後嵯峨天皇

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・土佐へ流された[[土御門上皇]]の皇子、那仁王(くにひとおう)が即位した天皇。  もともと、急死した[[四条天皇]]に子がなかったため、  順徳上皇の皇子忠成王(ただなりおう)と共に皇位の候補者となったが、  順徳上皇が承久の乱の際、討幕に積極的だったため、幕府の反対が入り那仁王の即位となった。 ・この後嵯峨の皇子がのちの[[後深草天皇]]、[[亀山天皇]]であり、  後嵯峨が後任の「治天の君(=政治の実権を握る上皇)」の選定を幕府に一任したことから  後深草系の持明院統、亀山系の大覚寺統の対立が生み出された。 (『要説日本歴史』)
・土佐へ流された土御門上皇の皇子、那仁王(くにひとおう)が即位した天皇。  もともと、急死した[[四条天皇]]に子がなかったため、  順徳上皇の皇子忠成王(ただなりおう)と共に皇位の候補者となったが、  順徳上皇が承久の乱の際、討幕に積極的だったため、幕府の反対が入り那仁王の即位となった。  →[[土御門天皇]]・[[順徳天皇]] ・この後嵯峨の皇子がのちの[[後深草天皇]]、[[亀山天皇]]であり、  後嵯峨が後任の「治天の君(=政治の実権を握る上皇)」の選定を幕府に一任したことから  後深草系の持明院統、亀山系の大覚寺統の対立が生み出された。 (『要説日本歴史』)

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