都塚古墳


  • 東西41m、南北42m、東側からの高さ4.5m以上、西側からの高さ7m以上で、
   階段状に7~8段の墳丘を積み上げた大型方墳。
   その形状から「階段ピラミッド状」と表現する者もいる。

  • 墳丘に使われた石の戸数は12万9千個にのぼり、採石地とみられる二上山やその周辺からの運搬なども考慮すると、
   築造に関わった人員ののべ人数は3万人という試算もある。

  • 六世紀後半頃の推定される。
   石棺は六世紀の第3四半期頃のものだが、石室の構造は六世紀末~七世紀初めの比較的新しい形式だとか。

  • また石棺は家形石棺。

  • その墳丘構造が、高句麗時代の将軍塚などと似ているという指摘もあり、大陸系渡来人との関わりが推測されている。
   また、渡来系氏族と縁の深い蘇我稲目の墓と見る見解もある。

  • ちなみにこの古墳は、「元旦に金の鳥が鳴く」という逸話から金鳥塚の異名も持つという。



      参考文献

毎日新聞 2014年8月13日記事
時事通信 2014年8月13日記事
朝日新聞 2016年5月27日記事
最終更新:2016年05月29日 00:17