- 『続日本紀』720年の項目に、「日本紀ヲ修ス」の記事がある。30巻という巻数も現在の日本書紀に一致する。
- 一方、「日本紀」と「日本書紀」が同じものかどうかについては議論もある。
→『万葉集』の左注に引用されている箇所があるが、24番左注→「日本紀」、6番左注→「日本書紀」と表記されている。
表記が違う理由は何か?
→もしくは、中国の歴史書(漢書、後漢書など)にならって元々は「日本書」であった可能性も考えられる。
この場合、中国の歴史書は「紀」「志」「列伝」に分かれているので、
『日本書紀』は「日本書」の「紀」であると解釈できる。
その場合、「日本書志」「日本書列伝」は何らかの理由で作られなかったのか?
- 『扶桑略記』に「和銅五年上奏日本紀に、飯豊天皇について表記がある」という記事がある。
しかし現在の記紀では、同天皇が即位したかどうか判別できる記事は存在しない。
扶桑略記が間違っていたという解釈もあるが、日本書紀の逸文である可能性も。
最終更新:2010年09月27日 11:00