頼豪




  • 頼豪が戒壇建立が成らなかった怨みのために鼠となったという記事は『神明鏡』『尊卑分脈』にあり、
   『平家物語』延慶本もこの逸話を載せる。

  • 『平家物語』覚一本、巻三「頼豪」の段では、断食して抗議の餓死をしようとする頼豪をとりなすため、
   頼豪を師僧としている大江匡房が遣わされている。

  • 史実では頼豪の没年は1084年(応徳元年)五月四日で、
   説話で頼豪が取り殺したとされる敦文親王の没年はその七年前の1077年(承保四年)、
   死因は赤斑疱瘡によるとされている。従って説話で語られる内容と合致しない。
(zsphereコメント:この手の説話ではよくあること)



      参考文献

『平家物語(三)』



最終更新:2014年08月12日 18:08