部分的に熟知していたものを眼のあたりに全体としてながめるとき、そこには新しい生活が始まるものだ。青春時代のなべての夢はいま眼の前に生きている。私の記憶にのこる昔の銅版画――私の父は控室に
ローマの見取図を掲げていた――を今や私は本物として眺めている。そして絵画、素描、銅版、木版、石膏、コルク細工などとして疾くから見知っていたものが、今や相並んで私の前に横たわっている。どこへ行っても、新しい世界における知己が見出せるのだ。すべては私がかねて想像した通りであり、同時にすべてが新しい。
ゲーテ『
イタリア紀行』