・滋賀県近江八幡市にあった。現存せず ・七重の天守には、天人影向図のほか、三皇・五帝、釈迦・孔子の十大弟子、 商山四皓(しょうざんしこう)、竹林七賢人以下が描かれていたという。 (信長はこれら東アジアのどの偉人よりも上に立つ、というアピールの意図があったのではないか、と著者) ・城下町には街道が強制的に引き込まれており、往還の承認は出自を問わず寄宿が義務付けられた。 また、商人の来住を奨励した。 (『要説日本歴史』) ・『信長公記』をはじめ、イエズス会側史料、『日葡辞書』なども含め、 「安土城」という表記は同時代史料には見られない。 基本的には「安土山」と表記されている。 ・安土山の大手道は、路肩幅で6メートルを超える事が発掘調査でわかった。 また、その石段に、石材として石仏が使用されているのも発見される。 (ただし、こうした石材利用は、当時一般的によく見られた、と著者) (『シリーズ「遺跡を学ぶ」002 天下布武の城 安土城』木戸雅寿) ・[[安土城下町]] ・[[摠見寺]] #amazon(4488009204, image, text) #amazon(478770432X, image, text)