- 1458年(長禄二年)、26歳の時に雲岡舜徳という禅僧によって曹洞宗に帰依している。
ちなみにこの時代、臨済宗が権力者や貴人と結びつき、鎌倉五山、京都五山を確立していたので
曹洞宗への帰依は珍しいともいえる。「臨済将軍、曹洞土民」といった言葉もあったとか。
またその兼ね合いで、噺家の符丁に傘がないことを「道灌」という。
- 道灌暗殺を知った小田原城主大森氏頼は、上杉定正に手紙を送っていわく、
「八州(関東)の安危は武の一州にかかり、武の安危は公(道灌)の一城にかかる。思うべし関八州はただただ公の双肩にかかるを。なんぞやその公を謀殺し、求めて日月を地に落とすとは。吾まさに断腸の極み、君まさに慙愧すべし」
(尾崎孝『道灌紀行』)
最終更新:2011年08月07日 11:10