キリスト教の神(引用)

「混沌」は限界をもたぬ。なぜなら、無限を充たしているわたしが限界を知らぬ存在であるからだ。またその空間は空虚なものでもない、たとえ何ものにも限定されないわたしが、自らそこから退き、善をそこに展べないにしてもだ。善を為すのも為さないのもわたしの自由であり、必然も偶然も、わたしに手を触れることはできぬ。わたしがわが意志として示すものこそ、運命なのだ。
                                    ミルトン『失楽園』


しかし、過ぎ去ったことを元に戻し、出来てしまったことを取り消すことは誰にもできない。そうだ、全能の神にも運命にもできないのだ!
                                    ミルトン『失楽園』


〈あなたはあなたの欲望を治める〉このように支配された情念は、そのまま徳である。むさぼり、ねたみ、怒りは神でさえ自分の属性としておられる。そして、これらは同じく情念である寛容、情け、誠実とともに、りっぱな徳である。われわれはそれらを奴隷として使役し、それらに食物をあてがい、その食物を魂に横取りされないようにしなければならない。なぜなら、情念が主人になると、それらは悪徳になり、そのときには情念が魂に自分の食物を与え、魂がそれを食べて中毒をおこすからである。
                                      パスカル『パンセ』
最終更新:2017年05月19日 22:05