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- 周の霊王の王子晋とされる。国清寺は元は、晋の邸宅地だった由。
- 王子は仙人となり、その数百年後に天台宗祖の天台智顗に会って受戒し、
天台山の守護神となったという。
- また『天台記』によれば、王子は周の霊王の太子喬、字は子晋であるとし、
道人の浮丘公の弟子となり、
嵩山に入って行方不明になったとする。
のち、南北朝時代、
治華山に白鶴に乗って現れ、天帝のもとで
桐柏真人、右弼王、領五岳司などの仙官を歴任したと語ったという。
- 八世紀前半、玄宗皇帝が天台山に元弼真君を祀る山王真君壇を築く。
- 十世紀初頭、天台宗の僧、従礼が民間に元弼真君信仰を広める。
- 最澄が天台山に留学した際、この山王という言葉を持ち帰っており、
山王一実神道の「山王」もここに由来する。
- また、日本の寺社で笙の笛を吹き、白鶴に乗る仙人の像があれば、
それは太子喬、すなわち元弼真君である、とか。
(ISIS本座『バジラな神々』 第8柱-1)
最終更新:2011年02月08日 15:14