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纒向遺跡 - (2011/08/05 (金) 18:07:34) の編集履歴(バックアップ)
- 遺構の東側から発見された溝周辺で、鍛冶滓や羽口が少量出土した。
これは大和平野の中では最古の鍛冶遺構であり、
纒向遺跡に鍛冶関連の工人がいたことを証明するもの。
- 同遺跡には前方後円墳のほか、従来型の方形周溝墓もある。
摂津や河内地方で多く見られる組み合わせ式の木棺墓や、
瀬戸内から山陰にかけての大型の土器棺墓も発見されている。
(それだけ広範囲から人が流れてきた事を示すか)
- 土器も各地のものが持ち込まれており、西は九州から東は相模地方、
北は北陸から南は四国・阿波のものまである。
一番多いのはS字口縁甕とよばれる東海系土器で、搬入土器の約半分を占める。
山陽・吉備地方の土器はわずか。
- 一方、祭祀遺物は弧文円板や弧文石板、特殊器台片など吉備系のものが多い。
(『シリーズ「遺跡を学ぶ」035 最初の巨大古墳 箸墓古墳』清水眞一)