀県]]の[[下鈎東・蜂屋遺跡]]で、平安時代中期の建物遺構の柱穴9か所から、
銅銭計195枚が出土。うち29枚は国産の高級緑釉壺に入れられていた。
これもおそらく地鎮目的ではないかと考えられている。
・[[福岡県]]糸島郡の[[篠原東遺跡群]]にある戦国時代の掘立柱建物跡の北西の柱穴から
木簡が発見された。そこには「東方慈父西方愛母北方長寿西方福徳中央利養堅牢地神吉急々如律令」と書かれていた。
・[[沖縄県]]の、[[首里城]]御庭西側にある御嶽で発掘されたチョウセンサザエの貝殻の中から、
琉球の金銭(埋納用の金貨)8枚が発見されている。
金銭は15世紀中ごろのものと見られ、この類の埋納銭としては県内最古かと見られる。
(琉球新報2014年9月6日記事)
……などなど。見つけたら随時追加の予定。
・[[イスラエル]]の[[サルディス遺跡]]で、1世紀頃の住居の床下から
壺が二つ見つかっている。中には小さな尖った金属の棒、コイン、それに卵が入っていたとか。
☆国内の例
・[[東大寺]]旧境内、大仏殿から北約470mの地点で、[[和同開珎]]5枚を入れた須恵器の壺が出土。
時期的に大仏や大仏殿建立時期に当たるかもしれないと可能性が示唆されている。 →[[東大寺]]
・[[滋賀県]]の[[下鈎東・蜂屋遺跡]]で、平安時代中期の建物遺構の柱穴9か所から、
銅銭計195枚が出土。うち29枚は国産の高級緑釉壺に入れられていた。
これもおそらく地鎮目的ではないかと考えられている。
・[[滋賀県]]の[[手原遺跡]]で、平安時代の遺構から古代銭「富寿神宝」を各5枚入れた甕5つを
十文字の形に配し、さらにその四隅に深めの皿を伏せた状態で埋めた遺構が出土。
こうした配置の埋納遺構は初めて発見されたという。
周辺からは他に土を丸めて焼いた玉、桃の種が発見されている。
・[[福岡県]]糸島郡の[[篠原東遺跡群]]にある戦国時代の掘立柱建物跡の北西の柱穴から
木簡が発見された。そこには「東方慈父西方愛母北方長寿西方福徳中央利養堅牢地神吉急々如律令」と書かれていた。
・[[沖縄県]]の、[[首里城]]御庭西側にある御嶽で発掘されたチョウセンサザエの貝殻の中から、
琉球の金銭(埋納用の金貨)8枚が発見されている。
金銭は15世紀中ごろのものと見られ、この類の埋納銭としては県内最古かと見られる。
(琉球新報2014年9月6日記事)
……などなど。見つけたら随時追加の予定。