炭焼小五郎

  • 各地にある昔話。豊後が発祥と柳田國男は論じている。

  • 貧しい炭焼の元に、観音の告げで貴族の娘が嫁に来る。
 嫁は小判を持たせるが、小五郎は水鳥を見つけそれに投げつける。
 その事を責めると、あれがそんな宝であるものか、あんなものは
 自分が炭を焼く谷に山ほどある、と言い、行ってみるとそのとおりである。
 その金を元に長者になったという話。

  • 津軽ではこの炭焼を伯爵家の系図に収め、幼名を藤太といい、
 6歳の時に父が戦死、乳母に預けられ、姉の夫橘次信次の元に隠れ、
 敵の目を欺くために市井に身を落とし、炭焼藤太と言ったと伝えている。

 豊後には吉次の名前はないが、東へ行くほどに金売り吉次の名は目立ってくるという。
 就中羽前村山郡の宝澤、岩代信夫郡の平澤では、吉次、吉内、吉六の三兄弟の金売りは
 この藤太の子供であるという。

  • 信州園原の伏屋長者でも、先祖は金売り吉次で、その父は炭焼き藤次であったという。
(このように地域を隔てても固有名詞に変化のなかったのは、歌の節に合わせたからであろうと柳田のコメント)

(『海南小記』「炭焼小五郎が事」柳田國男)
最終更新:2010年11月18日 22:50