・アポロドーロス『ギリシア神話』によれば、トロイアは元々、[[ゼウス]]と[[エレクトラ]]の子、 [[ダルダノス]]が築いた都市で、自身の名をとって「ダルダノス」と呼ばれた町だった。 後、王国を継承した[[エリクトニオス]]の子[[トロス]]の名をとってトロイアと呼ばれるようになったと云々。 ・オウィディウス『変身物語』他によれば、トロイアの[[ラオメドン]]王が城壁を築く際、 [[アポロン]]と[[ネプトゥーヌス]]([[ポセイドン]])が人間の姿を借りてこれに協力、完成させたが、 王が報酬の黄金を支払わなかったため、大量の水をもってこの城壁を打ち崩したという。 またこの際、王の娘が海の怪物への生贄として要求されたが、この怪物を[[ヘラクレス]]が倒し娘を救った。 しかし王はヘラクレスにも望みの報酬を与えなかったため、逆にヘラクレスによってトロイアが陥落せられ、 この時ヘラクレスの軍に参加した[[テラモン]]が王女[[ヘシオネ]]を得たという。 ・トロイアの城内にある高台、すなわちアクロポリス上には[[アテナ]]の神像があり、 この神像を祀っている間はトロイアが陥落する事は無いとされていたが、トロイア戦争中 [[オデュッセウス]]と[[ディオメデス]]がトロイア城内に潜入して奪い去った事が、トロイア陥落につながった。 ・ヘロドトス『歴史』巻七によると、[[ペルシア戦争]]においてペルシア軍がトロイア跡地に立ち寄った際、 [[クセルクセス]]はトロイアの[[アテナ]]女神に牛千頭を屠って供えたという。 ・アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』第一巻によれば、[[アレクサンドロス大王]]もここに立ち寄り、 アテナ女神に供犠をささげた他、自分が身に着けていた武具一式をアテナ神殿に備え、 そしてトロイア戦争当時から伝世していた武具を取り下ろし、以降遠征の際には専属の楯持ちに この武具を常に大王の前方に持たせていたという。 また、大王の母方の遠祖が、トロイアの王[[プリアモス]]を「家族を護る[[ゼウス]](ヘルケイオス・ゼウス)」の 神殿から引きずり出して殺した[[ネオプトレモス]]である事から、このゼウスの神殿にも詣でて プリアモス殺害に関する怒りを宥めようとしたという。 ・ヘロドトス『歴史』巻四に、リビアのトリトン河より西に住むアウセエス族は、自分たちをトロイアの落人の後裔であったと称していたとか。 同民族は農耕民で、頭の右側に髪を伸ばして、左側は剃り、体には朱を塗っていたという。 参考文献 『ギリシア神話』アポロドーロス 『変身物語(下)』オウィディウス 『歴史(中)』ヘロドトス 『歴史(下)』ヘロドトス 『アレクサンドロス大王東征記(上)』アッリアノス #amazon(4003211014, image, text) #amazon(4003212029, image, text) #amazon(4003340523,image,text)