崇徳院地蔵

  • 京都鴨川の東岸、旧聖護院村にあたる積善院の境内にある。像高2メートル余。

  • 俗称を「人食い地蔵」という。「ストクイン」が訛ってそう呼ばれるようになったという。
 正徳元年(1711年)刊の『山城名勝志』巻十三「崇徳院御影堂」の項目に、「土人ヒトクイト云、崇徳院ヲ唱ヘ誤ルニヤ」とあり、そのころにはもう人食いと呼ばれていた模様。

  • もとは聖護院の森の西方にあった崇徳院御影堂の遺仏だったが、鴨川の洪水や後世の兵火を経て積善院に移る。明治三十二年のこと。 →崇徳院

(『江戸の怪異譚』堤邦彦)

最終更新:2011年08月05日 18:59