- ヒツジの飼育に適しているのは、乾燥していてなおかつ牧草に恵まれた土地。
湿潤な気候の元では「羊蹄病」と呼ばれる病気を発生しやすく、従って日本での飼育は定着しなかった。
- 古代ギリシャやローマでは羊を神々への贄として備えたが、その際、
自らに好意的な神々には白い羊を、そうでない神には黒い羊を供したという。
ウェルギリウス『アエネイス』第三巻に、
「冬の嵐のその神に 黒い羊を犠牲にし
白い羊は好意ある 西の風に供します」
という一節がある。
- 同様に、『アエネイス』第六巻にて、冥界の神への犠牲にも黒い羊が指定されている。
高松藩志度に送って知人に飼育を依頼している。
羊毛の刈り取りと試織には成功したが、長期的な飼育には成功しなかった模様。
- 1811年(文化八年)、幕府が中国から数十頭の羊を買い入れ、小石川薬草園に収容し育てさせたという。
一時は300頭まで増やしたが、火災により200頭が焼死したとか。
- また、明治初年にも羊の飼育が挑戦されたが、結局断念したとか。
参考文献
『アエネーイス(上)』ウェルギリウス
『平賀源内を歩く』奥村正二
最終更新:2016年01月28日 04:35