船手頭の向井将監忠勝が命を受けて作る。
長さ一五六.五尺(47.2メートル)、幅五三.六尺(16.4メートル)、深さ十一尺(3.3メートル)。
推定排水量は1500トン。
船体上部は銅板で覆った堅固な矢倉で守られ、船首の巨大な龍頭が前方を睨み、
船上には二層の天守閣がそびえる、さながら「浮かぶ城」であったという。
寛永十二年(
1635年)の完成の際には、家光は品川沖で試乗、諸大名を招いて宴を催した。
- しかし、大きすぎて操船もままならず、一度の航海経験もなかった。
隅田川の新大橋近くの「御船蔵」の岸に繋がれ、維持費には年間十万石がかかったという。
- 解体に際して、船が泣き声をあげた、などの怪異があったという。
- 『甲子夜話続編』に、堀田正俊が稲葉正休に殿中にて刃傷を受けたのは、
堀田がこの船の貴金属を着服するために解体を勧めた祟りである、などと記されているという。
- また『新著聞集』に、この船の解体後の部材を買って穴蔵の蓋にしていた商人の下女に安宅丸の魂が乗り移り、
人に踏まれるような待遇を改めろと迫ったという話が載るとか。
(zsphereコメント:メチャクチャな話であるw まぁゴシップの類として話半分に聞くべきなのだろうが、
しかし「船の魂」をこうまで強調する傾向は面白い。)
- 安宅丸の部材はすべて、御船蔵の近くに「埋葬」され、その場所は明治まで
安宅町(江東区新大橋1丁目)と呼ばれていたという。
参考文献
『魔界と妖界の日本史』上島敏昭
『日本伝奇伝説大事典』
最終更新:2013年12月20日 04:41