キリスト教の律法(引用)

お前から生まれた以上、彼らの間に罪が深く根を下ろすのは、疑う余地のないことだ。だから、彼らの邪悪さをあばきたてて律法と戦わしめることによって、その生来の罪深さをはっきりさせるために、律法は与えられるのだ。
                                     ミルトン『失楽園』

人間はまた律法の命ずる倫理的な部分を実践しえない――実戦しえなければ当然生きてはいけない。そうだとすれば、律法は不完全なものといわざるをえないし、従ってやがて時が満ちて人間をさらによりよき契約に導くために与えられたもの、にすぎないといえよう。
                                     ミルトン『失楽園』

そのために主は人々に憎まれ、冒涜され、暴力によって逮捕され、裁かれ、恥ずべき、そして呪うべき死刑を宣告され、自らの同胞によって十字架につけられ、釘をうたれ、殺され給う――まさに人々に生命を齎すためにだ。だが、実は主のほうがお前のもろもろの敵を、つまり、お前を責める律法と全人類の罪を、自らが共に磔にかけられることによって、逆に十字架に釘づけにし給う。
                                     ミルトン『失楽園』
最終更新:2017年05月02日 16:11