・ヒツジの飼育に適しているのは、乾燥していてなおかつ牧草に恵まれた土地。 湿潤な気候の元では「羊蹄病」と呼ばれる病気を発生しやすく、従って日本での飼育は定着しなかった。 ・古代ギリシャやローマでは羊を神々への贄として備えたが、その際、 自らに好意的な神々には白い羊を、そうでない神には黒い羊を供したという。 ウェルギリウス『アエネイス』第三巻に、 「冬の嵐のその神に 黒い羊を犠牲にし 白い羊は好意ある 西の風に供します」 という一節がある。 ・[[1770年]](明和七年)、[[平賀源内]]が長崎に出向いた折に羊を数頭買い求め、 高松藩志度に送って知人に飼育を依頼している。 羊毛の刈り取りと試織には成功したが、長期的な飼育には成功しなかった模様。 ・[[1811年]](文化八年)、幕府が中国から数十頭の羊を買い入れ、小石川薬草園に収容し育てさせたという。 一時は300頭まで増やしたが、火災により200頭が焼死したとか。 ・また、明治初年にも羊の飼育が挑戦されたが、結局断念したとか。 参考文献 『アエネーイス(上)』ウェルギリウス 『平賀源内を歩く』奥村正二 #amazon(4003211510,image,text) #amazon(4000019325, image, text)