トロイア

  • アポロドーロス『ギリシア神話』によれば、トロイアは元々、ゼウスエレクトラの子、
   ダルダノスが築いた都市で、自身の名をとって「ダルダノス」と呼ばれた町だった。
   後、王国を継承したエリクトニオスの子トロスの名をとってトロイアと呼ばれるようになったと云々。

   イタリアの出身であるという神の託宣が登場する。
   このことが、トロイア陥落後にアイネイアスがイタリア植民を目指しローマを建国する理由となる。


  • オウィディウス『変身物語』他によれば、トロイアのラオメドン王が城壁を築く際、
   アポロンネプトゥーヌスポセイドン)が人間の姿を借りてこれに協力、完成させたが、
   王が報酬の黄金を支払わなかったため、大量の水をもってこの城壁を打ち崩したという。
   またこの際、王の娘が海の怪物への生贄として要求されたが、この怪物をヘラクレスが倒し娘を救った。
   しかし王はヘラクレスにも望みの報酬を与えなかったため、逆にヘラクレスによってトロイアが陥落せられ、
   この時ヘラクレスの軍に参加したテラモンが王女ヘシオネを得たという。


  • トロイアの城内にある高台、すなわちアクロポリス上にはアテナの神像があり、
   この神像を祀っている間はトロイアが陥落する事は無いとされていたが、トロイア戦争
   オデュッセウスディオメデスがトロイア城内に潜入して奪い去った事が、トロイア陥落につながった。


  • ヘロドトス『歴史』巻七によると、ペルシア戦争においてペルシア軍がトロイア跡地に立ち寄った際、
    クセルクセスはトロイアのアテナ女神に牛千頭を屠って供えたという。

   アテナ女神に供犠をささげた他、自分が身に着けていた武具一式をアテナ神殿に備え、
   そしてトロイア戦争当時から伝世していた武具を取り下ろし、以降遠征の際には専属の楯持ちに
   この武具を常に大王の前方に持たせていたという。
   また、大王の母方の遠祖が、トロイアの王プリアモスを「家族を護るゼウス(ヘルケイオス・ゼウス)」の
   神殿から引きずり出して殺したネオプトレモスである事から、このゼウスの神殿にも詣でて
   プリアモス殺害に関する怒りを宥めようとしたという。




  • ヘロドトス『歴史』巻四に、リビアのトリトン河より西に住むアウセエス族は、自分たちをトロイアの落人の後裔であったと称していたとか。
   同民族は農耕民で、頭の右側に髪を伸ばして、左側は剃り、体には朱を塗っていたという。



      参考文献

『ギリシア神話』アポロドーロス
『変身物語(下)』オウィディウス
『歴史(中)』ヘロドトス
『歴史(下)』ヘロドトス
『アレクサンドロス大王東征記(上)』アッリアノス
『アエネーイス(上)』ウェルギリウス


最終更新:2016年01月22日 05:25