五感(引用)

耳が本当に音色の印象を保持しないとすれば、単なる音声を聴くことだけから快感を感じることは決してできないであろう。というのは、それが第一音から第五音に迅速に移る場合、その効果はあたかもそういう二つの音が同時に聞こえたかのうようであり、こうして第一音と第五音とがつくる真の諧調が認められたことになる。だがもし第一音の印象がしばらくの間耳に残っていなかったら、その第一音に直ちに続いてくる第五音もひとつだけのように思われ、そして音色というものはいかなる諧調をも創りえない、その結果いかなる歌といえども単独に起こるのだから魅力を失わざるをえなくなる。
太陽その他の発行体の光線もまたそれが見られてしばらくの間眼の中に残る。それで一本の燃え木を急速に円くふりまわすと、この輪は一個の連続せる均質な焔のように見える。
雨水の滴りはその雲から降っている連続せる糸のように見える。ここにおいて、眼の眺める運動しつつある物の印象を眼がいかに保存するかが分かるであろう。
                                  『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』


感覚は少なくとも六つ数えられる。(中略)
最後に生殖感覚あるいは肉体愛。これは両性相引かさせ、種族を繁栄させることをその目的とする。
驚いたことに、これほど重要な生殖感覚も、ほとんどビュッフォンにいたるまで無視されていて、触覚と混同されたり、それに付属させられたりしていた。
だが、この感覚がもとで生じる感じは、物にさわって感じる感じとは少しも共通したところがない。(中略)もしも個の保存を目的とする味覚が一つの感覚にちがいないとすれば、種の保存をその目的とする器官には、なおさらのこと感覚という称号を与えなければなrなあいと思う。
                                ブリア・サヴァラン『美味礼讃』
最終更新:2017年04月27日 04:24