雲仙岳

 このうち寛政四年の大噴火は、四月一日の夜分、島原城裏手の前山(当時は眉山)が崩壊、
 さらに誘発された津波によって城下町が壊滅、有明海沿岸にまで被害が及び、
 死者15000人を数える、日本最大の火山災害を記録した。

(『魔界と妖界の日本史』上島敏昭)



最終更新:2011年08月08日 11:01