平和に至る道は何びともクリストよりもマリアに学ばなければならぬ。マリアは唯この現世を忍耐して歩いて行つた女人である。(カトリツク教はクリストに達する為にマリアを通じるのを常としてゐる。それは必しも偶然ではない。直ちにクリストに達しようとするのは人生ではいつも危険である。) 芥川龍之介『続西方の人』