安土城

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安土城 - (2011/08/29 (月) 10:07:05) のソース

・滋賀県近江八幡市にあった。現存せず

・七重の天守には、天人影向図のほか、三皇・五帝、釈迦・孔子の十大弟子、
  商山四皓(しょうざんしこう)、竹林七賢人以下が描かれていたという。
  (信長はこれら東アジアのどの偉人よりも上に立つ、というアピールの意図があったのではないか、と著者)

・城下町には街道が強制的に引き込まれており、往還の承認は出自を問わず寄宿が義務付けられた。
  また、商人の来住を奨励した。

(『要説日本歴史』)


・『信長公記』をはじめ、イエズス会側史料、『日葡辞書』なども含め、
   「安土城」という表記は同時代史料には見られない。
   基本的には「安土山」と表記されている。

・安土山の大手道は、路肩幅で6メートルを超える事が発掘調査でわかった。
   また、その石段に、石材として石仏が使用されているのも発見される。
   (ただし、こうした石材利用は、当時一般的によく見られた、と著者)

(『シリーズ「遺跡を学ぶ」002 天下布武の城 安土城』木戸雅寿)




・[[安土城下町]]
・[[摠見寺]]




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