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>すなわち悪人にも善人にも同じように起こりうることを、悪とも善とも判断せしむるな。なぜならば自然に反した生活をなす者の上にも自然にかなった生活をなす者の上にも同じように起こってくる事柄は、自然にかなうことでもなければ自然に反することでもないのである。
> マルクス・アウレリウス『自省録』
>罪を犯す者は自分自身にたいして罪を犯すのである。不正な者は、自分を悪者にするのであるから、自分にたいして不正なのである。
> マルクス・アウレリウス『自省録』
(zsphereコメント:自分を客体視する感覚が面白い。マルクス・アウレリウスは本当にとことん考え方が自己完結していて清々しいというか)
>善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ。
> マルクス・アウレリウス『自省録』
>他の悪徳によってのみ、われわれに結びついており、その幹を除けば、枝のように取り去られる悪徳もある。
> パスカル『パンセ』
>われわれが徳のなかに身を保っているのは、われわれ自身の力によるのではなく、相反する二つの悪徳の釣合によってである。ちょうど、反対方向の二つの風のあいだでわれわれが立っているように。それらの悪徳の一つを取り除くがいい。われわれは他のほうにおちこむだろう。
> パスカル『パンセ』
>悪はやさしく、しかも無数にある。善はほとんど一つしかない。だが、ある種の悪は、人が善と名づけるものと同じように見つけるのがむずかしい。そして、人はしばしば、この特殊な悪を、こうしたしるしから善として通用させてしまう。この特殊な悪に到達するには、善に到達するのと同様に、魂の異常な偉大ささえ必要とするのである。
> パスカル『パンセ』
>アイルランドでは、悪い魔術に関する話はあまり聞かないし、実際にそれを見た人となると、もっと稀である。というのは&bold(){人々の想像力というものは、夢想的なそして気まぐれなものに宿っているからで、その夢想や気まぐれを、悪とか善とかに結びつけるなら、その生命の息吹ともいえる、自由さが無くなってしまうからだ。}
> イエイツ『ケルトの薄明』
>すなわち悪人にも善人にも同じように起こりうることを、悪とも善とも判断せしむるな。なぜならば自然に反した生活をなす者の上にも自然にかなった生活をなす者の上にも同じように起こってくる事柄は、自然にかなうことでもなければ自然に反することでもないのである。
> マルクス・アウレリウス『自省録』
>罪を犯す者は自分自身にたいして罪を犯すのである。不正な者は、自分を悪者にするのであるから、自分にたいして不正なのである。
> マルクス・アウレリウス『自省録』
(zsphereコメント:自分を客体視する感覚が面白い。マルクス・アウレリウスは本当にとことん考え方が自己完結していて清々しいというか)
>善い人間のあり方如何について論ずるのはもういい加減で切り上げて善い人間になったらどうだ。
> マルクス・アウレリウス『自省録』
>他の悪徳によってのみ、われわれに結びついており、その幹を除けば、枝のように取り去られる悪徳もある。
> パスカル『パンセ』
>われわれが徳のなかに身を保っているのは、われわれ自身の力によるのではなく、相反する二つの悪徳の釣合によってである。ちょうど、反対方向の二つの風のあいだでわれわれが立っているように。それらの悪徳の一つを取り除くがいい。われわれは他のほうにおちこむだろう。
> パスカル『パンセ』
>悪はやさしく、しかも無数にある。善はほとんど一つしかない。だが、ある種の悪は、人が善と名づけるものと同じように見つけるのがむずかしい。そして、人はしばしば、この特殊な悪を、こうしたしるしから善として通用させてしまう。この特殊な悪に到達するには、善に到達するのと同様に、魂の異常な偉大ささえ必要とするのである。
> パスカル『パンセ』
>アイルランドでは、悪い魔術に関する話はあまり聞かないし、実際にそれを見た人となると、もっと稀である。というのは&bold(){人々の想像力というものは、夢想的なそして気まぐれなものに宿っているからで、その夢想や気まぐれを、悪とか善とかに結びつけるなら、その生命の息吹ともいえる、自由さが無くなってしまうからだ。}
> イエイツ『ケルトの薄明』